何とも、すさまじい緊迫感でした。
美しいアンサンブルを響かせながら、躍動感たっぷりにテンポも速くドライブされていく。それこそ、息をつく暇もないくらいです。そして、気がつけばフィナーレまで一気に駆け抜けていました。
これは、先日も書きましたヤンソンス指揮 バイエルン放送交響楽団による日本公演での出来事です。
その日の聴衆の興奮ぶりは、いつまでも静まらない会場の様子に十分に見て取れました。
アバドがジョナサン・デル・マールの批判改訂版によるベートーヴェン交響曲全集をベルリン・フィルとともに録音してから10年以上を経た今、かつて、非難の嵐だった演奏スタイルが今や、もっとも挑戦的で美しい響きをもった演奏スタイルとして定着したのは何とも皮肉なことであります。
アバドの指揮が、尊敬するフルトヴェングラーよりもトスカニーニ的と批判した海外の批評家が、いかに音楽を表面的にしか捉えていなかったか、ということを如実に物語る現実ではないでしょうか?
とはいえ、この現象がフルトヴェングラーやトスカニーニ、C.クライバーの5番の価値を下げるというものでは決してなく、我々としては、新しい選択肢が増えたことを素直に喜ぶべきでしょう。
ヤンソンスとバイエルン放送響の演奏の素晴らしい点は、早いテンポの中でも決して失われることのない上品な響きにあると私はみました。
美しいアンサンブルを響かせながら、躍動感たっぷりにテンポも速くドライブされていく。それこそ、息をつく暇もないくらいです。そして、気がつけばフィナーレまで一気に駆け抜けていました。
これは、先日も書きましたヤンソンス指揮 バイエルン放送交響楽団による日本公演での出来事です。
その日の聴衆の興奮ぶりは、いつまでも静まらない会場の様子に十分に見て取れました。
アバドがジョナサン・デル・マールの批判改訂版によるベートーヴェン交響曲全集をベルリン・フィルとともに録音してから10年以上を経た今、かつて、非難の嵐だった演奏スタイルが今や、もっとも挑戦的で美しい響きをもった演奏スタイルとして定着したのは何とも皮肉なことであります。
アバドの指揮が、尊敬するフルトヴェングラーよりもトスカニーニ的と批判した海外の批評家が、いかに音楽を表面的にしか捉えていなかったか、ということを如実に物語る現実ではないでしょうか?
とはいえ、この現象がフルトヴェングラーやトスカニーニ、C.クライバーの5番の価値を下げるというものでは決してなく、我々としては、新しい選択肢が増えたことを素直に喜ぶべきでしょう。
ヤンソンスとバイエルン放送響の演奏の素晴らしい点は、早いテンポの中でも決して失われることのない上品な響きにあると私はみました。