※ 特別機動捜査隊 まえがき

捜査担当班の詳細については、wiki特捜隊-キャストを参照、また、(本放送)とはNETでの放送、(再放送)とは東映chでの放送を指します。出演者については配役名を略していますが、本文で書くこともあります。なお、出演者をもっと知りたいときは、リスト特捜隊で検索。

また、(出演者)は、エンディングで、一列~三列で表示された男優・女優に限定しました。

1963年公開の、映画版・特別機動捜査隊全2作とは趣が異なることに注意。

 

☆・・・#670  空飛ぶ円盤

 

 

 

(本放送)・・・1974年9月4日

(再放送)・・・2019年5月16日

(脚本)・・・西沢治

(監督)・・・北村秀敏

協力)・・・無し

(協賛)・・・無し

(捜査担当・オープニング表記)・・・矢崎班

田中係長(山田禅二)、鑑識員(西郷昭二)、鑑識員(田川恒夫)、

谷山部長刑事(和崎俊哉)、岩下刑事(岩下健)、保田刑事(船水進)、

桂刑事(佐竹一男)、田坂刑事(倉石功)、矢崎主任(亀石征一郎)

 

(出演者)・・・

竹尾智晴、内藤杏子、中野文吾、三鈴栄子、五月晴子、村上幹夫、杉弥生、

古谷徹、小林テル、山田喜芳、田口和政、河野洋子、真弓田一夫、池田忠夫、

松風はる美、松下達夫

 

 

(あらすじ・予告篇から)

・・・ ※当時のナレーションをそのまま聞き写しています。

 

電話ボックス爆破事件・・・、

そして、病院裏手で起こった、

この殺害事件はいかなるかかわりを持つか・・・?

現場に残された、空飛ぶ円盤の写真が、

事件のカギを握っていた!

若者たち・・・、大学受験に失敗し、

そのうえ有名予備校にも入れない予備校浪人たちは、

いったい何を考え、何を求めるか・・・?

今の教育制度の在り方と、家庭教育の誤りが、罪を呼ぶ・・・!

電話ボックス爆破事件により、下半身不随で歩行不可能な少女は、

爆破犯人に恨みをいだく。

殺しの犯人は宇宙人だと、矢崎班の捜査を手間取らせる少年。

希望の無い予備校浪人たちの無気力な生き方と、

教育の在り方に反省を求める、

次回、矢崎班の活躍、「空飛ぶ円盤」に御期待ください。

 

 

(備考)・・・

・竹尾智晴は、現在では声優として(「それいけ!アンパンマン」のバイキンマン吹替で)著名な中尾隆聖。なお、同じ声優で、#655 ある特捜記者 に引き続き、古谷徹が共演している。

・殺人現場の背景の鉄道路線は、当時あった銀座線・渋谷検車庫で、現在は渋谷マークシティとなっている。また、南原病院は、現在の渋谷道玄坂ビルの位置となる。そして、劇中で発声・表記される殺人現場住所は、正確である。

・検証本にしたがい、「ふせ輝彦」を「布施輝彦」と以下本文で記す。

・鑑識員のいう「こうどうなんこつ」は、「甲状軟骨」の誤りと思われ、以下そのように記す。

・ハラッパの予備校浪人生の役名が不明のため、以下は特徴で記す。

・検証本によると、次回の矢崎班登場は、#675  疑惑の夜 となる。

・再見時視聴=#670 空飛ぶ円盤【スペシャルセレクション】

 

 

(視聴録)

・・・開始20分後半まで

 

道玄坂の南原病院裏手で男の他殺体の報を受け、矢崎班は現場に到着した。うつ伏せに倒れた男の死因は、背後から(甲状軟骨が折れるほどの強い力)の扼殺、死亡時刻は昨晩9時と推定された。遺留品は、遺体の背中に「空飛ぶ円盤」の写真が置かれ、ポケットからは鍵、代々木公園駅前のスナック喫茶・ハラッパのマッチ箱も発見された。谷山は、死体発見が早朝6時で、死亡時刻から時間幅があることに首をかしげる。

死体は、近くに住む浪人生・布施輝彦(竹尾智晴)が、散歩で通りかかり発見したものであったが、谷山の疑問に輝彦が答える。この地域は午後8時を回ると人通りが少なく、ゆえに、今朝まで死体が発見されなかったという。さらに、輝彦は病院内の聞きこんでみろとか薀蓄を傾けるので、谷山は退去を命じ、矢崎主任、田坂はその様子を冷ややかに見ていた。

 

その後、矢崎、桂は原宿方面へ向かいスナック喫茶・ハラッパで聞きこみ、マダム(未詳)、女店員(未詳)に他殺体男の写真を見せる。すると、3日前の夜8時ごろ来店した初見客であり、当夜は軍歌を歌う予備校浪人生の、メガネ男(未詳)、黄Tシャツ男(未詳)、半袖シャツ男(古谷徹)ほか5人組も来ていたという。さらに、他殺体男が2時間後に退店してまもなく、外の電話ボックスで爆破事件があり、電話利用客が被害を受けていた。

 

そして、谷山からの、昨晩、他殺体男は南原病院・601号室の女性患者を訪ねたという報告から、矢崎主任は谷山と病院へと向かう。女性は、くろやなぎえり子(内藤杏子)、17歳の高校3年生で電話ボックス爆破事件の被害者であった。両足首の関節が砕けるほどの重症、医者(未詳)の見立てでは、全治6か月と診断されていた。えり子は、他殺体男を、昨晩訪ねて来たボーイフレンド・風間哲郎(中野文吾)と証言、昨晩9時少し前に花束を持参、面会終了時刻の9時には帰ったといい、病室にいた時間帯は哲郎、えり子の2人だけだったという。

特捜隊車両で引き揚げようとする、矢崎主任、谷山に田坂が近寄る。輝彦の様子に不審なところは無いという報告だったが、谷山は病院内を聞きこむよう話した輝彦の態度に納得できず、再度調べるよう田坂を促す。

 

えり子から情報を得た矢崎主任、谷山は風間家を訪問、哲郎の死に驚く母(松風はる美)だったが、鍵を閉められ部屋に入れないというと、谷山は遺留品の鍵で開ける。室内には、時限爆弾をつくれる原材料が揃っており、発見された哲郎の日記の記述からも、電話ボックス爆破事件の犯人であることは明らかであった。また、部屋に入れてもらえない、部屋に入ると恨まれるという哲郎母の言葉に、谷山はこの状態で家庭教育ができるのかと嘆くのだった。そして、霊安室に出向く、哲郎母、哲郎父(真弓田一夫)は、息子の死とともに、爆破犯人であることが信じられないと悲しみにくれるが、谷山は冷静に見つめていた。

 

特捜隊本部で小休止の矢崎班だが、矢崎主任は、爆破犯人・哲郎が被害者・えり子に会いに病院まで行くことが納得できなかった。それについて谷山は、今の若者の風潮から一笑に付すが、哲郎がえり子へ面会時の具合次第では、えり子が殺害した線も有り得ると話す。しかし、矢崎主任は、えり子の怪我の状況から病室→現場の100mを行けるかどうか疑問だと反論、それよりも遺留品の写真(註・指紋未検出)が何を意味するかと考えるのだった。

 

その最中、電話がかかってくる。受話器を取った矢崎主任は、

>俺は見た、

>絞め殺した犯人は宇宙人だ、

>宇宙人が哲郎の首を後ろから絞めた、

という内容に訝しがるのだった・・・。

 

※実際には、視聴された方ならおわかりなのですが、宇宙人云々の電話主が映る映像があり、視聴者にはこの時点で明らかになります。

 

 

その後、病院を訪れた矢崎主任、谷山はえり子に訊問、哲郎は自分が爆破したとは言わなかったと証言、哲郎=爆破犯人と知ったえり子は、哲郎からの花束を花瓶ごと床に投げつけます。医者からも、えり子は全治6カ月というものの、通常歩行は一生無理であり、今は歩くことなど不可能と内密に教えてくれたことで、谷山の疑念を払拭させた矢崎主任は、宇宙人云々の電話に着目します。そして、再度電話があったときの逆探知に賭けることになります。

 

そして、輝彦の自宅では、輝彦母(未詳)、輝彦父(松下達夫)が、予備校浪人でもある輝彦の話をします。輝彦父は、本当に頭のいい独創的な考えを持った人間は、今の○×選択教育から落ちこぼれていくのが実情だが、輝彦はそこまでの能力がある独創的な天才ではなく、人並みの平凡な人間であると語ります。しかし、それを輝彦が聞いていたのが開始24分後半で、これからどのような展開になるのか・・・というのが概略です。

 

 

当作は、北村秀敏監督作品です。【第4回再放送】となって、矢崎班専属かなと思うばかりの、#656 熱風への復讐 (第1作)、#660 結婚七年目 (第2作)、続く3作目です。第1作では、三船班とは異なったタッチのアクションものに仕上げました。第2作では、真相追及に的を絞ったオーソドックスものでありますが、佳作以上の出来に仕上げました。

それでは当作はどうかというと、奇抜すぎる内容が原因なのか、器用さに定評のある北村秀敏監督らしさが見られない作品といってもいいでしょう。時たま挿入される高速道路の場面の意味がわからなかったり、哲郎の日記の告白と病院の場面との不整合さ、犯人逮捕という特捜隊の目的を見失うようなラスト、などは目を瞑るにしても、主題であろう(予告篇の)

>希望の無い予備校浪人たちの無気力な生き方と、教育の在り方に反省を求める

という点が描写しきれていないところにあります。

 

古典の十訓抄ではないですが、正義と悪を描くうえでは、ある程度の「教訓」めいたものが必要で、それも多くの人から納得、支持されるものでないかと考えます。その前提で当作を俯瞰すると、矢崎班が「その問題」を解決するのは良いのですが、「その後」が描かれておらず、単に捕まえて終わり、本質的な追及に至らないお説教に終わっているのです。

この点は、開始約37分半ばの屋上場面もそうなのですが、ラストを遡る、特捜隊本部→道路の約7分間の場面がわかりづらいところであります。特に後者は、「反省を求める」のが「威力業務妨害」をしたからだといわんばかりの流れで、そこには「無気力な生き方」「教育の在り方」を見出すのが難しい場面になっています。この当時(1974年)と現在(2019年)とでは45年間の時差があるといえばそれまでですが、しっくりくる流れには思えません。

 

こう見ていくと、特捜隊で「教育」にスポットを当てた作品は、なかなか良いものに巡り会った記憶がありません。近作の、#658 はみだした青春 の視聴録でも触れたのですが、刑事ドラマという枠内ゆえ、複数あるうち(当作だと、浪人生と親)の妥協・協調点を見出さないと、なかなか昇華しきれない題材なのかもしれません。

ですので、北村秀敏監督は、脚本での浪人生と親のバランスをどうとるか、そちらに比重を置いたため、持ち前の器用さを発揮できなかった、とも考えられます。こう考えると、事件の進行・経過よりも、親子の描写、あるいは教育の在り方に時間を割いているのもわかるのです。

しかし、その結果、「らしさ」の見られない作品と評価せざるを得ません。たとえば、渋谷駅前の池田忠夫の場面ですが、視聴者はどう考えたでしょうか・・・。

 

さて、事件の真相というか殺人トリックについては、なかなか面白いところを突いています。谷山が、南原病院の「杜撰さ」を前半に指摘しているのですが、これが伏線となっているから成り立つものであります。その「杜撰さ」ゆえに、有り得ない殺人トリックが実行できたと解釈できるので、?がつく点も納得できるつくりにしたのだと感じました。これは、前後関係から、北村秀敏監督が脚本に付け加えた構成だと見受けられます。

また、谷山の推理が打ち消されたのですが、その後の展開も面白い。この点から、風間家・霊安室での場面も含め、当作での矢崎班のキーマンは、矢崎主任でなく谷山でありましょう。そして、これは偶然でしょうが、先週の作品・#669 転落の詩 の影響が若干ながらもうかがえる「死体状況」も、興味のあるところでした。

 

このように、個々の部分では、微かに見慣れた北村秀敏演出が拝見出来ます。しかし、それでも「なぜ遺体の背中に、空飛ぶ円盤の写真を置いたのか」という問いに、それらしい答えはあるものの、本質的な解答は描かれませんでした。いつもの北村秀敏監督なら漏らすことはないと思うのですが、これが「らしさ」が見られない根拠のひとつと指摘できましょう。

当作は、褒める部分が少ない結果となりましたが、次作の北村秀敏監督に、捲土重来を期したいところであります。