私が故ピアニストであるフリードリヒ・グルダを贔屓にしていることは、これまでにも述べてきたとおりですが、ワルトシュタインにおける音楽性は氏の演奏の中でも際立っていると考えるのは贔屓故のことなのでしょうか。

ともすればグルダの速弾きだけに目を奪われがちですが、実はゆったりとした大きな音楽性豊かなうねりの上で指が踊っているところに、この演奏の天衣無縫ぶりがあると思うのです。

さらにグルダはテンポ・ルバートという手法は極力使いません。その代わりに、デュナーミクを最大限に活かした演奏をします。耳をそばだてるような弱音から一気に音のマスだけを増大させたり、駈け出したりと様々に工夫を凝らしながら、聴く者を決して飽きさせることはないのです。
決して、一部の評論家が言う「ジャカジャカ鳴らす」演奏ではないのです。

とはいえ、純粋にワルトシュタインを誰の演奏で聴きたいか、と問われれば、今の私なら「それならバックハウスです」と即応するでしょう。
この演奏におけるバックハウスの入れ込みようにはただならぬものがあり、とにかく、すばらしい造形美だと感じ入っております。
もしかしたら、ギレリスの演奏の方がバックハウスよりも好みである可能性はありますが、未聴なので何とも言いようがないですね。この判断には少なくとも、あと数か月はかかることでしょう。

この曲に関して、今さら何も言うことなんて無さそうなもんですね・・・ただ、バックハウスが「 テンポ・ルバートや誇張したダイナミックはセンチメンタルで耐えられなくなる」と言った割には情感を湛えた第一楽章には、思わずニヤリとしてしまいます。ワルトシュタインにしてもそうですが、中期の人気曲ともなると、バックハウスといえど気合いが入ってしまうものなのでしょうか?

とはいえ、個人的にはフリードリヒ・グルダの60年代の録音が好みです。
バックハウスの演奏が、一つ一つの音の輪郭が明確なのに対し、グルダの演奏はまったくの正反対・・・第一楽章を輪郭も朧げな弱音から始まって、情感いっぱいに見事な造形を紡ぎだしていきます。

それだけではありません。60年代のグルダは、決してベートーヴェンを重々しく弾こうとはしません。この14番においても、第三楽章に入った途端、茫洋と広がった水面に小波が次々と広がっていくように、軽くて正確なリズムがときに強く、ときに弱く疾風の如く駆け回るのです。そうしておいて、まるで鞭の一振りのような強い打鍵でもって陰影豊かに描いていきます。これこそが、グルダの演奏を表す際に頻繁に引用されるところの「疾走」です。吉田秀和氏が名付け親だったと記憶しますが、グルダの演奏が
決して猪突猛進ではなく、隅々までコントロールされているという意味合いを残しておきたかったのでしょう。

また一方で、グルダの音が「軽すぎる」という批判を生んでいることも事実です。「軽いのではない」と言い張る方もおられますが、これは誤解ではなく「軽い」でしょう。しかし、それがどうだというのでしょう?
何も「太い音や、タメを作って、どっしりとした造形」ばかりがベートーヴェンの演奏ではないでしょうし、「ジャーン」と見栄を切らず「ジャン」と小さくまとめることのどこがいけないんでしょう。単なる好き嫌いのレベルであって、素人が批判するべきものではありませんよね。

このあたりのグルダ氏の思惑は今となっては推し量ることしかできないのですが、氏のベートーヴェン初期ピアノソナタを聴いていると徐々に、「氏は心底、聴いている人を楽しませたかったのではないか」という気になってきます。それは、コンサート会場で耳を傾けている人より、むしろ、小じんまりとしたサロンでこそ活かされる演奏なのかもしれません。決して見栄を張るような演奏ではなく、小さな酒場でジャズが演奏されるように、しかし、聴いている人に心から音楽を楽しんでもらう。
グルダはベートーヴェンの演奏を、作曲者の意図や積年の呪縛から解き放ち、本来、ピアノ演奏が生まれた場に戻そうとしたのかも知れない・・・などと、気ままな思索に入りながら今日も楽しんでいます。



モーツァルトのピアノソナタの中でも、素朴でありながら美しい佇まいの4番を好んで聴きますが、ベートーヴェンに対するバックハウスと同じく、モーツァルトに対してはギーゼキングの録音が歴史的な名盤と言われています。
インテンポで押しまくるので、馴染みにくい方もおられると思います。しかし、これはまさしくバックハウスのベートーヴェン演奏と同じく、虚飾を排して中道に準じているからであって、それゆえに、後々のモーツァルト演奏の基軸となり得たと言ってもいいのではないでしょうか?

情感のこもったリリー・クラウスの演奏も人気がありますし、私も好きなピアニストですが、こうした演奏を聴いていると、表現の素晴らしさにばかり目が行ってしまい、聴き手と演奏者の間にあるべき磁場というべき、聴き手が空想力を働かせる空間が失われているということをついつい見逃してしまいがちです。 -必要のない方にとってはどうでもいいことかも知れませんが。

さて、世間一般的には、そんなギーゼキングやリリー・クラウスが愛聴されることが多いのですが、私は敢えてバックハウスの弾くモーツァルトを声を大にして推薦したいと思うのです。一つ一つの音が太く明晰で、鮮やかな色彩をともなって屹立している、素晴らしく美しい演奏です。氏のベートーヴェン演奏ばかりが脚光を浴びる中で、地味な存在だったモーツァルト演奏はいつの間にか忘れられていったのでしょうか?今一度、見直されてほしい演奏です。