大阪は今朝も雨模様です。
桜の開花は、来週に持ち越しでしょうか?
今から40年ほど前の体験です。
私は当時、東大阪市役所建築課の設計の仕事をしておりました。
東大阪市は、1967年(昭和42年)に当時の「河内・布施・枚岡」の3市が合併して「東大阪市」となったそうです。
現在の高層の市役所が建ったのは2003年(平成15年)ですから、
それよりもっと以前のお話です。
私が30歳のころ、1980年(昭和59年)ころだと記憶しているのですが、当時の東大阪市役所の分室に建築課がありました。
その分室は木造の学校を改修した建物で、当時の設備課長代理に仕事上、とても可愛がってもらいました。
その課長代理といっしょに、ある現場調査をした時「ちょっとつき合え」と言われ、ある公園に連れて行かれました。
今考えると、その公園に何かを立てる計画があったのでしょうね。
公園の片隅に下におりる階段があり、鉄製の扉を開けるとコンクリート造の広い地下室がありました。
「ここはな、君は知らないと思うけど『ひとのみち教団』という大きな教会の跡地だ」と言われました。
私は当然「初代教祖」のことは、本でしか見たことはありせん。
しかし、その地下に入って「ひとのみち教団」と聞いた途端に身震いがして、なかなか動くことができませんでした。
当時はスマホも携帯もなく、カメラも持っていなかったので、写真を撮ることができませんでした。
また何故か課長代理に「ひとのみち教団」のことを知っていますとも言えませんでした。
今なら、写真に撮ったり、課長代理に「私は学園の卒業生です、ひとのみちはPLの前進です」と説明してもっと詳しく調べられたと、とても残念に思います。
また、近くに布施教会もあったと思いますから、教会長に電話して見に来てくださいとも言えたはずです。
調べてみると「ひとのみち教団」は1934年(昭和9年)当時の布施町永和に一万坪の土地を確保し、そこに鉄筋コンクリート4階建て1200坪、千畳敷の大広間を持つ本殿と教師宿舎、印刷工場、付属小学校等の施設を建設したそうです。
今から40年も前の記憶ですが「初代教祖」が導いてくださったものと思い感謝しております。