「叱らずにに育てる?」 | 『♪70歳の挑戦』(限界に挑戦!)

『♪70歳の挑戦』(限界に挑戦!)

    昨年の4月に70歳になりました。
    これからも精一杯、自分の限界に挑戦したいと思っています。

今朝の大阪の気温は、7.0℃、晴れでした。

 

先日は「京都橘高校」を例にとって「集団美」「集団芸術」について書かせていただきました。

 

今、選抜高校野球で、甲子園での戦いをテレビで見ていますが

「野球」と「サッカー」は、まったく違います。

 

何が違うかというと野球は一球一球、ベンチからサインが送られ、選手は監督のサインを見て、ヒットエンドランやスクイズを行います。

 

サッカーは試合が始まれば、監督やコーチは選手交代くらいしかすることが無く、大声で指示を出すことくらいしかできません。

 

「京都橘高校吹奏楽部」は、顧問の先生が今まで3人おられましたが、音楽的指導は当然ながら先生が行います。

 

どこの吹奏楽部でも、顧問の先生がタクトをふり、全体を教えておられると思います。

 

ところが、あの曲に合わせた軽やかなステップとか、動き回るフォーメーションは、先生が教えてできるものではありません。

 

せいぜい上から見ていて、一言二言は注意されるのでしょうが、顧問の先生がステップをしたら「ぎっくり腰」になるでしょう。

 

100人からの部員に対して、フォーメーションを教えることもできません。

 

「京都橘高校」は、長い歴史の中で先輩から後輩へと受け継がれたものですが、それはステップもフォーメーションもすべて生徒たちが考えてやっているものなんですね。

 

全員が一つ以上の係をもっていると聞きます。

 

会場に5m毎のラインの目印を入れたり、打楽器を運んだりもすべて生徒たちがやっているのですね。

 

サッカーと同じで、パレードが始まったら、あとはDM(ドラムマネージャー)さんとパーカッション(打楽器)のみの指示です。

 

顧問の先生は、行進の初めの指示を出したり、ストップをかけたりはするのでしょうが・・。

 

亡くなった創設者の平松先生、田中先生、現在の兼城先生とも座奏での指揮はされていますね。

 

PLの坪口純朗先生「叱らずにひとを育てる」、京都橘の田中宏幸先生「教えずに育てる」は、何か共通しているように思えるのです。