モノの本とか、エライ人の話とかでよくよく聞く言葉ではありますが
ひょっとしたら、イマイチ、腑に落ちていなかったな・・・ということに気がつきました。
自分の人生に責任を持つこと。
ここ数か月の間に色々な人との出会いがあり、別れがあり。
いつになく、考えさせられる出来事に多々遭遇しました。
自分のことなのに、他の人や環境のせいにしてみたり
色々と言い訳を並べてみたりしている間は
「自分を生きる」覚悟ができていないんだな。
自分を生きるということは自分で自分の人生に責任をもつことです。
それは、ある意味、「私は幸せになります!」と自分にOKを出すことだとも思うのです。
誰かに幸せにしてもらうのではなく、
自分で自分が幸せになることを決めること。
わかっているようでわかっていなかったなぁって言うことがわかったなぁ(しみじみ)
変なところで妙な力を入れてしまうのが人間なのかもしれません。
どんなに過酷な環境で育ってきたとしても、今、平穏な日々を過ごせているのであれば「自分が幸せになってもいい」ことに自分でGOサインを出せば良いだけなのに。
何か知らんけど、「ワタシなんて」って考えちゃうのですよね。
ワタシみたいなのが幸せになるなんて・・・って思っちゃうのですよね。
私は幸せ!って本気で思えた瞬間から幸せなはずなのに。
まぁ、幸せのカタチも人それぞれなのでそんなに単純ではないかもしれませんが。
私の人生はワタシのものであって、誰も代わりに生きてはくれません。
それなのに、人は誰かと比べてみたり自分を卑下してみたり、自分軸を忘れます。
褒めたいところもあるけれど、弱っちいところもたくさんあって。
ダメダメなワタシだけど、そんなワタシでもこれでいいんだって思えたらそれで幸せです。
自分の幸せは自分で決めます。
「私は幸せ!」って自分で承認印を押せば良いだけのこと。
「あなたは幸せです」の他人の押すハンコは要らんのです。
みんな、きっと幸せなはずなのに認めたくないのはなんだろね?
こんな風に考えるまでもなく、生まれた時からずっと幸せなはずなのに?
ここ数か月の間に私が遭遇したあれやこれやの出来事は私自身の覚悟を確認するためだったのかもしれません。
横から見ていてつまらなそうでも、ちっちゃくても、意味不明でも私がワタシにOKを出した私の人生は誰にもまねのできない幸せな時間のカタマリです。
これからも、私のペースでゆるっと生きて参りましょうか。
こんな私とまた一緒に遊んでやってくださいまし。
