【第4回再放送】が終わって市販された、

特別機動捜査隊 スペシャルセレクション<デジタルリマスター版> [DVD]

の作品から抽出しました。

市販品なのですが、東映chで再放送済みで、当方も視聴したことがあるため、過去のブログ記事に補足する形にとどめます。

 

 

※ 特別機動捜査隊 まえがき

捜査担当班の詳細については、wiki特捜隊-キャストを参照、また、(本放送)とはNETでの放送、(再放送)とは東映chでの放送を指します。出演者については配役名を略していますが、本文で書くこともあります。なお、出演者をもっと知りたいときは、リスト特捜隊で検索。

また、1963年公開の、映画版・特別機動捜査隊全2作とは趣が異なることに注意。

なお、オープニングやエンディングで配役名表記がされない作品については、従来の「発声のみの役名については平仮名表記」の原則だと平仮名だらけの文面となります。そこで役名・地名等は、検証本その他を引用、あるいは当方での当て字により、以下表記します。

配役名表記が有るため、従来の「発声のみの役名については平仮名表記」「オープニング・エンディングの表記と、劇中発声・表記が異なるときは、後者を優先」する原則に戻り、以下本文を表記します。例外は、その都度(備考)で示します。

 

☆・・・#511  黒い血

特別機動捜査隊(第511回)黒い血

 

 

 

(収録DVD)・・・VoL4、disc4、2021年3月10日発売

(本放送)・・・1971年8月18日

(脚本)・・・荒木芳久

(監督)・・・田中秀夫

(協力)・・・無し

(協賛)・・・無し

(助監督)・・・小笠原猛

(劇中ナレーター)・・・無し

(捜査担当・オープニング表記)・・・三船班

田中係長(山田禅二)、鑑察医(仲原新二)、鑑識課員(田川恒夫)、

鑑識課員(西郷昭二)、関根部長刑事(伊沢一郎)、岩井田刑事(滝川潤)、

松山刑事(松原光二)、笠原刑事(伊達正三郎)、森田刑事(北原隆)、

三船主任(青木義朗)

 

(出演者・エンディング表記)

・・・配役名を省いた、ゲスト全出演者名を以下に表記

松本紘一、美弥たか子、花村えいじ、岡崎夏子、石垣守一、春江ふかみ、大川義幸、

邦創典、西尾健、安田洋子、伴東武、大阪憲、藤瀬俊夫、神戸泰子、伊東新二、

須賀隆史、三上隆、伊藤慶子、春原貞雄、野村順子、森照子、井関栄子、大竹昇、

北山洋子、浜田美智子、山口儀子、福井淑子、町田幸夫、田中志幸、曽根秀介、

如月寛多

 

 

(過去のブログ記事)・・・

#511 黒い血

 

 

 

(補足視聴録)・・・

まず触れておきたいのは、(過去のブログ記事)での「荒木芳久 回想記」は現在では閉鎖されており、自身も荒木芳久の思い出と劇中内容との細かい齟齬は思い出せません<(_ _)> おそらく、荒木芳久の激しいカースタントの思い出について、自身が実見するとそれほどでもなかった感想との比較だったかと思うのですが、それを踏まえて今回再見をしました。

 

確かにカースタントは、現在の視点では「ごく当たり前」に見えてしまい、#503 純愛の海 での激しいアクションより劣ります。しかし、三船主任のカッコよさ、埋め立て地に単身乗り込むニヒルな姿を描き出したのは、一日の長がありました。三船主任と相性の良いひとり、田中秀夫監督ゆえの演出を堪能できた点で、荒木芳久脚本の構成は見事だと感じます。これはまた、

>山形県警・刑事が繰り返す「黒い血」発言に、

>三船主任の感情を見せない表情シーン

を挿入することでも、三船主任の当該事件に向けた「冷めた目」を強調する効果があります。

 

そして、以下は(過去のブログ記事)に肉づけする形での文章になります。

(過去のブログ記事)では、敢えて「禁忌的行為」とボカしましたが、いわゆる「いとこ婚」をテーマにしたのが当作です。自分などは、中学生の公民の授業のときに、法律上「いとこ婚は認められる」と説明されたとき驚いたことがありますが、当作では「いとこ婚=タブー=黒い血」として事件形態を描いています。

すなわち、「いとこ婚」は社会的風潮としてはタブーとされている立場で当作では描かれていますが、法律上は「3親等以内が婚姻禁止」の原則によりは認められています。本来なら、実態(当時の社会的風潮)と道理(法律上の根拠)とを対比させたほうが、より興味深い構成になったと思うのですが、当作は道理に触れず実態優先であります。

 

ただ世界観の違いというのもあるのか、世界各国では「いとこ婚」を認めているのも有れば、認めていないものもあります。アメリカに至っては、州法により有無が異なっています(25州は違法、19州は合法)。ですので、当作のような一元的な評価に反発する層もあることでしょう。

しかし、例は悪いですが、自分の年齢が上がるにつれ競馬で血統を調べるようになったところ、遺伝により競走馬の能力の優劣が起こり、近親交配となると駄馬の率が高くなるということを知りました。ところが、稀に微妙なバランスのもと優駿馬が生まれることもあり、「奇跡の血量」といわれたトウショウボーイなどは好例かもしれません。

これらから自分などは、稀な例はあくまで例外であり、「いとこ婚」は

>過去の歴史や、競走馬に血統重視思想が世界共通なところから、疑問は持つべき

ではないか。ただ婚姻は、法律上認められているため容認することはあっても、その遺伝を残すことは一考の余地があるというのが自分の考えでもあります。

 

まあ、たかがドラマにこんな思考を働かせるのもおかしいのですが、それだけ昭和のドラマの取り上げる題材には「自由」があったといえます。観る側もこれから思考を働かせ、物事の善悪、プロセスなどにシナプスを拡げていくことができました。

しかし、現在のドラマでは、当作の題材を取り上げるのはタブーの領域で、BPO(放送倫理・番組向上機構)からNGを突きつけられるでしょう。具体的にいえば、横溝正史の「悪魔が来りて笛を吹く」の映像化は、毎回原作を内容変更しています。また、その最新作の2018年度版は、地上波枠ではなくBS枠だったことからも、その扱いは明らかです。

視聴者は当たり障りのないドラマを観ているだけでいい、とでもいうのでしょうか。良し悪しはあれど、観ていて考える要素は残しておくべきだと考える次第です。。。