ベートーヴェンのピアノソナタ31番で格闘している間にも、いろいろと聴いてはいたのですが、
その中に、ハイティンク指揮ベルリンフィルによるマーラーの交響曲第3番があります。
マーラーはここ暫く聴いてなかったのですが、ちょっとスケールの大きな曲が聴きたくなって選びました。

この曲はスケールの大きさを感じさせる曲で、マーラーの交響曲群の中でも気に入っている曲です。バーンスタインのように膨張させて重々しく響かせるのとは異なり、ハイティンクは体を撫でるようにかすめる風のようにあっさりと聴かせるタイプの演奏に徹していながらも、曲の持つスケール感を決して収縮させないところなど、非常にバランスに富んだ指揮っぷりが気に入っています。
悪い言い方をすれば、あまり集中して聴かなくても、それなりのスケール感は感じとることが出来るということも出来そうですが、観客を飽きさせない、そういった演奏こそ本当は最も難しいのではないでしょうか?

ちなみに全くの余談ですが、この曲、ピンク・フロイドの「ウマグマ スタジオ版」や「原子心母」の原点とも言えそうな曲ですね。

$silverのブログ
【ポリーニ】1942-
今回の聴き比べの中で唯一ご存命のピアニストですね。
実を言うと、ぼくがベートーヴェンのピアノソナタを聴きだしたのは、同氏による演奏からでした。
レコード芸術の「ベートーヴェンの後期ソナタはこう弾くのか」という一文に惹かれて選んだのですが、そんなことをすれば、当然、「他のピアニストはどう弾いているんだ?」となります。
ということで確信犯的にポリーニから聴き始めたというべきかもしれません。

ポリーニの音は、その透明さとクリアな点からどうしてもショパン弾きの印象が強いのは確かですが、現代的なベートーヴェン演奏の礎になって既に久しいと言っても過言ではないでしょう。
ポリーニの演奏には、しっかりとそこに表情があるにも関わらず、正確無比の技術や表現者としての追い込みが秀でているが故に、機械的で血が通っていない演奏だと、芳しくない評価を受けやすいことも一つの事実です。
実際のところ、ぼく自身もそれほど得意なほうではありません。
しかしながら、自我を排して客観的に聴いてみると驚くほどの集中力と工夫がそこにはあります。

第一楽章での抒情性を湛えた彫りの深さは、爾来の大御所ピアニストに何ら劣るものではありませんし、第二楽章では、それこそ機械仕掛けのような正確さで疾走しますが、その速度を保ったまま、まるで鞭のようにしなやかかつ強靭で張りのある音が繰り出されたかと思いきや、その後に続くタッチが非常に繊細だったりと、最初は面喰いましたが、よく聴くと、ここしかないといったタイミングで仕掛けられているところが斬新であり、ポリーニの技術力でもってしか成し遂げることの出来ない演奏だと思わずにはいられません。
第三楽章のフーガなども、一つ一つの音が明晰に、しかも均等な音圧で鳴らされることで極上のドレープのような仕上がりをみせているのは、好き嫌いを別として、誰もが認めざるを得ない美質だと思うのです。

さらに近年、こうした演奏が一つの潮流となっていることを考えると、バックハウスと並んで、ベートーヴェン演奏のもう一つの基軸としての価値が、もうそろそろ認められても良いのではないか。そういう個人的感想を抱いています。もしかしたら、それはポリーニが32曲のピアノソナタを全集としてまとめた時なのかも知れません。
【ギレリス】1916-1985
ギレリスに関しては、完全に誤解をしていたところがあります。
晩年に録音した後期ピアノソナタ群は、「ちょっと感傷的に過ぎる」という勝手な思い込みがそれです。確かに、この曲に関しても、テンポはかなりゆったりとしていますが、よく聴くと、表層的なテンポの変化やアクセントの置き方などといった部分での情緒的な表現はさほどないことに気がつきます。
それどころか、バックハウスもそうでしたが、一つ一つの音の美しいこと!
決して強い打鍵ではなくても、音の芯がはっきりと見え、ピアノ本来の音の美しさに改めて気づかされる思いです。
さらに、録音技術者との呼吸もぴったりなのでしょう、やや長めに設定された残響と、ギレリスのゆったりとしたテンポ、これらが相まって美しい音世界にウェットな余韻を含んだ空気感を創出することに成功しています。
どうして、こんなにも素晴らしい演奏を短絡的な解釈でもって封印していたんでしょう。自分のことながら、あまりの無理解に嫌気がさします。
でも、正直にいいますと、音楽を長く聴いていると、よくこういう事に出くわします。それによって音楽に対する認識がさらに広がっていくことは結構なことなのですが、一度、文章に残してしまうと、訂正できなくて後悔してしまうこともあるわけです。ですから、なるべく傲慢な態度にならないよう注意を払ってはいるつもりなのですが、知らない間に、せっかく読んでくださっている方の癇に障っている、ということもあり得ますので、このあたりは十分に注意していかなくては・・・という反省をしている最中です <(_ _)>

話をギレリスに戻しますと、氏は美しい音をゆったりとしたテンポで響かせることで、全体としては、実に清浄な世界観をももたらしています。そして、第三楽章のアダージョからフーガへと移行する中で、天蓋のようになだらかな傾斜でもって、ほんとうにじっくりと一音一音を噛みしめながら加速していき、最後には、これまた息の長いクレッシェンドでもってクライマックスを迎えます。このあたりの造形など見事としか言いようがありません。ぜひ聴いていただきたい演奏の一つです。