LEHに滞在していた頃、町を歩いているとメイン通りで人だかりがあった。
その時は何やらあるモスクにダライラマが訪れており、偶然そこから出てきた姿に出くわす事ができた。
一目見たときの正直な印象では特にオーラのようなものは感じなく、気さくなおじいさんっていうイメージ。
そしてその数日後。
隣町のチョグラムサムで行われたダライ・ラマTeaching!
<チベタン夏フェス2009>
今回はチベタンに向けてのTeachingという事だったが、とにかくそのカリスマ性は凄いもの。
ほぼここにいるすべての人は正装の民族衣装に身を包み、静かにダライラマの声に耳を傾けている。
もちろんこの時ばかりはバスの乗車率は限度を超え、チベタン系の店は揃ってシャッターを下ろしていた。
チベットの指導者であり、観音菩薩の化身とも信じられているダライラマ。
中国と衝突を続け、社会的に厳しい立場に追いやられ、国としていまだ認可されていないチベット地区。
インドに亡命し、今なおヒマラヤの麓で生活を続けるチベタンにとって、
恐らく彼の存在は希望であり、未来であり、道しるべであり、頼みの綱でもあるように感じる。
この時、Teachingに駆けつけた老人の中には、ダライラマがチベット・ラサから
インド・ダラムシャラーに亡命した際、一緒にこの地に移動してきた人も多いだろう。
歴史をともに歩んできた偉大なる人物。
正直彼のことについてくわしくは知らないが、周辺の人達の表情と
ひたすらダライ・ラマに祈っている様子をみると、その存在の大きさを感じることは簡単にできる。
会場に着いて席を探していた時の事。
壁のように出来ている人だかりを超えて、ダライ・ラマのいるステージから程近い場所に通された。
そこの一角は外国人用のスペースとなっており、地元のチベタンの人より明らかに前方に位置どられている。
なんか申し訳ない、なんて思っていたけども、英語のスピーカー付きでもあることから、
より外国人にチベットの現状を把握してもらいたいという姿勢を感じた。
正直スピーカーから流れる英語を完璧に理解するのは難しかったが、よく使われていた単語は、
「suffer」(苦しむ・~で悩む)、そして印象に残ったのは「Jealous」。
聞き取れた内容では、あらゆる状況での意識の持っていき方についてをメインに話しているようだった。
事前に用意された誰かからの問に対しては、ダライ・ラマが笑う状況もあり、
神経質に張り詰めた空気というよりは、一体にやわらかくゆっくりした落ち着いた空気感があった。
<大人も子供もダライ・ラマとともに>
<炎天下の中3時間に及ぶTeachingに聞き入るチベット僧>
あんまりチベット仏教とダライ・ラマについての知識がなかった自分にとって、
今回一番注目していたのは、"ダライ・ラマの声"
ここまで強烈なカリスマ性とリーダーシップを放つ彼の"声"に凄く興味があった。
文章で表すのは非常に難しいところだけど、ぶっとくて、ビブラート掛かった声。
テンションの浮き沈みが少なく、表情は見えなくとも微笑を浮かべながら話してるイメージ。
恐らくダライ・ラマも年を重ねたり、病気をしたことで放つ雰囲気も変わってきているだろうけど、
驚いたのは指導者として想像していた 『威圧感』 がまったく感じられなかった事。
どちらかといえば大きな存在ではあるけど、親近感の方が圧倒的に感じられた。
無償の愛というか、存在に対する安心感を感じるもの。
旅してるが故の、送り物のような時間。