最近、いきなり自分の中のギアが二段階ほど落ちた。
思ったより忙しない「時」の中にいたようで、肌ごとゆっくり呼吸していたい気持ちになる。

こうして、私の確かな基準が出てきている。
これが本来のリズムなら、よく不登校にならなかったな、と思うけど、不適合者になるのを恐れていた結果だった。
それでも、それはそれでよかったとも思う。


昨日は急に春を探しに行きたくなって、江津湖方面まで出かけた。
家の近くの堀で子どもたちが遊んでいるのを見て、ここも下に降りられるのか…と思った。
橋の下にも子供がいたし、水位が低いから安全なんだろう。
ちょっと暑くなったら、そっと足を浸しにいきたい。



信号を2つ3つ渡ったら、湧水の流れる川はすぐそこ。
犬の散歩は、柴犬にプードルにまた柴犬…あれ、さっき会った人じゃない?


川辺の芝生で、中学生らしき男女のグループが自転車を停めてキャッキャしていた。
一人の男の子は、頭のてっぺんと左右の髪をくくられていた。
そういうくだらない遊びで盛り上がれるの、いいよな。
箸が落ちても笑い転げる時期だよ。



すでに盛りが過ぎて、花びらが散った葉桜。
今年は喫茶店でなぜか飾られていた枝桜で花見をしていたから、いいんだ…と思いつつ、もうちょっと早く見に来ればよかったかな、とも思う。

でも、春が盛り上がってくるさまを見るようで、これはこれで、やっぱりいいな。



民家の端で、しれっと咲いていた名前を知らない花。
見るのは好きなくせに、知識はとんと追いつかなくて、なんだかなあ。
見るのが好きなだけでも十分、とも思うけど。

そういえば明石にいたとき、トケイソウを見るのが好きだったな。
かつては子午線の基準値でもあった天文台で、年に一度配られていた。
もらっとけばよかったなあ。



椿はオトメツバキが好きなんだけど、これで合っているかなあ。
シャネルのカメーリアってこれだよね、なんて根拠なく決めつけつつ、高台にあるのをスマホのカメラのズームを目いっぱい伸ばして、ついでに背も目いっぱい伸ばした。


湖まで行くつもりが、途中でお腹が空いて、来た道を戻る。
もう夕暮れだもん。ご飯の時間だよ。
次はサンドイッチでも持ってこようかな。


花壇に植えられた色とりどりの花を見るのも好き。
地植えの花束だよ。



ぱっと目を引く青紫のパンジーは、質感がベルベットのようで高貴!って感じだった。
写真だと、そこまで写らないのが残念だな。



山奥なぞ行かなくても、ちょっと歩けば勢いよく流れる水の音が聞こえる。
都会のオアシスと言うと大げさかもしれないけれど、好きな癒しが身近にあるのは嬉しいな。

擦り切れた精神が回復していく。
今度は芝生でゆったり過ごしたい。


高層マンションを遠くに臨みながら、川のせせらぎに耳を傾ける対比もまた、オツだな。
こういうギャップも好き。


春を集めて、帰路につく。
少し歩いただけなのに、家に近づくにつれて日常モードになっていくから、感覚も少し違っていたんだなとわかる。

家もいいもんだよ。
帰る場所があるってステキだ。



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巫(かんなぎ)の林 紗妃です。

抑えていたガマンが強く出て、こうじゃなきゃしない、アレじゃないとダメとギャンスカする自分のブレーキと闘う日々。

ただいま、記事を書くのも条件付き。
チクショウ、私の責任回避グセめ、数日以内に乗り越えてやるわ!
(そうなった理由もあるけど、言うてる場合ではない)


…とか、今は強気になるものの、実際はしない安心感に入り浸り、無力感で諦めたり、他のことに逃げたりして、ブログを開くのにも時間がかかります。

ガマン強さと感受性の高さのハイブリッドが、悪いように出ると、こうなるのねえ。
なんとか、条件を外すところまで(今週中に!)持っていきたいところ。


とくに感情のガマンが大きいのですが、昨日は満月のおかげか、いくぶん解放されて、久々にティッシュを5枚分鼻をかんでいました。

でも、まだあるんだよなあ。
感情エネルギーって大きくて、それこそ現実に響くほど影響力があります。
それも過去に起因していると、今ここの現実を見失いくらい。


逆に言えば、出すことを許せるようになるほど、軽くなっていきます。
「人に言うと軽くなる」のは、その要素があるから。
ただし、あくまでも感情の整理・処理は【自分がする】のが前提です。

執着して手放す気がない場合は、人に出しても「処理を押し付ける」形になるので、解放はされません。
むしろ、相手のエネルギーを奪う行為になるので、聞く方が疲れます。

ここらへんは、無意識でしている場合があるので、なかなか気づきにくいところ。
ただ、聞いてもらったのにスッキリしなかったり、自分の中でまだグルグルしてしまうなら、手放せない何かを自分が持っている可能性がある、という一つの指標にはなります。


逆に「この人の話聞いていて疲れるな」と思ったら、感情処理を押し付けられている可能性があるので、早めに聞き流しましょう。

大丈夫です。そこにあなたの責任はありません。
むしろ、相手がそれに気づくきっかけを与えている、と思ってください。
自分のエネルギーは有限ですし、感情の処理は当人の問題ですので。


この満月で、揺れが激しかった人も多いと思います。
お疲れさまでした。
明日以降は、気持ちを整理しようにもなかなか…と思っていた人も、落ち着くはずです。
長く抱えていたものほど、手放すのにも一苦労ですが、ない方がラクなものも多いんですよね。
とはいえ、「手放せない自分はダメ」ということでもありません。
それだけ自分にとってウエイトが大きかった、という部分を尊重してあげてから、自分のペースで一つずつ、解きほぐしてあげてくださいね。



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3月は、内面のエネルギーが大きく揺れ動きました。

神さまにできるのは、「気づくきっかけを与えること」であって、自分自身で変えるべき物事や人の心を変えることはできません。
なぜなら、人の心はその人自身の領域であり、神さまでも踏み入れることはできないからです。

それでも「自分で変えることはできる」と信頼を寄せて、その歩みに寄り添ってくれます。
「最短最速思考」に向かうまで、我ながらとても長くってスミマセンと思いつつ(笑)、そのことを強く実感した一ヶ月でもありました。



自分と向き合っていると、どうも脳は現実と虚構を区別できないようです。
自分の気持ちが現実になるとカン違いするから、自分で変化しない理由をつけて、回避するのもわかりました。

たとえば私の場合、本当はイヤなのに「人の役に立たなくてはいけない」という規範がありました。

そこでアタマは「したくない」を叶えようとして、好きなことでも「できない理由」をつけ、ガマンしたり、しないで済む方を優先するというパターンに陥っていました。


その脳の仕組みも活かしようで、うまく利用したのが「引き寄せの法則」ですし、マイナス方向に行くと、感情を他者で解消しようとする「エネルギーバンパイア」になります。

とくに後者は身に覚えがあるだけに、「あー…あー…」と言葉にならず、誰にともなく申し訳ない気持ちになります。


でも、気づけば変わることはできます。
結局は、「何のために」「自分がどうするか」でしかありません。
誰のためであっても、見返りを常に期待していると、自分の自由がなくなります。
自分のすべきことは、誰かに代わってもらうことはできません。

また、だからって他者との比較や罪悪感から、自分の心地よさと別の負荷をトレードオフもしなくてもいいのです。
それはワガママや自己中などではなく、当然の権利で自身の自由です。

そんな当たり前のことを本音から理解したとき、「うまくいく」という現実から、運も巡ってくるのではないでしょうか。


自分の気持ちにスナオになり、したいことをするのにブレーキを外すまだ途上ながらも、おぼろげながら先のことも見えてきました。

3月は「浄化・清算」な時間を過ごしていた方には、
4月から5月にかけて、一気に風が吹き抜けるように飛躍する兆し。

ただ、足場が固まらないうちは流されっぱなしになるので、すべてに乗るのではなく、手堅さ(無難ではないのでご注意を!)も意識しながら、ゴーサインを出していくと、スピードが出やすいと思います。


春風に心地よく乗りながら、どなたさまも新年度を駆け抜けていけますように。



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さっきまで小腹が空いて、塩おにぎりを一つ食べたら、美味しすぎて4つくらい食べたし、途中で味噌汁とおかずを追加した。
私の辞書にダイエットの文字はないものの、ちょっぴり気にはなる。四十路なので。

ただし、そのおにぎりは小さいからお茶碗1杯とちょっと分くらいしかないはず。
カタログギフトでおにぎり作るやつを選んでよかった。
それも、美容院のポイントが貯まったらもらえた。
ナニ言ってるかわからないと思うが、私もよくわからない。とにかく、その美容院はポイント貯まったらカタログギフト、らしい。
お祝いごとではなく、こういう使い方もあると知る。


料理を作るのも好きと判明したのはつい最近だと書いたけど、よく考えたら昔から料理本を読むのは好きで、実家から持ってきた料理教室の本はお気に入り。
昭和も後半の古い本だからか、ちっともわかりやすくない。
ご飯の炊き方も書いてあるけど、「炊飯器は便利だけど、鍋の炊き方を知ってこそ家政を預かる身としては一人前」みたいなことが書いてあるのも、趣深い。

ちなみに私は炊飯器が壊れてからというもの、一度も炊飯器を使っていないけど、火の番も苦じゃないし、土鍋ご飯が美味しいから好きでやってるだけで、ベンリなものは使えばいいと思う。
未だに出汁を自分で取ったことがなくて、未だに味噌汁を作るのには顆粒出汁を使っている。


暖かくなって、花見は喫茶店の切り枝の桜で済ませたけど、お弁当を作って出かけたい気分。
最近の暑すぎて寒すぎる季節に、この心地よい気温も儚げに思えて、記憶がすぐ朧気になってしまいそうだから、覚えておく材料になるかなって。


そういえば昔、会社でホテルの会議室を貸し切ったイベントで、一通り終えたところでご飯に飛びついたのを上の人にたしなめられたのを思い出した。

食い気だけはあの頃は変わらず、何も成長してないな、とそろそろ重くなってきたお腹具合に、ぼんやり思う。












巫(かんなぎ)の林 紗妃です。


ちょっと最近、根本的な思考のOS刷新中で、書くことがうまくまとまらないのですが、今だけだと思えば貴重な機会だとも思うので、自分の記録のために書きます。
(もうこの書き方がすでに…って感じもする)


オキナガタラシヒメさま(神功皇后)に言われた最短最速思考、はじめは意味がわからなかったのですが、2か月経った今、自分の今の状態を鑑みると、シンプルに「自分のために・自分でする」ための思考かな、と思いました。


素早く結果が出るわけでもなく、それも思う通りになるとは限らないけれど、「自分の可能性は実現できる」という、自分の視野に囚われない生き方が可能になるのでは、踏んでいます。


そう考えると、思うように結果が出ない一つの理由には、「自分の目に見えていない動機」に目を向けていない可能性があります。


たとえば、私の場合でいうと

・自分の不安を解消したい

・過去を取り返したい


主にこの2つの動機が強かったです。


前者は、それこそ自分で対処すべきことですし、後者もまたどうしようもないもの。
それがわかっていても、今なお囚われている心の動きもありますが、まずは知らないことには始まりません。


動機は、自分で「隠している」場合も多いです。
見ずにいれば、対処しなくて済むからです。
他で補完したり代償したり、あるいは他者を見て非難していれば、少なくとも自分の気持ちは感じずに済みますし、もっと言えば自分の至らなさに目を向けずに済みます。


これが、いわゆる「自分へのごまかし」ですし、生きづらさの根本的な原因の大半は、ここにあるように思います。


私も目下そのごまかしを解除すべく取り組み中です。
最短最速思考のほうがラクだとアタマでわかっていても、「慣れた生きづらさ」を心地よく感じるのは、恒常性を維持する本能ですが、自分の意志のほうが強いと信じるなら、乗り越えられるはずです。



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