特別機動捜査隊に関連する作品、映画・Vシネ・テレビドラマ・動画に限定せず、あるいは脚本・監督にこだわらず、主観的に関連性がありそうと判断したものを取りあげました。

 

 

【十一人の侍】

 

 

(公開日・本放送日)

1967年12月公開、東映

2018年9月8日東映ch放送

(脚本)田坂啓、国弘威雄、鈴木則文

(監督)工藤栄一

 

(出演者)

夏八木勲、里見浩太朗(当時は里見浩太郎表記)、南原宏冶、宮園純子、大川栄子、

佐藤慶、菅貫太郎、青木義朗、林真一郎、汐路章、有川正治、佐藤京一、近藤正臣、

穂高稔、中村錦司、小田部通麿、唐沢民賢、江木健二、野村鬼笑、池田謙治、

小島恵子、香山恵子、村居京之輔、矢奈木邦二郎、五十嵐義弘、岩尾正隆、

大友柳太朗、西村晃

 

 

(特捜隊関連事項)

特捜隊で高倉主任を演じた里見浩太朗、三船主任を演じた青木義朗が出演。なお、脚本のひとり国弘威雄は、当作の4年後、特捜隊の#496 闇の中の脚本を担当。

 

 

(備考)

・配役表記は、Movie Walkerを参考にしました。

・大川栄子は、1967年数々の東映作品に映画・テレビ問わず出演。その労もあったのか、翌年「キイハンター」の谷口ユミでレギュラー出演、代表作のひとつとなる。

 

 

 

(あらすじ) ※日本映画製作者連盟のHPあらすじを、追加訂正したものです。

 

舘林藩主・松平斉厚(菅貫太郎)の短気から、隣国の忍藩主・阿部正由(穂高稔)が殺された。忍藩家老・榊原帯刀(南原宏冶)は訴状と証拠の品を老中・水野越前守(佐藤慶)に届けるが、斉厚が将軍の弟であることや、幕府の面子もあることで、逆に藩の取り潰しを言い渡される。帯刀は、いきなりの告知では藩内に良からぬ動きが出るとも限らないので、それらを押しとどめるためせめて1ヵ月の猶予を願いだすと、水野はこれを了承する。

 

しかし、帯刀は、妻・織江(宮園純子)と暮らす旧知の藩士・仙谷隼人(夏八木勲)を秘かに訪ね、松平斉厚暗殺を依頼する。そして隼人との連絡役に藤堂幾馬(唐沢民賢)を与え、隼人も藩士・三田村健四郎(里見浩太朗)、久河勝左衛門(有川正治)、荒金五郎兵衛(岩尾正隆)、保科久之進(青木義朗)、保科準之助(林真一郎)、足立源蔵(五十嵐義弘)を同志に選抜、病死した藩士の妹・ぬい(大川栄子)、勘定担当・市橋弥次郎(汐路章)も加わる。さらには、武士そのものに遺恨をもつ浪人・井戸大十郎(西村晃)も仲間となる。

隼人たちは、斉厚の江戸表での僅かな隙を突こうとするが、舘林藩家老・秋吉刑部(大友柳太朗)の機敏な動きによって、最初の暗殺企図は失敗に終わる・・・。

 

 

(視聴録)

 

当作は、工藤栄一監督が演出した、いわゆる集団抗争時代劇、「十三人の刺客」(1963年)、「大殺陣」(1964年)に続く三作目となります。当作まで3年の間隔がありますが、当時の東映では時代劇に代わる新しいドル箱に任侠ものを見出しました。工藤栄一監督もそちらの方に駆り出されたこともあり、間隔が空いたのだろうと推測されます。

 

しかし、スタッフは「時代劇の東映」の矜持が強かったのでしょう、それでも細々ながら映画スクリーンでの時代劇づくりにこだわりました。そのひとつが、当作であると思います。なお、こうした努力は、昭和50年代の中村錦之助(萬屋錦之介)東映復帰作品に、時代劇が選ばれたことで報われた感があります。

 

さて、自分自身は「大殺陣」は未見なものの、「十三人の刺客」はビデオや再放送で見ているため、比較してなかなか興味深いところがありました(以後、、「十三人の刺客」=前作、「十一人の侍」=当作、と称します)。両作とも、好き勝手にふるまう将軍家の血筋の殿様に対し、複数の武士たちが鉄槌を喰らわす点は同じです。

しかし、前作が幕府の威信を考えての公儀からの刺客、当作は被害を受けた藩からの刺客という点が大きく異なります。その他、前作は広義での籠城戦、当作は広義での野戦。前作は男の世界での視点(丘さとみ、藤純子の扱い)、当作は女も交えた世界での視点(宮園純子の扱い)。戦闘時間が、前作では約30分、当作では約10分。さらには、前作が東映時代劇の重鎮(片岡千恵蔵、嵐寛寿郎、月形龍之介など)も出演した2時間超えの作品、当作では重鎮とはいえ大友柳太朗出演のみの1時間40分弱の作品であるなど、目を引くところではあります。

 

自分は、工藤栄一監督が、前作では消化しきれなかった集団抗争時代劇の概念を、当作で昇華したものと解釈したいところです。つまり、前作ではまだまだ旧態依然の時代劇風潮があったため、ハッピーエンドの体にしなくてはならないという要請があったのではと考えます。例えば、討つ側、討たれる側とも生き残りがいるという点、後年から見れば両軍全滅という形にしたかったのではと考えます。そういった結末にできなかった無念、残念さが、ラストの泥まみれの水田の中の一場面にあったような気がします。

当作では、前作ほどの重鎮、有名俳優は用いず、野戦に至るまでの心理的葛藤場面の挿入、さらには両軍全滅と思われたところに、工藤栄一監督自身の語り部ともいえるような、ある人物を登場させることで、ラストに余韻を持たせるところなど、前作で描き切れなかったところを、当作で昇華させたといってもいいと思います。

 

ただ、ストーリーの展開からは、前作よりも当作の方が無理があるという指摘もあり、こういった点からは作品的評価は前作のほうが高いようであります。しかし、自分は辻褄が合わなくてもラストまで持っていくパワーに魅かれるところがあり、当作のラストまでの勢いは前作を凌ぐものと捉えます。ですので、自分自身としては、当作の方が面白かったと感じます。

 

さて、当作では、里見浩太朗も青木義朗も脇に徹しており、そういった点では両者とも五分の立場での出演です(とはいうものの、オープニングの序列は里見>青木は否定出来ず)。あくまで、隼人役の夏八木勲、大十郎役の西村晃を引き立てるワサビみたいになっています。

テレビでの水戸黄門、大江戸捜査網が始まる前の里見浩太朗、特別機動捜査隊が始まる前の青木義朗ですが、存在感を出す前の地殻変動と言ったらよいのでしょうか、当作から数年後の姿を誰が予想できたでしょうか。かつて、両者の共演で「長七郎天下ご免」がありましたが、あまりの青木義朗の扱いにその作品の視聴録は省いてしまいましたが、当作では両者五分五分の扱いもあり、挙げることにしました。

 

しかし、当作で一番印象に残るのは、不埒な殿様を演じた菅貫太郎に尽きると思います。前作でも同じような役を演じていますが、そのインパクトは非常に大きい。ワンパターンの演技かといえばそうでもなく、テレビ作品になりますが「風 #01  獣の城」での死に場所を求める忍者、「ご存知!女ねずみ小僧」での飄々とした同心、あるいは「怪談 新選組・呪いの血しぶき」で狂気の世界に浸る土方歳三を演じるなど、バリエーションも幅広いものがあります。

 

wikiに

>善人役を演じる時は、普段の悪役のイメージを逆手にとり悪役風に姿を現し、

>終盤で実は善人だったという役は予定調和型ストーリー展開にトリック的な

>演技は視聴者に強い印象を残す。

とあるのは、作品名は忘れましたが、主人公の上司で散々怪しげな行動をとり、ラスト5分くらいまで「上司が犯人か」と思っていたら、序盤の何気ない出来事が伏線としてあって、実は上司も真相を暴くために内偵中だったというストーリーだったか? 

そして、ラストで主人公に向かって

「おまえも、事件が解決するまでは、俺が黒幕だと思っていただろう?」

と屈託のない笑顔で高笑いをして去っていくなど、これまた主人公を喰ってしまう役柄でもありました。しかし悲しいかな、1994年3月22日、オートバイとの接触事故により59歳で亡くなられています。