こんばんは。巫(かんなぎ) 紗妃@沖縄です。
那覇に戻ってきました。
宮古島は一泊二日でしたが、もっと長くいたように感じます。
朝は漲水御嶽へ。
手を合わせて祈ると、自分が無理やり言葉を押し出そうとしているのがわかりました。
あぁ、これは「取りに行ってる」だ。
「受け取る」じゃない。
手を合わせたまましばし、何も出なくなって空っぽになったところで風が吹きました。
ここの手水はひねって出す方式なのですが、戻るので加減が難しかったです。
着いた途端にワンコがお出迎え。
3年ぶりの再会でした。
さっそく当初の目的地へ向かいましたが、もうすぐ着くところで、上から地元の方が降りてきて「今日は入れないみたいです」と。
ちょうど祭祀にぶつかったようです。
ひょっとして「呼ばれた」なんて気のせいだったのかな…なんて疑念もよぎりつつ、横道で海の方へ。
水神さんの所に行くと「同化」と一言。
こちらが龍神さん?
お姿は見えませんでしたが、とにかく次の船で帰る間、やらなくてはいけないことがあるようです。
とにかく島内をひたすら歩きます。
ところどころ、道端に咲く花の間を沢山の蝶が行ったり来たりしている所は勝手に「蝶の楽園」と名付けたりもして。
日曜ということもあってか、それなりに人はいましたが、要所では会わずに済んだりと、それなりに快適に過ごせました。
来る前に観光ガイドがいることを知って、思わず依頼しようかと考えたのです。
でも、必要なかったみたい。
歩きながら空から「人に倣うと反発するから自然で感じ取るしかない」と言われました。
仰る通り、体感でぶち当たっていく方が性に合っています。
歩く間、私は「同化」のために、ある言葉を心の中で唱えていました。
それは、私が島のありとあらゆるものになる、という類のもの。
もしかすると、ここの祭祀も形は違えど同化することで守っているのかな、なんて。
真偽の程はわかりませんが、今の島の有り様はそうして大切に守られてきて、そういう場所だからこそ残っていくものがあるのだと思います。
ならば、外から来たらそこに参加するのではなく、その空気感を感じることで、「分けて頂く」のが筋ではないか。
そんな風に思いながら島の時間を過ごしていました。
たっぷり2時間、小さな島を歩くと帰りの時間はすぐでした。
お昼休憩を挟んで、今度は別の場所へ。
ここも人が多く訪れるにも関わらず、ゆっくり眺めていられました。
対岸から見ると鮮明にわかる、見えないものが通る道。
奪ってるのか、受け取っているのか。
たぶん、どっちも表裏で両方なんだ。
そう思ったとき、なぜか泣きそうになりました。
帰る時間が迫り、最後に漲水御嶽でお別れのご挨拶。
「何も『受け取れ』てない気がする」とか「呼ばれてないんじゃ…」と僻みかけた時もありましたが、終わってみれば、私に合ったやり方や場所を教えられ、ちゃんと行けてるし、大丈夫だな、と思えました。
自然と一体になる祈り。
その本質の一端を実践から肌で感じ取る。
それが、宮古島で私が「受け取った」こと。
まるで、見えない誰かに案内されて、一人スピツアーに参加していたような時間でした。
行く先々でガイドに案内されている人を見て、あぁいいなぁって思ったけど、私には必要ないんだな。
だって、見えなくても案内されているから。
明日は本島で聖地巡り。
旅はまだまだ続きます。
今回のテーマは「豊かさを受け取る」です。
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