特別機動捜査隊に関連する作品、映画・Vシネ・テレビドラマ・動画に限定せず、あるいは脚本・監督にこだわらず、主観的に関連性がありそうと判断したものを取りあげました。

 

 

【悪魔の手毬唄】

 

 

(公開日)・・・1961年11月15日 (ニュー東映)

(放送日)・・・2020年11月23日 (AXNミステリー)

(脚本)・・・結束信二、渡辺邦男

(監督)・・・渡辺邦男

(出演者)

※特捜隊のレギュラー出演者印象にあるゲスト出演者、をそれぞれ色分け

高倉健、小野透、北原しげみ、大村文武、神田隆小林裕子、八代万智子、

志村妙子、山本麟一、永田靖、花沢徳衛、増田順司中村是好、石黒達也、

山口勇、不忍郷子花岡菊子大東良、北山達也、岡部正純、関山耕司、

北峰有二、岡野耕作、高須準之助、日尾孝司河合弦司、大野広高、沢彰謙、

仲塚光哉、菅原壮男、都健二、山田甲一、山之内修、木村梢、赤尾静子

 

 

(備考)

・特捜隊の初回#001 最後の犯人(ホシ)を追え は、1961年10月11日に本放送されているので、それから1カ月余りして当作が公開されたことになる。

・助監督は、龍伸之介。特捜隊では当作の約4年後、特別機動捜査隊(第197回)歪んだ花 で初監督をしたもよう。この作品は【第1回再放送】で欠番を免れている(当方未見)。

・ニュー東映の経緯はwiki「第二東映」に詳しいが、大雑把に、東映の主力スタッフ・キャストは従来通りの東映、サブのスタッフ・キャストは第二東映(ニュー東映)に分散、活躍の場を与えられたもの。映画の大量生産を目的としたが、映画の斜陽も手伝い1962年に元に戻った。

・小野透は美空ひばりの実弟で、後にかとう哲也と改名。

・志村妙子は、後の太地喜和子。上記のとおり、当作の約1ヵ月前の#001 最後の犯人(ホシ)を追え にも出演した。

・不忍郷子は、後の進藤幸。特捜隊に助演多数。

・資料に矢野刑事役で関山耕司とあるが、劇中では見当たらず、誤記の可能性有り。

・各資料には、おいとを演じた女優を五月藤江としているが、クレジット表記もされていないので誤り。クレジット表記通り、花岡菊子が正しい。

・劇中で歌われる手毬唄の歌詞は以下のとおり

>裏のお庭の竹藪で

>1羽の雀の言うことにゃ

>あの娘器量良し、手毬をつけば

>赤い手絡(テガラ、髷の根元につける布)が、ゆらゆら揺れて

>袂(タモト)くわえた紅(ベニ)が散る

>ほら紅が散る

>

>村の外れのお社(ヤシロ)で

>2羽の雀の言うことにゃ

>あの娘器量良し、願掛け参り

>梅の小枝に、秘め文(ブミ)結ぶ

>袂(タモト)くわえた紅(ベニ)が散る

>ほら紅が散る

>

>天神様の細道で

>3羽の雀の言うことにゃ

>あの娘器量良し、人待ち顔が

>ぽおっと染まって、あら恥ずかしい

>袂(タモト)くわえた紅(ベニ)が散る

>ほら紅が散る

>

・配役名は、おおむねMovie Walker 、weblio に従った。

・原作は、雑誌・宝石に1957年8月号 - 1959年1月号に連載され、完結して2年後に映画化されたことになる(書籍として刊行されたのは1971年7月)。

 

 

(私的あらすじ) 開始約15分後半まで

岡山県鬼首町は仁礼家の当主・剛造(永田靖)が幅を利かせており、妻・宮子(不忍郷子)、長男・源一郎(大村文武)、次女・里子(志村妙子)は唯々諾々と従う日々であったが、長女・須磨子(八代万智子)は上京し、歌手・和泉須磨子として成功を収めていた。その須磨子が帰郷のため車で向かう途中の夜、林の中で運転手(大東良?)もろとも殺害されているのが発見された。恐るべきは、須磨子の死体の上に置かれたトランジスタラジオから、鬼首町に古くから伝わる手毬唄をアレンジした新曲が、葬送曲のように流れていたことであった。

 

所轄署では、磯川警部(神田隆)を中心に「和泉須磨子殺人事件捜査本部」を設置、捜査に取り掛かるが、そんな中、鬼首町鬼塚の亀乃湯旅館に1台のスポーツカーが乗りつけられる。乗っていた若いジャケット青年(高倉健)は、女中・光枝(小林裕子)に宿泊を希望、都会風の青年のいでたちに光枝は驚くばかりだった。湯治で有名な亀乃湯には、年配層の宿泊客が多く、神経痛だが浪曲好きの石山(石栗達也)、目が悪くサングラスをかけたままの日下部(山口勇)、日下部の連れで世話好きの吉田(増田順司)が滞在していたが、ジャケット青年は部屋に着くなり、光枝に仁礼家のことをいろいろと聞き出すのだった。

 

その夜、仁礼家では須磨子の通夜であったが、離れの縁側では剛造が古畑辰蔵(中村是好)と話し合っていた。辰蔵は18年ぶりに帰郷、今は放庵(花沢徳衛)のところに居候とのことだが、一升瓶をラッパ飲みの体で、剛造との会話からすると過去にいろいろあったことが窺えた。そこに、須磨子の最後のテレビ出演映像が放送されるため、里子が剛造を呼びに来て通夜をしている母屋へと向かう。テレビの前には、仁礼家の雇人や弔問客のほか、剛造、宮子、里子、源一郎が集まり、須磨子の映像を見つめる。須磨子は、匿名のファンから鬼首町の民謡を贈られ、それを新曲にしたということで歌い始めるが、これを聴いていた剛造はいきなり唸り始め、両耳を抑えて離れに駆け出し、辰蔵もずいぶんと古い唄だと絶叫する。

 

このテレビ中継は亀乃湯の応接間でも数多くの人に観られており、日下部はこの唄が死体発見現場でラジオから流れていたことに怪談らしさを感じたと話すが、居合わせたリーゼント青年(小野透)は、単なる偶然で遺族のことを思えば慎むべきだと立腹する。とそこに、ジャケット青年は、日下部の受け取り方も有り得ると返し、さらには些細なことから、リーゼント青年のことを神戸・阪神大学の学生で里子と同窓の遠藤和雄だと指摘する。八卦見のようだと驚く光枝であったが、そこに温泉に浸かりに放庵がやって来て「わしに言わせりゃ、この世の中は怪談みたいなものだ」とジャケット青年に悪態をつく。そして、このジャケット青年こそ、後にわかることであるが、私立探偵・金田一耕助なのであった・・・。

 

※その他キャスティングは、金田一耕助の女性秘書・白木静子(北原しげみ)、剛造の配下・栗林(山本麟一)、占い師・おいと(花岡菊子)などがある。

 

 

(視聴録)

当作は、2017年9月に東映chで放送され実見済みであり、何かのタイミングで書いてみようと思っていました。そうしたら、2020年11月23日にAXNミステリーで金田一耕助特集が組まれ、片岡千恵蔵版・金田一耕助の「三本指の男」(註・原作は本陣殺人事件)が放送、当作も放送されたので、再見して書いてみたものです。

 

一言でいえば、横溝正史原作の「悪魔の手毬唄」とは別物といってよい独創性を持っています。つまり、悪くいえば似ても似つかぬ作品ですが、良くいえば現代風の趣に溢れた作品です。

ただ、これには片岡千恵蔵版・金田一耕助の先例があり、具体的には脚本・比佐芳武による原作大幅改変(詳細は片岡千恵蔵の金田一耕助シリーズ・・・特捜隊とは未関連ですが・・・ を参照のこと)を踏襲したことになります。しかし、wikiの記事通り

>没になった脚本を渡され、全く原作を読まずに書いた

のが正しければ、当作では結束信二が原作大幅改変を行なったことになりますが、伝え聞く比佐芳武の気性(小林旭版・多羅尾伴内での鈴木則文監督との衝突)を考えると、多少の根回しを比佐芳武あるいは横溝正史と行なったものと推測されます。

これが

>最終的には監督の渡辺が手を入れて完成した。

という、wikiの記事に繋がるものとも考えられます。

 

さて、それでは独創性有る「悪魔の手毬唄」の出来はどうかというと、横溝正史主要作品にみられる血縁のおどろおどろしさ、複雑な人間(男女)関係はあまり強調されること無く、金田一耕助の天才ぶりを前面に出すことを主眼にしているようです。これは、映画という性格上、「主演・高倉健」の売り出しに重きを置き、併行して「天下の美空ひばりの実弟・小野透」を金田一耕助の助手的立場で注目させ売り出すということなのでしょう。ヨレヨレの袴姿こそが金田一耕助だと思っても、映画という媒体であれば「カッコ良さ」をとるわけで、片岡千恵蔵版・金田一耕助もスーツ姿で登場でしたから仕方はないのでしょう。

ただこれは悪いことではなく、横溝正史の世界を斜め上から俯瞰するということで、別の面白さが発見できるわけで、なかなか面白い1時間24分の作品でした。

 

その点でいえば、当作でのキーパーソンが金田一耕助=高倉健のほか、辰蔵=中村是好というのも着目出来ます。とにかく、各エピソードにおいて辰蔵の占める領域は広く、演じる中村是好も特捜隊作品の#520 幻の召集令状 を知る立場からは、オーバーアクト気味とはいえインパクトを残しています。剛造演じる永田靖との絡みも、なかなか興味深かったです。

 

しかし、その分、探偵小説的な興味が失われたことは否定出来ず

・須磨子と運転手の死因、殺害方法が一切不明

・真犯人がオイルをまいた時刻が不明瞭

・洪水による被害者の人物特定が説明不足

・ある人物の20年前の事件についての説明が辻褄が合わない

など、首を捻ることがままあります。

上記の(私的あらすじ)で詳細は省きましたが、wikiにはネタバレながら当作のプロットが記されているので、比較すれば上記4点がどの部分かわかると思われます。

 

そして、特捜隊との関連で考えると、助監督が龍伸之介であることに驚かされます。当作はロケとスタジオとの併用撮影と思われますが、ロケの部分では須磨子殺害場面のアングル、スタジオの部分では剛造・栗林の会話のアングルは、後年の特捜隊での作品で見かける意味ありげな場面と酷似しています。これは、助監督時代についた監督さんの技法を手の内に入れた結果とも思え、これまた興味のあるところです。

直接的に特捜隊と関連ある作品とはいえませんが、個々の部分において、何かしら

結びついているものが有ると感じる作品ではあります。