機運に乗るのも流れが変わるのも、ここからパキッと急にっていうのはなくて、ほとんどグラデーション的。
渦中にいるときはわからなくても、振り返れば繋がっていた、というのがよくある話。
いきなり急に変わってトントン拍子っていうのは、短期ではあるかもしれないけど、長期ではほぼない。
今できることを続ける。
ふてくされようが怖かろうが。
変わるのは結局のところ、そういう地道な下積みがモノを言う所は大いにある。
立ち止まるときは立ち止まって、休むときは休んで。
中途半端に動くなら、何もしない方がかえっていいように転がったりする。
そうは言っても、何かすることに慣れてしまっていると立ち止まるのも躊躇うもの。
停滞を感じるとすごく悶々として、動かない状況にジリジリする。
かくいう私も待つのはとてもニガテ。
ついつい「神さまなんとかしてくれよぅ」なんて願ったりするけど、そんなときに限って「いいから今は待て」と素っ気ない。
返事が来るのはまだいい方で、だんまり知らんぷりでシュンとする時もあったっけ。
でも、やっぱり神さまが言うとおりで、必要なのは待つ忍耐を養う努力だった、なんてことは数知れず。
そのときですら何も動いてないなんてことはなくて、
単に外向きの動きにばかり目をやっていただけで、内側の土台の方で準備していたりするんだな。
荷を降ろして、整理して、次の流れを呼び込む土台づくりは、気づかないところでやっている。
筋トレしたら、休んでるときに筋肉が育つ、みたいな感じだよ。
ガンガン神さまに鍛えられましたよっと。
こういうことを言うと「なんだ、神さまってもっとラクにしてもらえると思ってた」って声が聞こえてきそうなんだけど、実はそうでもない。
思うに、荷物を持つのに慣れすぎてるだけなんだな。
抱え込むことが当たり前になって、手放すのを惜しむからハードに思えるだけで。
それが「自分の都合の良いように」って無意識に願ってしまう気持ちに表れてくる。
いやいや、そりゃあ無理ってもんだ。
キレイな水が欲しいのに、差し出したコップが淀んだ水でいっぱいになっていたら、まずは洗ってカラにすることからでしょって。
こんな「そりゃそうだ」って当たり前のことでも、自分の内面ではやっちゃっていたりするんだよ。
それが「常識」みたいな、なまじっか大きな枠で捉えちゃってるから、自分の状態を見失う。
だから神さまは、まず「捨てろ。負うな」だし「本来の自分を思い出せ」って言う。
何かを成すことなんて後回しだし、人のためよりまず自分のことって。
それはね、ホントにそう思う。
世間では「世のため人のため」をよしとされる風潮だけど、まず自分なんだよ。
でないと、いつまで経っても満たされないから。
不満だらけなのに「でも自分は人のためにやってる」って言うのは、単に誤魔化してるだけでしょ。
どうせなら、自分を満たしながら夜のため人のためにって生きていきたいじゃないさ。
(もちろん、世のため人のために生きなくてもいいし)
そういうのをね、私は何度も神さまに教えられたな。
カミゴトをやるなら人のためにって思ってたけど、やっぱりそれだけじゃ苦しくて、まずは私が満たされることを知らなきゃいけなかったんだ。
メッセージで「救われました」とか言われても、じゃあ私はどうしたら救われるんだろうって思ってたよ。
それは、私が自分を置き去りにして人のためを優先していたからに他ならない。
だから、今はまずは自分が先、その上で私が人にできることをって思ってる。
こう思えたのはつい最近でね、沖縄に行った後だから流れが変わるのはまだ先なんだと思うんだ。
でも、これが腑に落ちたから変わることがあるって、今では「待ち」の期間でもおとなしくなったよ(笑)
今、流れのグラデーションのどこかはわからないけど、ずっと黒のまんまってことはないってわかってるからね。
神さまメッセージでは、それがダイレクトに言葉として来る。
今わからなくても後からわかることが沢山あるから、一度受け取って終わり、じゃないんだな。
流れが変われば、受け取るものが変わることは、これまでお届けした人が教えてくれたよ。
荷の降ろし方、今よりずっと自由になる方法を教えてくれるのが、神さまのメッセージなんだな。
一朝一夕ではいかない代わりに、着実に上調子になるのは、漢方薬みたいだなって思う。
来年の今頃は、だから「同じ場所」になんていないんだよ。
そういう風になってるんだもん。
だから今頃、「メッセージで人生を変えられますよ」って、私としては言いたいな。
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