巫(かんなぎ) 紗妃です。

ただいま英彦山神宮のレポートを掲載中です。

 


  


 



最後は旅の振り返り。


英彦山神宮は、昔ながらの形で御神域を守っている神社だと感じます。

というのは、山を御神体とする神社は、ふもとに里宮を置いて、山頂を奥宮とする所が多いんですね。
でも修験場でもあった英彦山は、今でも山に登ることを前提としている場所のようでした。


そういう意味では、人を選ぶ場所かもしれません。
中には、十回近くトライしてやっと来られた方もいらっしゃったそうです。
(予定が合わなくなったり、天候が悪くなったり、ケーブルカーのところまで来て気分が悪くなったり…)


とはいえ、「よそ者を忌避している」という閉じた雰囲気ではありません。
そうではなくて、その厳しさを知った上でなお、自分を律して乗り越える力を見ているような気がします。


実際、たどり着いても山を登るのは容易ではありません。
ひたすら登ることに集中できたらよかったんですが、初日は気を抜いたときに右足首をひねってしまい、翌日は下山時に滑って、膝を打ってしまいました。

幸い、打撲と軽い擦り傷で済みましたが、自分がまだまだよそ見していることを思い知らされました。
(逆にその程度で済んだのは、助けてくれたからなのかな、と思います)


山に登りながら、まるで人生の縮図を味わっている気分でもありました。


山と呼吸を合わせるのは、自分の道・命運に逆らわず流れに乗っていくこと。
そうすれば、自然と守られたり助けてもらえること。


進み方やそこで感じ取るもの、学ぶものは人それぞれであり、流れに一喜一憂したり他の人と比べるのはムダであること。

結局どこを通っても辿りつく所は同じゆえに、自分のペースを守りながら回り道でも着実な道を選ぶ方が、長く続けられること。

厳しいときこそ、今の自分にできることに集中すること。
また、逆境は自分の行動や思考の歪みに気づく機会になること。

たどり着いたとしても、それは一区切りで、いつまでもその場に留まってはいられないこと。
人生はその繰り返しであること…


無我夢中の山登りでしたが、同時にたくさんのことを教えていただいた、学びの時間でもありました。


旅のレポートはこれで終わりです。
でも、山の神さまは他にも伝えたいことがあるみたいです。
次は、その話を書きます。