巫(かんなぎ)の林 紗妃です。

今回の記事は、これから書くのにもかかわらず、めっちゃ「出すのイヤーー」って思いながら書いています(笑)

「だって、どうせ誰もわかってくれないんでしょ」って、捻くれている私がいるのです。
そうして、自己理解を放棄したのは私だったのに。


◆これまでのお話

…が、私はもうずいぶん長いこと、自分の独自性を受け入れることができないでいました。
なぜかと言えば、全くいいことがなかったから。

主張すれば叩かれ、一人外れたことをすれば後ろ指を刺され、そうでなくてもちょっと遠巻きに見られもして、散々だったのです。

その結果、身を守る術として「人から受け入れてもらえる私」を自己演出するようになっていました。


…しかし、同時にこうも思います。

「本当にそれだけが全てだった?」

たとえば、小学校の担任の先生。
私の集団に馴染めない様子を見て、自由に振る舞える学校に入るきっかけを作ってくれました。

その中でも結局ハズれることにもなりましたが、それでも本やネット、好きなことを通じて仲良くなった友達もいたのです。

大学でも、部活でそれとなく支えてくれた先輩や同期に恵まれました。

社会人になると合わなさすぎて、苦しんだこともありましたが、それでも要所要所で助けてくれる人もいたのです。

巫になってから今までも、それを理解して受け入れてくれる人がいるからこそ成り立っているもの。
それが私の全てではないにせよ、「無理解」と決めつけるのは乱暴が過ぎます。


自分一人だけが「わかってもらえなかった記憶」だけを引きずって、生き続けてきただけなのではないか。
私が私を一番、許せないでいただけなんじゃないか。
過去の記憶をタテにして、自分で独自性を許さない正当化をしてきただけだったのでは。


ちっぽけは自分の弱さを見つめてこなかったのは、他の誰でもない私でした。
そりゃ「豊かさ」なんて、自分に許せないから、夢のまた夢だったのです。


他者にどれだけ理解されたとしても、愛されていたとしても、自分で自分を受け入れない限り、渇望感に苦しむことになります。

自分を満たせるのは、自分だけ。

その答えと向き合って今、私は「独自性を自分に許す」さなかにあります。

ここ数日は「私って意外と無愛想なヤツだったんだな」と抑えてきた自分と出会ったり、「私だって全てを知ってるわけじゃないのに、他の人に自分の『全て』をわかってもらうなんてムリだよなー」とか、当たり前のようでいてわかっていなかったことに気づき始めています。


自分という独自性=ありようを無条件で受け入れたことがなかったので、その「向こう側」を今これを書いている私は知りません。

ただ自分を自分で受け入れるだけなのに、なんでこんなにも恐怖心が出てくるんでしょうね。
きっと、これまでの生きるための処世術や生存戦略を手放すのが怖いからなのでしょう。


でも「人から受け入れてもらえる私」なんて、とても狭い範囲で、生きるのは窮屈でしかありません。

私は私の自由を許して、向こう側に行くことにします。
その先でなにが待ち構えていても、まあ死ぬことはありません。
そのまま、当たり前にフツーに生きていくだけです。
でも、未だ知らない私だけの豊かさにたどり着くことには間違いない、と、確信めいた思いがあります。


この連載は次を最後とします。
それまでにもう少し、自由を解放できているといいのですが。



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コトシロヌシの神さまメッセージ

本日24時〆切です。


神棚の神さまにまつわるご相談、承ります。







本日は前回の補足。

◆これまでのお話

好きにする=許されていない=ゼータク

と、捉えていたからでした。

でも、コレって当たり前の自由のはずじゃあ?
コドモの頃の学習規範で「許可がいること」だと思い込んでいたんですね。


「大人なんだから、好きにしたらええがな」って話ですが、こんな風に規範が残っていると、それすら自分に許可を与えられなかったんだな、とわかります。


かつ、理由がないといけない=条件になったりもして、そりゃあ生きづらいはずだわ…と思いました。

これは、例えば欲しいモノを手に入れるときもそうだったりします。

先日、ある人から「どうせ手に入らないんだから、思ってもムダだとガマンしていた」という話を聞いて、これも「自分の思う豊かさの無効化・無価値化だな」と思いました。

したい・欲しいと思うことと、できるかどうかは別の話なのに、混同しがちです。

また「どんなルートでも手に入ってもいい」がなくなります。

これは、自分で豊かさや幸せの定義について書いてみることをオススメします。
言葉にすると、どう思っているか、何に引っかかっているのかが目に見えてわかるので。


あと、豊かさを実現する手立てとしてコラージュの話も出てきたんですが、自分の中にある豊かさのイメージを膨らませたり、探す過程で「違うコレジャナイ」から炙り出す効果はあるかと思います。

ただ、そもそも豊かさや幸せを自分に許しているのが大前提なので、効果がない人は自分で無効化している規範を洗い出すのが先ですね。


私個人は自分の豊かさや幸せのイメージをいまいち掴めていないところがあるので、コラージュはあまりピンと来ません。

とりあえず「好きにする」を実践して、手応えから割り出すことを優先しようと思っています。



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巫(かんなぎ)の林 紗妃です。

別に豊かさとか、どうでもよくない?
それなりに生活できているし…とか、思っていた時期が私にもありました。

それで許されるんなら、コトシロヌシがここまで出張ってくるはずがないのですが。


前回、ハイヤーセルフのヒミィに教わって、エネルギー視点で自己価値を見直しました。

そのとき、ふと「私にとっての幸せで豊かな暮らしってなんだろう?」と書き出してみたら

いつでもどこでも行きたい場所に行ける

好きなモノが食べられる

好きなときに好きなモノが買える

好きなモノに囲まれて暮らす


「好き」要素が多いなあ…。
あと、めちゃくちゃフツーだな?

なんだろ…
ウソじゃない、本気でそう思っているのは事実だけど

「幸せで豊かな暮らし」の
解像度が低い。

「好き」の気持ちを大事にしているのはわかる。

でも「手に届かないアコガレ」を語っているような、上滑りしている感じ。自分のことなのに。


この、ビミョーにウソはついてないけど曖昧な定義を自分の中で掘り下げてみると、どうやら私は「自分で思う幸せで豊かさな暮らし」をゼイタクと捉えていたようです。

そういえば過去、身内から何かにつけて「贅沢だ」と言われてきたのを思い出しました。
自分の買った物をいちいちチェックされては評価されていたりもしました。

その結果、無意識に「与えられるものでガマンしなくてはいけない」と思い込んでいたんですね。
自分で手に入れる、受け取ることに無条件で許可を出せていませんでした。


改めて、部屋を見渡してみると「好きなモノもあるけど、最低限必要なモノがあればいい」という雰囲気。

悪くはない、悪くはないけど…!
そろそろ、アップデートしてもいいんじゃない?


そこで、自分で受け取る許可を出しました。


…と、言えたらよかったんですが、そうカンタンにはいきませんでした。

「何を豊かさだと捉えるか」は、自分自身の価値観、つまり独自性に依るところです。

私は、その肝心の「独自性を受け入れる」ところで引っかかってしまいました。


続きます。


豊かさを掴むために今できることをお伝えします。


神棚の神さまにまつわるご相談、承ります。







巫(かんなぎ)の林 紗妃です。


「豊かさを手に入れたい」と言いつつも、なぜか豊かさを掴めない。

コレは本人にとっての問題だけではありません。

その後ろで「お見守りしている方」にとっても由々しき事態だったりします。


…というわけで、今回は「この受け取りベタさんを何とかしてほしい」という、後ろの方たちのご要望にお応えして書いた記事です。




まず、豊かさを掴めないヒトの特徴はこんな感じ。

・自分には受け取る資格がない、そんな価値がない

・欲張り・ワガママ・自己中で利己的な自分になる

・受け取るのには条件がいる/返さなきゃいけない

・人にどう思われるか気になる


そうしてヒトから受け取ることをエンリョしたり、与えられたチャンスに引け目を感じて、せっかくの豊かさを逃してしまいます。


相手はこう思います。

あなただから、受け取ってほしかったのにな…。


それを見ていた、あなたの後ろで守っている方も、こう思っています。

あなただからこそ、受け取れるはずだったのに…!


なんなら、その「受け取る機会」をご用意したのが、後ろにいる見えない方だったりすると、なおのこと 「ああ、せっかくのチャンスを…」と、ガックリします。
ギリィッて歯ぎしりも聞こえてきそうだな。


いくらでもチャンスを用意するとはいえ、あの手この手を使っても、本人が受け取り拒否していたら、やるせないわけです。

ヒトだったら諦めているよね!
諦めないのが見えない存在のいいところだよ!


…ごめんて。私が悪かったて。
(私も受け取りベタのため、何度も落胆させてギリィッてされてると思います)


さて、ここからが大切なのですが

豊かさは無条件で受け取ってイイモノです。

ハイ、リピートアフターミー!

無条件で受け取ってイイ!


そもそも、機会があなたの元にやってきたのは、あなたに受け取る資格があるからです。

「返さなくてはいけない」ものではありません。
「ありがとう!」とアイドルみたいに受け取って、そのまま喜んでいればいいだけです。

無制限に受け取るのを自分に許すのは、「受け取るものを自分で決める」という自由な選択肢を自分自身に与えることでもあります。


それから、豊かさは

いくらでも受け取っていいモノ。
(ハイ、復唱!)


「自分は求めてはいけない」と制限をかけていると、誰かに与えることも見返りを期待する「取り引き」になってしまいます。

あと、エンリョしがちなヒトは、誰かに譲るのを美徳としがちなんですが、「私のモノ!」と言えるのは、手に入れた人だけの権利です。

欲しいモノを手に入れるのは当然のことですし、「欲しい」と言われて断るのは、決して冷たいヒトになることではなく、自分の喜びや豊かさを守る権利です。

そこで相手がとやかく言ったとしても、それは個人の「感想」であって、あなたの存在価値でも評価でもありません。


「分かち合いたい」と願うなら、まず自分が無条件で自由にいくらでも受け取ること!
そこで初めて、他の誰かにも自分の采配で分けることができます。


豊かさを掴みたいと願うあなたに今必要なのは、受け取る勇気です。
「欲しい」と思ったら、思い切って受け取ってみましょう。
コワイと思っても、受け取るのは両立できるからね!
後のことは、受け取ってから考えましょう。


なお、そのコワイコトは起きません。
自分がコワイと思っているだけ。


「受け取り上手」になると、見えない存在の方たちも「受け取ってくれるんだ!」と大喜びして、張り切って受け取る機会を増やしてくれたりします。


あなたが受け取ることで
喜ぶヒト(見えない存在)がいます。


また「豊かさを得る権利と自由」を行使できるようにると、日常の楽しみや生きる喜びから、ひいては人生の豊かさにつながります。


豊かさを受け取ることは
ただ自分が幸せになるだけです。

それは自分だけでなく、周りのヒトや見えない存在にも波及して、豊かさの輪がどんどん広がります。


だからエンリョなく欲しいモノやチャンスが来たら、どんどん受け取って自分もヒトも喜ぶ機会を増やしていきましょうね☆



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巫(かんなぎ)の林 紗妃です。

コトシロヌシの個人事業を受けていたら、ハイヤーセルフ「ヒミィ」のエネルギーの扱い方講座も受けることになりました。

いつもながらこの連載、どこに辿り着くんだろう…。

ここからは、ヒミィの講座のまとめです。
(わかったところまでなので、続くかも…)

◆これまでのお話


そもそも、ここでいう「エネルギー」とは

存在によるインプット・アウトプットで
自分の外側や世界に働きかける力

なんかスピっぽいな…(笑)

ええと、もう少しカンタンに言うと
「自分が何を学習するか・選択するかによって、物事に影響を及ぼす力」ですね。

こう書くと、すんごい当たり前っちゃ当たり前だし、無意識にやっているから「価値」とか考えないよね!


でも、エネルギーの扱い方を知ったほうがいいかといえば、「自己実現」には欠かせないから、だそう。


自分のエネルギーの価値=自己価値

つまり

自己価値の否定は
エネルギー価値の否定


自分を否定しているとエネルギーを適切に扱えない。
そうなると、生きづらさにもつながりそうだな…。


①エネルギーの価値を知ること
②自分で認めて受け入れること

=自己価値の受容

まず、知らなきゃ始まりません。
そして、知っても自分で受け入れないと、エネルギーの価値=自己価値を受け入れたことになりません。

①②の両方そろって初めて、自分のエネルギーを適切に扱えるようになります。


「自己実現」と言うと、なんか自己啓発っぽい?
偏見かもだけど、なんか成果を追い求めるギラギラ感が私はニガテなんですが


自分のエネルギー価値を見直して
人生から得られる豊かさを最大化すること

…と、言い方を変えるだけで「お、いいかも☆」と思えるのがフシギですね(笑)


「自己価値を見直す」というと敷居が上がるような気がして手を着けにくい、という方は、自分をエネルギーの観点から捉えてみてもいいかもしれません。



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