先日、ロッシーニの序曲集を聴きました。アバド指揮ヨーロッパ室内管によるもので、いずれもオペラへの期待感高まる曲ばかりでしたが、アバドの指揮は、まあいつもの通り、巷間で「温度の低い」「血が通ってない」と言われるいつものアバドでした。
確かに巷間の意見は外れてはいないと思いますが、しかし、アバドの指揮には、彼なりの良さがあります。楽器の一つ一つの音のおいしいところを精一杯引き出すため、残響音を残りにくくしたり、弱音はそのままに打楽器の強音を抑え目にしたり、ミュートを効かせて固めの音にしたりと、隅々にまで気を配って組み立て直しています。
こうして仕上がった音はまるで贅肉をそぎ落としたギリシャ彫刻のようです。確かな造形美ゆえ抒情性には欠けていますが、それが指揮者の熱というものを覆い隠してしまうのかも知れませんね。
ピアニストのポリーニと相通じるものを感じます。
しかしながら、このアバドらしさは、
1989年録音のブラームスの交響曲第2番に小川の照り返しのような流れのある美しさをもたらしますし、 1993年録音のマーラー交響曲第5番の切れ味にも見事にいきているのです。
確かに巷間の意見は外れてはいないと思いますが、しかし、アバドの指揮には、彼なりの良さがあります。楽器の一つ一つの音のおいしいところを精一杯引き出すため、残響音を残りにくくしたり、弱音はそのままに打楽器の強音を抑え目にしたり、ミュートを効かせて固めの音にしたりと、隅々にまで気を配って組み立て直しています。
こうして仕上がった音はまるで贅肉をそぎ落としたギリシャ彫刻のようです。確かな造形美ゆえ抒情性には欠けていますが、それが指揮者の熱というものを覆い隠してしまうのかも知れませんね。
ピアニストのポリーニと相通じるものを感じます。
しかしながら、このアバドらしさは、
1989年録音のブラームスの交響曲第2番に小川の照り返しのような流れのある美しさをもたらしますし、 1993年録音のマーラー交響曲第5番の切れ味にも見事にいきているのです。