※ 特別機動捜査隊 まえがき

捜査担当班の詳細については、wiki特捜隊-キャストを参照、また、(本放送)とはNETでの放送、(再放送)とは東映chでの放送を指します。出演者については配役名を略していますが、本文で書くこともあります。なお、出演者をもっと知りたいときは、リスト特捜隊で検索。

また、(出演者)は、エンディングで、一列~三列で表示された男優・女優に限定しました。

1963年公開の、映画版・特別機動捜査隊全2作とは趣が異なることに注意。

 

☆・・・#751  金貸し一代

 

 

 

(本放送)・・・1976年4月7日

(再放送)・・・2020年2月27日

(脚本)・・・佐々木武観

(監督)・・・伊賀山正光

協力)・・・無し

(協賛)・・・無し

(捜査担当・オープニング表記)・・・三船班

田中係長(山田禅二)、鑑識員(田川勝雄)、鑑識員(西郷昭二)、

関根部長刑事(伊沢一郎)、石原刑事(吉田豊明)、水木刑事(水木襄)、

松木部長刑事(早川雄三)、畑野刑事(宗方勝巳)、三船主任(青木義朗)

 

(出演者)・・・

若宮大祐、朝比奈順子、桐原史雄、星野暁一、加藤寿、島田潤子、たくみさよ、

汐見直行、九重ひろ子、長島隆一、原万作、杉義一、花岡菊子、五月晴子、

小桜京子、宮本曠二郎

 

 

(あらすじ・予告篇から)

・・・ ※当時のナレーションをそのまま聞き写しています。

 

鬼!

鬼と呼ばれる老人がいた。

十円の金を大事にする、金貸しの老人が・・・。

情無用の取立てと、確実な担保要求は、

人々を悲しみのどん底へ突き落とし、

憎しみだけを沸き立たせていた。

そして、老人の周りに沈殿する金の薄汚さと憎悪は、

人間を闘争へと駆り立て、殺人を呼んでいく・・・!

恨まれ、憎まれるのを覚悟し、

残り少ない人生を鬼と呼ばれて生きる、

老人の隠された願いと真実とは・・・?

次回、特捜隊、「金貸し一代」、御期待ください。

 

 

(備考)・・・

・音楽が、これまで小林亜星が担っていたものから、横田年昭へと変更。これまでの特捜隊のイメージを一新するもので、当時の視聴者から受け入れられたのかは不明。後日、音楽は#762 若き十七才哀歌にて変更されるものの、当作から約1年後に本放送終了となる。

 

 

(視聴録)・・・開始約13分後半まで

 

新宿に事務所兼自宅を構え、低利金融を商う高村源三(若宮大祐)は、今朝も事務方・ユリ(神崎幸子)に送られ仕事に出かける。担保が無いと貸さない堅実経営の反面、支払いが滞ったときの強引な取立は凄まじいもので、人々から「鬼源」と陰口を叩かれていた。これは同業者からも同じで、金森商事社長・金森(五月晴子)配下の、梅本(桐原史雄)、中沢(松本敏男)は夜になっても、一泡吹かせようと高村を探し回っていた。

その高村は小料理屋・やたけを訪問、飲食中の鈴木幸治(星野暁一)に借金の返済を迫り、他の客の手前もあり、マスター・喜田(原万作)、その妻(たくみさよ?)はうんざり顔。そして、払えないという鈴木へ怒鳴る高村に対し、いつしか喜田も激高、高村の挑発めいた発言もあり2人で外で話すことになる。そこに通りかかったのが、近所に住む増見恵子(朝比奈順子)。喜田と収まりがつき、ひとりで立ち去る高村の後をつけていく。。。

 

翌日、特捜隊本部では、神社の境内で死体となって発見された恵子について、田中係長・三船主任が鑑識の報告を聞いていた。恵子は絞殺され(窒息死)、血のついた現金3万円、ポケットにあるボタンを遺留品として回収。その血はAB型で恵子と一致、右手のかすり傷から付いたものと推定された。そして、関根が恵子の住むアパートを突き止めたことから、関根・水木はアパートに向かい管理人(九重ひろ子)に聞きこむ。恵子は5年前に集団就職で岩手から上京、このアパートには2年前から住み、レストラン樺に勤務していることが明らかになる。そこに、アパートの住人でもある鈴木、近所で恵子の死をきいた喜田がやって来たこともあり、2人からも話を聞く。とそこに、室内捜索をしていた水木が恵子の日記帳を発見、恵子は金に困っていた様子が綴られており、恋人でもある小山和夫(加藤寿)の名前も見出せた。

 

そのあと、水木は畑野とレストラン樺へ向かうが、再度喜田とすれ違ったことに首を傾げながらも、女店主(金子弘美?)に話を聞くと、恵子には給料のみの支給で、貸したことは無く給料日はまだ先だという。そして、入院している小山の病院会計金かもしれないと言われたことから、病院を訪ねることにする。が、小山の病室のドアを開けた畑野・水木の目に映ったものは、またもや喜田の姿であった。

 

一方、鈴木の工場に電話した高村は、女事務員(長谷川佳代子)を通じ、鈴木に再三の支払を督促するが、払えないという態度に工場に乗り込むと宣言。外れたボタンをユリに縫ってもらった高村は(註・この場面で外れたボタン=遺留品と視聴者にわかる)出かけることになるが、結局、進展の無さに馴染みの焼き鳥屋で飲むことにする。女将(花岡菊子)、店主・六太郎(宮本曠二郎)、そして高村は大阪出身で気心の知れる仲であった。そこに常連の着物女(小桜京子)も来て酒を飲んでいるが、女将・六太郎は最近の高村の風評に諫言する。しかし高村は、貸した金を約束通りに取り立てているだけで、なぜ責められなくてはならないのかと反論する。その最中、ラジオから恵子が殺されたニュースが流れると、高村の顔つきは何やら神妙そうなものに変わっていった・・・。

 

 

当作がつくられたころの風評は、「金を貸す側=悪」というものがあり、人の弱みにつけこみ金を貸し、返せなければ身ぐるみ剥いで叩き出す「金貸し」に対して嫌悪感がありました。自分自身もそう思い、本放送の頃はまだ義務教育の世代でしたが、同様の気持ちを抱いていました。ただ、「わかっていながら、なぜ人は金を借りるのか?」という、疑問はありました。

その後、学生生活、社会人生活となり、それ相当に年齢を重ねてきました。周辺の人たちのいろいろな形態を眺めての、「当作の金貸し」の印象となりますが、別段、高村に対して嫌悪感を持たない自分自身がいたのです。要は、「取立ての態度」については「人でなし」でありましょうが、相手が払わない、当方は期日を数日すぎての取立てですから、「払えない」と連絡も入れずのうのうと飲食している相手に非が有ると、自分自身は考えます。そして、それ以外のことは相互の契約に基づき行なっていることで、担保を確保したうえでの督促ですから、高村のしていることは、おかしいとは思えないのです。

 

これからは、自分自身の話になりますので、興味ない方は省いてください。

というのは、自分も働く身でありますので、給料の銀行口座(及びキャッシュカード)は持っていますが、仕事柄、別途クレジットカード加入を要請され持つようになりました。正直、クレジットカードについては、前述した金貸し、すなわち「形を変えた金貸し」のように見え、「ある確信」が無ければ積極的に使うことは無く、いわゆる「キャッシング」にしても同様です。

 

つまり、給料やボーナスを貰えることを前提にクレジットカードを使うことには抵抗があり、自分の銀行口座に余裕があり、たまたま手持ちの現金が無いときにクレジットカード(というより、最近はデビットカード)を使うのが自分のスタイルです。つまり、お金が確実に払える確信=前述の「ある確信」があって使うものだという認識があり、いつ職を失うかわからない今のご時世では、とてもクレジットカード、ましてやキャッシングなど使う気になれないのです。

 

また前述した「周辺の人たちのいろいろな形態」というのは、いわゆるカードローンで身を持ち崩した部下もいましたし、逆に形を変えた金貸しの立場からでは、日本リースの経営破綻により債権回収が出来なくなった取引先の方もいました。これらをみてきたり、上記の自分の信条からすると、果たして高村が一方的に「鬼」といわれるほど酷いものか? 借り手側にも瑕疵は無いのか? また同業者の金森商事の調査不足は無かったのか? などと考えます。

 

そして、取り立てられるのが嫌なら借りなければいい、その前提として借りる羽目に陥らなければいい、さらにその前提として「ご利用は計画的に」ではないですが、「給料の使い方は計画的に」すればいいということに着地すると考えます。

要は、無借金で上手く乗り切る思考を持てばいいということで、そのためには賭け事でいう「最後の種銭」のように、いざというときの「へそくり」は確保すべきでしょう。ですので、毎月毎日が「渇々」にならないよう心構えましょう、最低でも高額療養費の負担分の金額だけは、使わずに確保しておきましょう、というふうにしておけば、「金貸し」の世話になることも無く、普通の生活ができるのでは。。。

 

とまあ、長くなりましたが、あくまでこれは自分の考えに過ぎず、人それぞれで、個々の事例もあることですのでひとくくりにすることは出来ません。ただ自分の、この考えから言えば、一方的に「高村=鬼」ではないという立場になり(ただラストは、結局は高村も犯罪を犯しているというアンチテーゼに繋がるようにもみえますが)、当作のテーマを、あの佐々木武観が脚色したことに興味を持つとともに、「金貸し」を主人公とした特捜隊の中では、上位に来る興趣ある作品であると感じます。

 

が、全体的にみた出来としては、テーマが膨らみすぎたのか、あるいは伊賀山正光監督の演出技法に問題があるのか、「省略」を多用しているため、「あれ?今はどの場面にいるのだろう?」という印象を抱いてしまうのに気づきます。具体的にいえば、序盤の「店前→路上→林の中」の場面異動は飛躍がありすぎでわかりづらい。

また、上記本文で(註・この場面で外れたボタン=遺留品と視聴者にわかる)と触れており、上記本文だけを読んだ方だと、高村の態度に「疑惑」が湧くと思います。ところが、ネタバレになりますが、劇中場面を敢えて触れると、前半場面で高村が立ち去った後に恵子がボタンを拾う場面があるため、外れたボタン場面については、さほど高村に「疑惑」が湧きません。

 

さらに、恵子を殺害した動機もとってつけたようであり、やたら場面に登場する喜田は何だったのかと首を捻る場面も多いのです。これらから、脚本題材は佐々木武観にしては上々だったのですが、構成や伊賀山正光監督の演出で大きくマイナスになったのでは? というのが自分の見方です。前述したラスト場面も、もう少し工夫が出来たのでは? とも考えます。

 

当作で高村を演じた若宮大祐は、以前「おさな妻」で拝見した俳優さんで、非常にクセのあるお爺さんを上手く演じていました。wikiでは、戦前から活躍されていたようですので、もしかして関根を演じた伊沢一郎とも、馴染みがあったかもしれません。

恵子を演じた朝比奈順子は、4年後に日活ロマンポルノ女優として転進することになりますが、山科ゆり、片桐夕子、望順子(志麻いづみ)、宮井えりな、あるいは黒沢のり子・・・など、ここにきて特捜隊に日活ロマンポルノ女優の出演も目立ちます。これは、東映ピンキーバイオレンス女優との対比ということからなのか? これまた、興味のあるところでありました。