巫(かんなぎ) の林紗妃です。
突発的に、連載を始めました。
昨夜の記事にご協力くださった方、本当にありがとうございました!
(記事は今朝10時過ぎに非公開にしました)
お陰さまで無事に本日、お支払いできたのをご報告すると共に、深く御礼申し上げます。
今日の記事は、そのSOSの記事を出す直前から、出した後のお話です。
さて昨夜、ポストに届いたのは家賃の催告書でした。
それも、2回目。
その赤い封筒を見て「払えない恐怖」で半ば衝動的に出したのが、昨夜の記事です。
しかし、いざ記事をアップすると恐怖感がさらに増します。
悔しいのと不甲斐なさと惨めさ。
それでいて、一人で抱え込まなくてよくなった解放感。
そんなグチャグチャになった気持ちを少しでも立て直そうとお風呂に入るも、アタマの中はホワイトノイズがかかったまま。
理詰めで安心感を得ようとしても、混乱が収まりそうにありません。
なので、自分の気持ちを書き出してみることにしました。
以下は、実際に書いたメモです。
これが自分の甘えであり、十二分に非難されるに値することとしているけれど、まずもって非難してるのは私だけだな。
あと、これをすることで人がどう思うかなんて関係なくて、それより自分はどう思っているかだよな。
なんで、そこで自分の感情を度外視しているんだろう?
本音ではどう思っているんだろ?
●本音
・実は、「安心したい自分」で不安を投げ込んだことに後ろめたさを感じてもいて、出したことで安心したがってもいる。
・一方で、もう自分の限界を認めて全世界にタスケテとSOS出せた私、すごいなと認めてる。
・惨めさと悔しさと解放感で泣いたし、今も惨めさはあるけど、なんかそこで経済的支援を依存したがっているような気もする。
・本来、自分のすべき仕事を投げ出して甘えたことに自覚を持っていて、もうそれでもいいや…と思っている。
・期待してもいるけど、それは違うと思っていて、思う通りにならなくても信頼はできる。
・思う通りになるのもならないのも、可能性は一つではなく、どっちでもまるっと引き受けることを信頼と呼ぶのだろう。カクゴが足りない。まだ、期待を寄せて安心したがっている。
・そして、結果如何に関わらず「経済的に自立することで分離する責任は負わねばならない」ようになっていることに、今気づいた。
・つまり、「自分がどうあっても助けてもらえる事実」で、存在の無条件性を否が応でも自覚せざるを得なくなる。
・一方で「思うようにいかなかった」ことは単に事実に過ぎず、それでも分離しない理由にはならないし、むしろ分離を促進させるしかない。それでいて、仕事の責任を持つことにも腹を括ることに繋がる。
・ただ、よかったのは個別で投げずに辛さを出したことだった、かもしれない。
・それがいいか悪いかは判断しない。だって、もう自分の選択で賽を投げたんだから。まず、そこからでしょ。
ここで言う「分離」は、精神的な自立=親離れを指します。
以前から「心理的に親離れをしていない依存状態」に取り組んでいるのですが、いかんせん長らくその状態で過ごしてきたせいで、分離への抵抗が強いのです。
その依存心を否認していた頃は、仕事には何の影響もなかった(というか気づいてなかった)のですが、いざ自覚すると生活や仕事に支障が出始めました。
その結果、SOSを出すしかない状況になるまで自分を追い詰めていた形です。
「助けられている事実」は、このときの自分の気持ちをも救ってもらいました。
そして、「本当の課題」に気づけたのも、今回SOSに応えてくださった方がいたからです。
改めまして、この度は私の身勝手なお願いだったにも関わらず、助けてくださってありがとうございました!
さて、現実的な危機は脱したものの、今度はさらに根深いところにあった本来の問題と直面することになりました。
なんなら今まで起きていた「現実的な問題」すらも、その問題から目を背けるをために自ら作ってきたようなものです。
続きます。
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