父の幸せ | それはとりあえずおいといて。

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こんにちは、Lunaです。広範性発達障害を持つ昭和人です。「ポジティブカレンダー」よりも、ヒロシの「ネガティブカレンダー」を手に取ってしまいますが「元気があれば何でも出来る」はずなので、その「元気」を探す旅に出ています。

昨年9月に亡くなった、父の話になります。

父は自分でものを食べるのが困難になり入院しましたが、
その時「胃ろう」をするかどうかを医師に聞かれました。

「胃ろう」とは胃に穴を開けて管を通し、
直接胃に栄養を流し込む方法です。
でも、全く口から食べられなくなるわけではなく、
食べたいと思ったら口から食べる事も出来るのです。

でも、ネットで調べていたら

「そこまでして長生きさせるべきだったのか」

と言うご意見が多かったです。

父の友人にも胃ろうをされている方がいらっしゃいますが、
車椅子かベッドで寝て過ごすしかなく、
奥様は

「何の楽しみもなく、嬉しい事があるわけでなく、
ろくに話も出来ずにただ『生かされている』だけで本人は
満足なのだろうか」

と、悩む事が多いそうです。

父も病院で寝たきりになり、
話さなくなり、栄養は点滴のみ。
頭を振って「YES」か「NO」を表現するだけで
私たち家族はだんだん

「これで父は幸せなんだろうか?」

と考えるようになりました。

自宅での介護が、素人では難しいと思われたので
ソーシャルワーカーさんと相談しながら、
父を医療老人施設に移す計画も同時進行で進めていました。

父も、そして胃ろうをされている友人の方も、
もし話せるなら
「こうして欲しい」
と、意思を伝えたく思っていたかもしれません。

移動する施設がだんだん絞られ、
私たちが「胃ろうにするかしないか」で悩み、また「高度障害である」と言う
認定を受けるためにワーカーさんが頑張ってくださっていた矢先に、
父の容体が急変しました。

亡くなる前日は、父の意識はあったかどうかはわかりませんが
懐かしい親戚たちが次々に会いに来てくれ、
父は苦しそうな呼吸をしながらも
時々目を開けたり、うなずいていたりしました。

持ち込んでいた飲み薬も、食事も切られ、
もう「胃ろうがどうの」と言う段階ではなくなっていたのです。

一日ついていましたが、
私たちも疲労がたまっていたので
いったん帰る事に。

帰宅して
「明日も早くに行かなくちゃ。休んでおこう」と
布団に入り、ウトウトした頃、私の携帯が鳴りました。
病院からの「いよいよかもしれない」と言う呼び出しでした。

支度したまま寝ていたので、すぐに駆けつけましたが…

間に合いませんでした。

ひとつだけ、心残りがあるとしたら

「ウチに帰りたい」

と言う父の訴えを聞いてあげられなかった事です。

たった一つの父の願いをかなえられなかった。
難しくても、
「最期はウチで」
と言ってあげられなかった事を、今、父は恨んでいるでしょうか。

ウチで看取るには、家族の精神的肉体的余裕が少な過ぎました。
それを越えて、自宅で看取る方もいらっしゃるのに
ウチでは出来なかった。

父は、自宅から旅立つ事を許されずに
病院のベッドで、一人で亡くなりました。

これを書いていて、

「父はウチから旅立ちたかった、でも聞いてもらえなかった」

と言う事に、改めて気付きました。
父の幸せは、ウチから旅立つ事だった…

お父さん、怒っていますか?
恨んでいますか?

最期のお願いを聞いてあげられなくて、本当にごめんなさい。

今、少しは楽になっていますか?
先に逝かれたお友達、両親に会えましたか?

私たちの事、うんとグチってくださいね。
そちらの世界で安らかに過ごしていることが、何よりの願いです。