マリス・ヤンソンス指揮 バイエルン放送響による「運命」のスピード感と緊張感を伝えようとした場合、これに最も近い演奏といえば、かのエーリッヒ・クライバーによる5番ではないでしょうか?

かのカルロス・クライバーの手元には父親の残したスコアがあったとも聞きますが、この5番を聴けば、そういう話が一気に真実味を帯びてくることも確かです。

話は変わるのですが、最近、齢のせいなのか、フルトヴェングラーのような頻繁にテンポを変える(アバドによるとテンポから自由でいられた指揮者という認識)演奏スタイルについていけなることが多くなりました。
自分でも正確な理由は分りません。決して嫌いになったというわけではないのですが、インテンポでありながら、一刹那、芳香や輝きを放つ、そういう演奏に惹かれつつあるのは確かなようです。

正直言って、これまで避けて通ってきたカラヤンを改めて聴き直したりして、都度、新しい発見に驚いては戸惑う日々を過ごしております。

何とも、すさまじい緊迫感でした。
美しいアンサンブルを響かせながら、躍動感たっぷりにテンポも速くドライブされていく。それこそ、息をつく暇もないくらいです。そして、気がつけばフィナーレまで一気に駆け抜けていました。

これは、先日も書きましたヤンソンス指揮 バイエルン放送交響楽団による日本公演での出来事です。
その日の聴衆の興奮ぶりは、いつまでも静まらない会場の様子に十分に見て取れました。

アバドがジョナサン・デル・マールの批判改訂版によるベートーヴェン交響曲全集をベルリン・フィルとともに録音してから10年以上を経た今、かつて、非難の嵐だった演奏スタイルが今や、もっとも挑戦的で美しい響きをもった演奏スタイルとして定着したのは何とも皮肉なことであります。
アバドの指揮が、尊敬するフルトヴェングラーよりもトスカニーニ的と批判した海外の批評家が、いかに音楽を表面的にしか捉えていなかったか、ということを如実に物語る現実ではないでしょうか?

とはいえ、この現象がフルトヴェングラーやトスカニーニ、C.クライバーの5番の価値を下げるというものでは決してなく、我々としては、新しい選択肢が増えたことを素直に喜ぶべきでしょう。

ヤンソンスとバイエルン放送響の演奏の素晴らしい点は、早いテンポの中でも決して失われることのない上品な響きにあると私はみました。

昨年末の日本公演で4日間に渡って行われたベートーヴェン・チクルスの放送がいよいよ始まりました。

ヤンソンスの指揮はどちらかというと暖色系ではありますが、何よりもシンフォニックな響きが美しく(日本の録音技術は本当に世界に誇れるものですね)、それほど恰幅の大きな演奏ではありませんが、心にひたひたと染入るようなものがあります。

灰汁の強いアクセントや、クレッシェンドを多様するきらいはありますが、決して嫌味にならずにまとめ上げています。ここぞというところでの推進力も見事で、コンサートに足を運んだ全ての人に静かな感動を与えたことでしょう。