巫(かんなぎ)の林 紗妃です。
前回はイナリヒメのご指導の話を書きました。
今回は、その続きです。
記事を書いたあと、イナリヒメが話しかけてきました。
ためらわない自分も気持ちいいものでしょう?
フフンと得意げな様子です。
たしかに、書いている間は記事に集中していて、自分の枠組みや制限がどうとか気にしないでいられたのでした。
意識を変える働きかけも大切ですが、豊かさを手っ取り早く手に入れる一番の方法は行動・実践あるのみ!
いちいち、ごもっともな意見です。
わたしはつい思考に絡め取られて、立ち止まってしまうからです。
それにね、今なら行動の実績を適切に評価できるでしょう?
もう無価値なんて、無効化しなくなるはずです。
確かに今の私は以前よりずっと自己信頼を培うことができています。
失敗としてはいけません。恐れてはいけません。
どうせ豊かさは手に入ることを信じなさい。
実践によって気持ちもシフトさせていくのです。
そこで、私ははたと気づきました。
ああ私、必死に食らいついている今の自分、キライじゃない。
イナリヒメの圧を感じながら、ヤレ急げそれ今すぐとせっつかれるのは、まあまあのプレッシャーです。
それでも、その夢中になれる時間は、とても心地いいものでした。
・・・と、ここまではよかったのですが。
エネルギーの循環がよくなったせいか、今度は「おみくじメッセージ」ではうまく自分のエネルギーが使えないことに気づきました。
もともとエネルギー状態が低調だったので「今回は・・・」としましたが、それがなくなった今、力をセーブする必要がなくなったのです。
だんだん、自分が妥協しているかのようにも思えてきました。
一体、神さまに力を貸してほしいと願うのは「本気で変わりたい人」たちであるというのに、メッセージのみで後押しのない妥協の産物なんて、なんの意味があるのだろう。
神さまからのメッセージの真価はーー少なくとも「私の」神さまメッセージにおいては、ですがーー「後押し」こそがカギなのです。
無論、それは口を開けて待っていたら幸運が運び込まれるものではありません。
与えられたチャンスを掴むのは、自分のみ。
誰でも例外なく、です。
それでも、逆に言えば「チャンスが与えられる」のです。
もちろんメッセージで気づきを得られることも確かですが、それはあくまでもそれに気づく扉であり、変化が起きる補助のようなもの。
それに改めて神さまメッセージを出す余裕はもうありません。
次の神さまの予定も控えているのです。
とにもかくにも、予測を上回るエネルギー状態の変化に戸惑いますが、悔やんでも仕方ありません。
すぐにご案内を引っ込めて、書き直すことにしました。
もし、ご検討されていた方がいらしたら、申し訳ありません。
*既にお申し込みの方には、別途ご連絡いたします。
幸いにして、大きな致命傷にならずに済んだことにホッとしています。
このままいけば、逆にエネルギーを低く抑えて仕事をせねばいけないところでした。
それは仮にできたとしても、自分の矮小化にしかなりません。
もちろん、おみくじでも神さまメッセージでも取り組むことに違いありませんが、「妥協した事実」で私が納得できなかったでしょう。
ここまで気づいて、なおイナリヒメは「いつ気づくか見守っていました」との弁。
すっかりお見通しだったわけです。
「これでこそ、力を貸してお手伝いする甲斐があろうというものです」
~ここからはイナリヒメによる神さまメッセージのご案内です~
あなたが欲しいモノはなんですか?
上げたい運気はありますか?
恋愛、仕事、お金、人間関係、地位や名誉。
本当に、なんでもいいのです。
本気で「欲しい」と思ったら、それは叶えられます。
だって、それはアナタだけが持つ「豊かさの価値」だから。
アナタの流れに入ってくる豊かさは、自分だけのモノじゃなく、社会や世界にも喜びや幸せをもたらすものであるはずなのです。
それを「欲しい」と思うのは、罪深い?
いいえ、そんなことはありません。
まったき欲望があるのは、人として当然のことです。
その純粋な気持ちに従うからこそ、喜びが生まれ、世界の豊かさを味わうことができるのです。
その想いを無効化するのは、なぜですか?
その想いを無価値とするのは、誰によって決められたのですか?
芸術に秀でている者は、そこに価値を見出しすでしょう。
遠い異国の文化に価値を見出そうとするなら、この国の文化との違いにもまた価値を生み出せるはずです。
自分の感性をこそ信じる者のみが、真の豊かさに目覚めていけます。
あなたは幼い頃、自分の欲しいものを疑うことなく、誰に引け目を感じることなく、曇りなき眼で手を伸ばしたではありませんか。
どうして今になっても、それができないでいられましょうか。
大人になった今だからこそ、手を伸ばしたら届いて、その先へと行けるはずなのです。
諦めに身をやつすなら、それもいいでしょう。
でも妥協なき欲に気づき、その欲望と共に願いを叶えようと一歩踏み出す者たちをこそ、私は歩みを支えましょう。
なくならない欲望こそ、あなたの一番の願いのはずです。
なくしたら、生きていけないはずなのです。
なぜならそこにこそ、あなたの感性の拠り所があり、叶えたい夢があるからです。
何度でも、いくつでも、叶えていけばいいではありませんか。
それは欲ばりでも、「自己チュー」でもありません。
愛と平和をこそ生み出し、そしてこの世の中の「喜びの総量」を増やしていけることなのです。