今夜の京都の伝説は「報恩寺の撞かずの鐘」(つかずのかね)です。

 

西陣にある報恩時(ほうおんじ)には、平安末期の作と伝わる梵鐘(重要文化財)があります。

除夜の鐘以外は撞くことはありません。

 

昔は朝夕の織屋(おりや)の仕事の交代を告げるために鐘が撞かれていました。

ある織屋の15歳の丁稚(でっち)と13歳の織子(おりこ)はとても仲が悪く、いつもいがみ合っていました。

ある時、夕べの鐘がいくつ鳴るかで賭けをし、織子は九つ、丁稚は八つと言い張り、負けた方は何でもすると約束しました。

本当は九つなのですが、丁稚は寺男に頼んで八つにしてもらい、賭けに負けた織子は悔しさのあまり、鐘楼に帯をかけて首をくくって死んでしまいました。

以後、寺では除夜の鐘以外は撞かなくなったと言うことです。

 

 

千年も昔の伝説は、「ほんまかいな」と思うことが多々あります。

幽霊子育飴にしても道真の登天石にしても、現代のハイテクサイエンスの時代には事実とは考えられません。

でも、ストーリーの展開は非現実的でも、人の気持ちは変わらないところが千年も伝わっている理由かなと思います。

親が子を思う気持ちや、人を陥れたという罪悪感が、幽霊子育飴や道真の登天石の伝説となって語り伝えられてきたのでしょう。

「報恩寺の撞かずの鐘」の話は、ストーリーが現実的で、だからこそ悲しさが増す伝説です。

 

 

法恩寺の境内に、鐘楼がひっそりと建っています。そばの藤棚や桜の見ごろには少しは華やかになるでしょうか。

 

 

 

法恩寺は、以前お話しした「道真の登天石」の水火天満宮から徒歩10分くらいのところにあります。

除夜の鐘は一般参詣者も撞くことができるそうです。