【ポリーニ】1942-
今回の聴き比べの中で唯一ご存命のピアニストですね。
実を言うと、ぼくがベートーヴェンのピアノソナタを聴きだしたのは、同氏による演奏からでした。
レコード芸術の「ベートーヴェンの後期ソナタはこう弾くのか」という一文に惹かれて選んだのですが、そんなことをすれば、当然、「他のピアニストはどう弾いているんだ?」となります。
ということで確信犯的にポリーニから聴き始めたというべきかもしれません。
ポリーニの音は、その透明さとクリアな点からどうしてもショパン弾きの印象が強いのは確かですが、現代的なベートーヴェン演奏の礎になって既に久しいと言っても過言ではないでしょう。
ポリーニの演奏には、しっかりとそこに表情があるにも関わらず、正確無比の技術や表現者としての追い込みが秀でているが故に、機械的で血が通っていない演奏だと、芳しくない評価を受けやすいことも一つの事実です。
実際のところ、ぼく自身もそれほど得意なほうではありません。
しかしながら、自我を排して客観的に聴いてみると驚くほどの集中力と工夫がそこにはあります。
第一楽章での抒情性を湛えた彫りの深さは、爾来の大御所ピアニストに何ら劣るものではありませんし、第二楽章では、それこそ機械仕掛けのような正確さで疾走しますが、その速度を保ったまま、まるで鞭のようにしなやかかつ強靭で張りのある音が繰り出されたかと思いきや、その後に続くタッチが非常に繊細だったりと、最初は面喰いましたが、よく聴くと、ここしかないといったタイミングで仕掛けられているところが斬新であり、ポリーニの技術力でもってしか成し遂げることの出来ない演奏だと思わずにはいられません。
第三楽章のフーガなども、一つ一つの音が明晰に、しかも均等な音圧で鳴らされることで極上のドレープのような仕上がりをみせているのは、好き嫌いを別として、誰もが認めざるを得ない美質だと思うのです。
さらに近年、こうした演奏が一つの潮流となっていることを考えると、バックハウスと並んで、ベートーヴェン演奏のもう一つの基軸としての価値が、もうそろそろ認められても良いのではないか。そういう個人的感想を抱いています。もしかしたら、それはポリーニが32曲のピアノソナタを全集としてまとめた時なのかも知れません。
今回の聴き比べの中で唯一ご存命のピアニストですね。
実を言うと、ぼくがベートーヴェンのピアノソナタを聴きだしたのは、同氏による演奏からでした。
レコード芸術の「ベートーヴェンの後期ソナタはこう弾くのか」という一文に惹かれて選んだのですが、そんなことをすれば、当然、「他のピアニストはどう弾いているんだ?」となります。
ということで確信犯的にポリーニから聴き始めたというべきかもしれません。
ポリーニの音は、その透明さとクリアな点からどうしてもショパン弾きの印象が強いのは確かですが、現代的なベートーヴェン演奏の礎になって既に久しいと言っても過言ではないでしょう。
ポリーニの演奏には、しっかりとそこに表情があるにも関わらず、正確無比の技術や表現者としての追い込みが秀でているが故に、機械的で血が通っていない演奏だと、芳しくない評価を受けやすいことも一つの事実です。
実際のところ、ぼく自身もそれほど得意なほうではありません。
しかしながら、自我を排して客観的に聴いてみると驚くほどの集中力と工夫がそこにはあります。
第一楽章での抒情性を湛えた彫りの深さは、爾来の大御所ピアニストに何ら劣るものではありませんし、第二楽章では、それこそ機械仕掛けのような正確さで疾走しますが、その速度を保ったまま、まるで鞭のようにしなやかかつ強靭で張りのある音が繰り出されたかと思いきや、その後に続くタッチが非常に繊細だったりと、最初は面喰いましたが、よく聴くと、ここしかないといったタイミングで仕掛けられているところが斬新であり、ポリーニの技術力でもってしか成し遂げることの出来ない演奏だと思わずにはいられません。
第三楽章のフーガなども、一つ一つの音が明晰に、しかも均等な音圧で鳴らされることで極上のドレープのような仕上がりをみせているのは、好き嫌いを別として、誰もが認めざるを得ない美質だと思うのです。
さらに近年、こうした演奏が一つの潮流となっていることを考えると、バックハウスと並んで、ベートーヴェン演奏のもう一つの基軸としての価値が、もうそろそろ認められても良いのではないか。そういう個人的感想を抱いています。もしかしたら、それはポリーニが32曲のピアノソナタを全集としてまとめた時なのかも知れません。