京都の伝説シリーズ、今日は「御所鬼門の猿」に続いて菅原道真の話です。

 

平安京の右大臣、菅原道真が不当に太宰府に左遷された話はよく知られていますね。

それに関していろんな逸話や伝説が伝えられていますが、「道真の登天石(とうてんいし)」? 初めて聞きました。

 

怨霊となった道真の魂を鎮めようとしていた時に、鴨川に道真の姿が現れた時の石だとか。

京都検定の問題に出ていたとなると、現地調査開始です。

 

登天石のある水火天満宮すいかてんまんぐう)は、上京区堀川寺ノ内を少し上がったところのバス停「天神公園前」にあります。こじんまりとした境内には、天満宮につきものの牛の像は一つもなく、観光客もおらずひっそりしていました。

 

 

天満宮のウエブサイトや検定公式テキストブックなどの情報をまとめますと、

 

道真の出世を疎ましく思う左大臣藤原時平が醍醐天皇に道真の悪口をいろいろ吹き込んで、道真は遠く九州太宰府に左遷され、失意のうちに2年後(903年)に現地で亡くなりました。

その後、京の都では落雷や洪水など災害が相次ぎ、人々は道真の祟りだと恐れるようになりました。

 

(登天石の登場はここからです)

そこで醍醐天皇は、道真が師と仰いだ延暦寺の法性坊尊意(ほっしょうぼうそんい)僧正に怨霊を鎮めるよう勅命を出しました。

 

『僧正が宮中に向かう途中、鴨川の水があふれ出し、僧正が数珠をひと揉みするや水流が分かれ、石の上に道真が現れたが、すぐに消え去った。僧正は後に残った石を持ち帰り、道真の霊を供養した』(京都検定公式テキストブックより)

 

 

この石が登天石と呼ばれているわけですが、この大きな石をどうやって持ち帰ったのか、そもそも鴨川の水流が割れて道真の姿が現れたというのも不思議ですが、千年前の伝説です。

 

 

水火天満宮という社名は、法性坊尊意僧正が、都の水害火災を鎮めたところからきているそうです。

 

その後、北野天満宮が建てられ、道真公は学問の神様として学生たちにとても人気のある観光名所となりました。

その話は、また年金女子旅でお話ししましょう。