19日、昼1時。

AIR ASIAに乗り込んで約4時間で最後の訪問国、台湾は台北に着いた。
ここまでくると日本との時差もたったの一時間となり、地図を見ると沖縄からすぐ近く。
モンゴロイドの顔つき、素振り、仕草、対応の仕方、服装……日本に限りなく近づいた事を実感させられる。

初めて来た台湾。
挨拶は「ニーハオ」で中国語を話す様子や漢字だけが並ぶ字体を目にすると、中国の一部にいるような感覚になるが、中国人のような強い主張や周囲を気にしないような言動は感じられない。むしろ、いちいち目に飛び込んで来る建物の作りや、人の雰囲気など、視覚的には日本に帰ってきたような感覚になる。

しかもここはただ日本っぽいっていうだけじゃない。

空港内のDUTYFREE SHOPに入ると、「イラッシャイマセ」
IMMIGRATIONで審査官にパスポートを渡すと、「ショウショウオマチクダサイ」
バスの乗り場でチケットを買う時の料金は、「ヒャクニジュウゴ」
運転手に降りるとこに着いたら教えてもらうようにお願いすると、「アトデオツタエシマス」


腰抜かしたわ。


空港内のいろんな看板に目をやると、基本的に中国語、英語、日本語の3言語で記載がある。
両替したレシートの最後にはでかでかと、「ご愛願ありがとうございます」の文字。
マレーシアの空港でもちょいちょい日本語の文字、日本語アナウンスを聞く事があったけど、ここまで徹底しているのにもビックリさせられた。しまいには、街中のレストランのメニューには中国語と日本語が並んで表記されていたり、レストランをはじめ『日式』だの『日本なんちゃら』だの看板がやたらと目に付く。

ほんとに外国っすか……?


交差点で道行く人に宿の方向を聞いてみたら、日本語いけちゃったり。
その周辺には日本語学校、そして『日本留学』の文字。案の定中心街を歩いていると日本食系の飯屋を探すのに苦労はしない。アダルトビデオ屋さんの看板にも、これでもか!というほど、『日本なんちゃら』とかいう文字。
ある地下街の本屋にたまたま入ったら8割日本の雑誌。そのほかの本屋でも日本の女性ファッション雑誌は必ず置いてある。字読めんのか?
テレビやメディアが反日感情を煽っている中国とは対極の世界。
話せるのはもちろん全員ではなく、一部の人だけだろうけど、驚くべき浸透率。

そう、日本っぽいものがブランド化しような場所。


台北中心街の建物の様相、街の作り方、おしゃれなバーやレストランのあり様、ショップの作り、売ってるもの、歩いている人のファッションまでほぼ同じ。テレビも中国語か日本語かの違いで作りはそっくり。

もし外国人が両方の国を行ったら、「一体どこが東京と違うんだ?」なんて言ってしまいそうな台北中心街。
ちょっと過剰に書いているように見えるけど、実際に見たものをピックアップするとこうなってしまう。
もちろん田舎は昔ながらだろうけど。(日本語通じないほうが逆に安心したりして)

そもそも、台湾は第二次世界大戦中に日本の侵略に合い、日本軍の指揮の下、道路やインフラの工事を進めてきたらしい。くわしい事は知らないがその時に統治していた日本軍の振る舞いは、どうやら台湾に住む人たちにとってすべてが悪いものではなかったのか…むしろマイナス面よりも国を発展させ現在の豊かな姿に変貌させるベースを作ったことがクローズアップされているのかもしれない。驚いた事に旅中出会った人が台湾に滞在していた時に、日本語を話せる台湾人のおばあさんがこんな事を言っていたらしい。

「昔の日本の兵隊さんは強く心優しい立派な人たちだった。だからあんたも日本人として恥ずかしくないようにしなさい」と。

侵略された国の人がいうセリフとは誰も思わないだろう。


これまでアフリカを歩いてきて植民地の影響がない国はなかった。そのほとんどの国々はかつての宗主国が向かった方向に開発が進められてきたという雰囲気は感じられるものの、質の高いコピーとまではいかない様子だった。言語の影響は計り知れないが、譲れない独自の文化や昔から受け継がれてきた民族的な概念は今にも根強く、時には宗主国の文化に対して反発的にさえ感じられるとこが度々あった。

そりゃそうだと思う。

時々見られるあの不自然に引かれた直線的な国境線。
ヨーロッパ各国がこともあろうか、卓上に広げた地図に線を引いて一方的に領土の分け前を決め、
地形的な問題や、手に負えない民族的な問題を抱えているところは適当なサジ加減で決められたもの。

故に、もともと一つだった民族同士が無理やり分けられ、一定の距離感を保っていただろう民族同士の力関係が崩壊した挙句、本来起こるべきではなかった民族紛争がいまだ至る所で勃発している。
そして、コントロールしはじめると、当然のように自国の利益が優先されるルールを突きつける。
入植によって民族のバランスを崩したという点では、ルワンダの虐殺なんかはまさにその典型的な例となる。

要は、以前の宗主国はあんまり好きじゃないけど、どう開発をしていいかわからないし、頼らざるおえないからフランス風、イギリス風の発展をしているだけ。そんな惰性的な変化と、旧宗主国により水面下で甘い蜜を吸い上げ続けられている、そんな実態があるアフリカ。


しかし、台湾。
どうなってるんじゃ??ほんとはどうなん??

たった数日の滞在で、いろんな人に生の声を聞いたわけではないし、少し目に入ってきた情報であまり断定的に捉えたくはないけど、WELCOME度はバングラに続いて暫定2位の予感。
これじゃまるで自分たちからガンガン詰め寄って、若い世代を中心に「日本式で行こうや!!」みたいなノリで、「あれかわいい」、「これかっこいい」がそこら中に散らばっている。


実はこれはこれで、個人的にはなんとも複雑な心境。


過剰に付加価値がつけられていく"プライベートな何か"
豊かさの指標が、所持している"モノ"、身に着けている"モノ"
いつの間にか共通の解釈になっている"理想の生活"、"理想の将来形"


肩がボロボロに破けたTシャツを着て、汗だくで20kgのバックパックを背に安宿探しをしている無職の青年としてはなんとも居心地の悪い。黙ってても声をかけてくれる人もいるけど、道を聞こうとして手で払いのけられることもある。インドで「excuse me」って聞いたら「NO!」って言われた時とはまた違う感じ。

道行く人たち同士は、目に見えない不思議な距離感があって、同じ空間でもとんでもなく遠いとこにいるよう。

アスファルトを歩く動物。
公園で1人カップラーメンをすするスーツの男。
止まることのない、動き続ける人たち。



灼熱の台湾は少しひんやりする。



なんだか少し、遠ざかっていた"現実"ってやつに直面したような気がした。



もう戻れない、前とは違う感覚。

大事にしたいわ。










デンマーク戦を最後に、南アフリカを後にして、降り立った先はタイのバンコク。


南アフリカ出発の日、
眠たい目をこすりながら、見送ってくれた旅人のみんなと別れを告げた。
空港までの道は、まだワールドカップムードで、参加国の国旗が道路の脇で揺れていた。
南アフリカの予選敗退も決まり、開幕戦の時とは違い、少しずついつもの南アフリカに戻っているようで、
空港内の雰囲気がすでにワールドカップも下火になってきているようにも感じさせる。

いざアジアへ帰る、と思うと不思議なもんで、今まで慣れきってなんとも思わなくなっていた事が妙にまた新鮮に思えてくる。視界に『アフリカンがいる』ってだけで自分がずいぶん遠くまできたんだな~っていう気持ちになる。


これでアフリカも終わりかぁ…


約8ヶ月以上滞在したアフリカ大陸との別れ。


常に危険とリスクを意識して行動していたからこその安心感。
ぞくっと鳥肌が立つような景色や場面に対する名残惜しさ。
やりたいことは全部やったという達成感。


いろんな感情を引っさげて、飛行機に乗り込んだ。

大好きな飛行機は無情にも、
1年以上もかけてヒーヒー言いながら進んだ道を、たったの10時間足らずの高速で進んでしまう。

10時間バスに乗って進める距離なんて地図で見ると、ほんの豆粒レベルなのに、
テクノロジーが結集された航空機は別格。

センチメンタルになる余裕もなく、爆睡の末に久々アジア、バンコク到着。


もう着いた瞬間から、やわらかいアジアの雰囲気に癒された。

会社員がスーツを脱いだ瞬間にも似た、なんとも戦闘モードからの開放された感覚。
空港から安宿街があるカオサンロードまで行くシャトルバスがたったの4人しか乗せてないのに出発しだしたのにはとんでもなく感動した。常識的にバスなんて一杯にならないと出発しなかったアフリカとはやっぱり違う。

そして極寒の南アフリカから、常夏のタイ。
フルーツ食いまくってカラカラに乾いた体をいたわり、激辛のタイフードを食べながら汗かいてデトックス。
いいリフレッシュになった。


バンコクでは以前に仲良くしてくれた人に挨拶に行って、チェンマイではモロッコで知り合った夫婦と再会してすぐ帰ろうと思っていたタイ。
しかーし、タイ滞在1週間が経過し、そろそろ帰国を意識したころ、チェンマイで再会した夫婦がマッサージ教室に通っている話を聞いていた。なんか知らんけど久々に勉強欲が沸いてきて、尚且つ"体ひとつでできるマッサージとかかっこいいな~"とか、そんな軽い気持ちで通ってしまいました2週間。
タイ古式マッサージ教室!

今回行った学校は紹介だったこともあり、安くてみんなにあんまり知られていないアットホーム過ぎる学校だった。なので、生徒が少ない時には生徒一人に先生2人もついてくれたり、後ろ見ると先生4人がこっち見てたときすらあった(有名学校は先生2人に生徒5~6人が基本らしい)。
人が増えてきても、練習の合間疲れてダラダラしていると、いきなり通りすがりの先生がついでにマッサージしてくれたり。張り詰めた空気とは程遠く、くだらない話をしながらも、おかしかったら指摘してやって見せてくれたり、聞いたらしっかり教えてくれるとこだった。ゆるーく笑いながらの雰囲気も、まさにタイ式のいい学校だったおかげで学びながらマッサージを楽しめた。

とりあえず教科書見ながらだったら、習った一通りの流れは形になるけど、ほんとに気持ちいいか?、と聞かれればあんま自信なし。たった2週間で人を完璧に癒せる『手』を持つのは無理だけど、意外に素質もあるかもしれないなんて思い込んで自画自賛。マッサージってのは案外やる人の性格だったり、こだわりが出てくるもんで、自分との相性もあるもんだと思い知らされた。その相性を超えて、施術する人の体から発せられる声をキャッチして、さらにその人にあったポイントや強さを自在に変えられるようになるのが超一流のマッサージ師のような気もする。

まだ入り口しか触れてないけど、奥の深さを痛感させられた。
なかなか面白い。


そんなこんなですっかり滞在が伸びたタイ。


さて、そろそろです。


航空券を探すと、直通で帰るより台湾経由で帰ったほうが安かったので、
とりあえず7月19日にバンコクから最後の訪問国・台湾へ。



そして、台北3日間滞在後、7月22日に関西国際空港IN。


ここでついに日本上陸で旅も終了。


旅で知り合った人の家にお世話になりながら、7月中には出発の地、東京へ戻ります。











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         バスの窓を開けると、


   突然目の前に突きつけられたトウモロコシ




    ここじゃ優柔不断でなんかいられない





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  幼児バスにアフリカン





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  みんなが並べばサッカーコート完成







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肌の色がブラックであることが自然だから、

        アフリカでは赤ちゃんにすら泣かれる。





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             地元のバーに一人で入る。


           横のおっさんと同じビールを頼む。



  彼らの日常に混ざった瞬間、


           自分の周りが客観的に見えてくる。





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娯楽が少ないからこそ、共通の楽しみはみんなで共有



           豊かな表情の秘訣







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都市を開発しようとしたとき、アフリカも例外ではなく、


似たような価値観を基準に、似たような発展をしようとしている。




都会と呼ばれる街へ行った時、初めて来た場所でも、なんとなくいつも通りの感覚。


違いはそこに肌の黒いアフリカンが歩いているだけ。




見慣れた服を着て、

見慣れた作りのファーストフードがあり、

見慣れた形の乗り物が行き来する。




"違う"っていう驚きじゃなくて"同じ"っていう驚き。




不思議なアフリカ南部で受けたカルチャーショック。




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  コンクリートより土の道を選んで…





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  何度も何度も、疑って疑って、安心して、また疑って、


     やっと最後にたどり着く、お宅訪問




   テレビ企画の比じゃないぜ!







こんなん見ちゃうと、

       もう少しアフリカにいたくなっちゃう




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              誰かが歌えば周りの人も歌う

             誰かが踊りだせば、誰かが踊る。


   "大人になる"っていうのはどういうことかもう一回考えたほうがいい。




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やっぱ自分が楽しまなきゃ、


        誰も楽しませらんないぜ!