※ 特別機動捜査隊 まえがき

捜査担当班の詳細については、wiki特捜隊-キャストを参照、また、(本放送)とはNETでの放送、(再放送)とは東映chでの放送を指します。出演者については配役名を略していますが、本文で書くこともあります。なお、出演者をもっと知りたいときは、リスト特捜隊で検索。

また、(出演者)は、エンディングで、一列~三列で表示された男優・女優に限定しました。

1963年公開の、映画版・特別機動捜査隊全2作とは趣が異なることに注意。

 

☆・・・#785  暴走時代

 

 

 

(本放送)・・・1976年12月8日

(再放送)・・・2020年6月25日

(脚本)・・・西沢治

(監督)・・・島崎喜美男

協力)・・・無し

(協賛)・・・無し

(捜査担当・オープニング表記)・・・日高班

田中係長(山田禅二)、鑑識員(田川勝雄)、鑑識員(西郷隆)、

関根部長刑事(伊沢一郎)、御木本刑事(森哲夫)、佐田刑事(立花直樹)、

田坂刑事(倉石功)、谷山部長刑事(和崎俊哉)、日高主任(葉山良二)

 

(出演者)・・・

水沢有美、西島明彦、大森不二香、神ひろし、高木哲也、小笠原まりこ、桜井明子、

宮桂子、松木聖、杉義一、山根久幸、松村彦二郎、喜多道枝、杉江広太郎、内田稔、

島宇志夫

 

 

(あらすじ・予告篇から)

・・・ ※当時のナレーションをそのまま聞き写しています。

 

一流大学、受験地獄、重苦しい期待感、落ちこぼれ、

オートバイ、セックス、虚しさ・・・。

それもまた、青春の一段目。

ひとりの高校生の死!

殺人という犯罪行為を巡って、教師、親兄弟、生徒たち、

各々のエゴがぶつかり合い、

またひとつ、別の悲劇を呼んでいく・・・!

次回、特捜隊、「暴走時代」、御期待ください。

 

 

(備考)・・・

・三船班から佐田刑事、矢崎班から谷山部長刑事・田坂刑事と、【第3回再放送】で時折みられた3つの捜査班の混成メンバー。

・劇中で発見されたメモ書きの詩は、以下の通り。

>大井埠頭の埋立地

>雑草しげる番外地

>草の向こうに海があり

>風も淋しい子の眺め

>すてた故郷を思い出す

・鑑識員(西郷隆)の出演場面は見当たらない。

・劇中の、上原の妻、丹波律子の知人は、それぞれエンディングの桜井明子、宮桂子のいずれかと思われるが、判断しにくいため以下本文では未詳とする。

 

 

(視聴録)・・・開始約15分後半まで

 

東京都内の私立・かすがだい高校3年生のクラス。この事件は、担任・吉行(ヨシユキ、杉江広太郎)、クラスの優等生である佐久間功(神ひろし)、上原英樹(高木哲也)の2人、落ちこぼれの暴走族・関進一(西島明彦)を巡るもので、それは功の父・佐久間昇(内田稔)、功の母・信子(喜多道枝)、英樹の父・上原(山根久幸)、英樹の母(未詳)、進一の姉・美佐江(水沢有美)をも巻き込んでいくものであった。。。

 

ある早朝、文京区小林町2丁目の小林公園に青年の死体発見の報を受け、日高班は現場に到着、捜査となる。死亡推定時刻は昨夜11時半、ナイフ状の刃物で胸・背中を刺されての出血多量死であった。関根が、被害者のポケットから

>君とケンカする気はない。話したいんだ 

>今夜11時半、小林公園で待っている 3日 佐久間功君 進一

というメモを発見したことで、日高主任は、功が進一に呼び出され、話がこじれて喧嘩になった可能性を考える。そして、顔写真・佐久間功の名前をもとに近所を聞きこむと、被害者は功と確定する。

 

霊安室では、遺体を前に佐久間、信子が号泣。佐久間に日高主任・田坂が功の話を聞くと、功は勉強の合間に散歩することがあり、昨夜も11時過ぎに外出したという。そして、進一については、授業についていけない落ちこぼれが暴走族になり、成績優良な同級生に敵愾心を抱き、恨み敵視するものだと締めくくった。

 

高校へ向かった谷山・御木本は吉行に聞きこみ、進一は昨日昼に無断早退、欠席過多で暴走族ということもあり良い顔をしなかったが、功のライバルでもあり親友の英樹なら知っているかもしれないと、ともに校庭の英樹の元へ向かう。

英樹と功は、丹波律子(松木聖)が運営する丹波数学塾に通っており、功は昨夜9時ごろ帰ったが、自分はマンツーマンの特訓で午前0時半まで残されたという。そして、功と進一の関係については、昨日昼に学校廊下で、英樹が功に進一のことを聞くと「何とも思わない、進一はクラス成績下位で人種が違う、どうであろうと関係ない」と口走ったのだが、このとき進一が立ち聞き、走ってどこかへ行ってしまったと答える。すると、吉行はこれで無断早退に合点がいったのか、微笑んで頷くのだった。

 

関根・佐田は進一宅で姉・美佐江に聞きこみ、すると進一から電話がかかり、昨夜から友達の家にいると言うが(註・映像では大森不二香演じる恋人・トモ子の家にいるとわかる)、美佐江は功殺害事件のいきさつを語る。驚いた進一に、関根が電話を代わり、詳しく話を聞きたい旨を強調するが、進一は電話を切ってしまう。その後、関根・佐田は美佐江からこれといった情報を得られず帰ることになるが、進一からの再度の連絡を考え、張り込みを行なうことにする。

 

そして田中係長から日高主任に、メモの筆跡は進一のものという鑑定結果が無線で連絡されたことで、進一への容疑を固め、田坂と所轄署の暴走族対策本部へと向かう。すると、所轄署刑事(松村彦二郎)から、進一は、はやかわ京太郎(鈴木恒)をリーダーとした暴走族・アウトステップのメンバーであり、駅前のシーホースという喫茶店を溜り場にしていることがわかる。そこで、日高主任・田坂が店を訪れると、京太郎はギターを弾きながら、マダム(小笠原まりこ)やメンバー相手に、世間を目の敵にする歌声を披露していた・・・。

 

 

上記本文には、毎度のことながらサブストーリーがあり、丹波数学塾を運営する律子が、授業の合間に別れ話を拒否する電話の場面から始まります。そして、電話の相手が子供のために別れると言うと、

>子供のために私を捨てて、奥さんの元へ帰るなら、そんな子供は殺してやる

などと物騒な言葉を吐き、果物ナイフを握る手がアップになります。

このサブストーリーは上記本文と併行して描かれ、本筋の話とどのようにリンクしていくのか、そして功殺害事件の犯人と真相は何かを興趣としながら、後半に展開していきます。

 

当作は刑事ドラマとしては、良く出来ていると思います。犯人追及の場面を、ある人物と上手くクロスさせながら展開、映像の妙というかトリックは申し分ないでしょう。クライマックスの神宮球場(?)の場面でも、暗めの映像・背後からの人物描写で、キーパーソンは誰だったかを明らかにするなど、「プレイガール」で鳴らした島崎喜美男監督の演出テクニックであり、たぶん他の監督さんの演出では見かけなかったように記憶しています。

 

さらに、本筋の日高班ストーリーにサブストーリー(律子関連)を被せてくる手法も、特捜隊近作で多く見られる展開を、「ちぎっては投げ」的な挿入をしてくるところは斬新です。

また人間ドラマとしては、優等生と劣等生、学校と家庭、3つの家庭、結婚と独身、夫婦と恋人など、対比に力点を置き視聴者の興味を引こうとする脚本・西沢治の狙いも見え隠れします。

ところが、この手法と構成が上手くいっているかというと話は別で、上記の対比は多すぎるきらいがあり、この構成ゆえに「ちぎっては投げ」的な挿入を余儀なくされたとも見えます。つまり、なんとか消化させようと、深い追及そこそこに次の場面への展開ということになり、観ていて集中しきれないかなの感があります。

 

あと、「優等生のいやらしさ」という点が、どうしても個人的には嫌悪感を抱かざるを得ず、かつて放送された#762 若き十七才哀歌

での、優等生の裏の顔を連想してしまいます。特に、当作ではこれに担任教師まで加わるという始末で、ラストに至っては寝覚めが悪いこと他にありません。

「落ちこぼれ」「劣等生」という言葉は使いたくは無いので、別の表現になりますが「空気の読めない同級生」がいるのは、今も昔も変わらないと思います。それでも、その人間のやる気を根本から無くしてしまうのは、自分の昔を振り返っても、教師・生徒にはいなかったと記憶しています。当作を観賞すると、フィクションとはいえ現実離れしすぎてないか? とも感じます。

 

自分自身の高校時代、数学や物理が性に合わず逃げ出したい思いで一杯でしたが、3年生になる前(2年生の3学期か?)に進学するうえで、文系か理系か、どちらかを選択する機会があり、文系を選択することで救われたことがあります。これが、将来の就職において成功したかというと?はつくのですが、それでも高校時代のストレスから解放された思いはあります。

それでいくと、当作の頃は、あるいは今現在の高校では、文系理系の選択はどうなのか、ふと考えます。数学は、(自分の表現で)中学の数量・図形はこなせても、数Ⅰ、数ⅡB、ましてや数Ⅲともなると五里霧中というのが本音で、劇中の進一の気持ちはわからなくもありません。

 

その反面、これが学校ではなく会社となると考え方は変わるもので、社会生活は学生生活とまるっきり異なる弱肉強食の世界であり、そうなると逆に功・英樹・吉行の考え方もわからなくはないという矛盾にぶつかります。いわゆる、ゆとり世代ともいわれる、「徒競走で順位をつけるより、メンバーが手を取りあいゴールイン」という考え方がもてはやされたことがありました。理想は理想としていいのですが、現実の社会に出て壁にぶつかったときどうする? という問題にぶち当たります。

自分の経験でいうと、そうゆう後輩あるいは部下は、いずれは辞めていきます。それでも、リストラという言葉が幅をきかせる前までは「引き止め」が、先輩あるいは上司の役割で、厳しくとも現実社会で生きていくしかないとわからせるのも仕事でした。ところが、その後は、「辞めるならどうぞ」「給料の安いうちは引き止めろ」とか、今振り返るととんでもない時代でした(笑)

 

話が横道に逸れすぎましたが、要は、当作を観ていますと、自身の高校時代と比較する頻度か高く、自身の経験とは違い過ぎるのに違和感を覚えたのです。それに加えて、前述した手法と構成のアンバランスも加わり、刑事ドラマとしては及第点でも、人間ドラマとして?をつけてしまうというのが自分の見立てです。

ただ、これは視聴者の世代、あるいはどのように高校生活を過ごしたかにより見方は異なると考えますので、相対的評価要素の大きい作品だと考えます。

 

あと気になったのは、近作で、特に日高班で多く見られる、第一印象で容疑者を追い詰めるスタイルは気になるところ。かつて「仏」のような関根部長刑事も、近作では「鬼」ならずとも「般若」に見えてきそうであり、これが特捜隊終焉に関連が有るのか? とふと考えるところです.。