今年の年末〜年始にかけての九州北部旅行の記録です。
(これらの記事の続きです↓)
今年の元旦、「初詣」として旅館近くの須賀神社をお参りした後、35年ほど前?にまだ二人が独身で単なる「同僚」?!だった頃に、当時の私の部署のメンバーを中心とする「出張」のついで?で訪ねたある人物に、35年ぶり?くらいに会いに行って来ました。
その人物とは…
↑ この方!
筑紫君磐井(つくし/ちくしのきみいわい)様です!
(コンナオ顔ヲシテイタノネ…^^;)
磐井様は、6世紀前半に現在の福岡県八女市一帯を支配していた地方豪族で、ヤマト王権と争って敗れたとされる人物です。
(その時のヤマト王権の王〈おおきみ〉が、北陸からやってきた継体天皇というんだから、意味深ですよね…σ^_^;)
※第26代天皇とされる継体天皇は、第15代天皇である応神天皇の「5世の孫」(孫の孫の子)とされ、その前の武烈天皇の代に一旦途切れた皇統がここで再び繋がった!?とされる曰く付きの天皇です…
だから、今の日本の天皇家が「万世一系」とされるのは少なくともここにおいてどうも怪しい〜とされる?!し、またその皇統の正当性を、奥さんになった手白香皇女(たしらかのひめみこ)が24代天皇の仁賢天皇の皇女であり、また「ワカタケル大王」として知られる5世紀の第21代雄略天皇の外孫であるとするところに求めるならば、現代においても「女系天皇」でもいいんじゃね?!
となり、即位されれば「男系天皇」となられる愛子天皇の誕生はもちろん、愛子様のお子が(男子でも女子でも?!)「女系天皇」として天皇になってもいいんじゃない?!
という理屈になると思うんですが…
(いや、どなたかが天皇家のY遺伝子にこだわっておいでだったから、それって意味ないんじゃない?
ということが言いたいだけで…
って…あ、それはタブーなのか?!)
とにかく、そのヤマト王権と戦って敗れた磐井様のお墓とされるのが、ここ…
「岩戸山(いわとやま)古墳」なのです!
…って、あれ?
こんなの昔はなかったぞ!
いつの間にこんなでっかくて綺麗な資料館ができていたんだ!?
しかも…
なんか古墳そのものがすっごく整備されている!?
↑ ここは、単なる「前方後円墳」と違って、その「後円部」の横に張り出すように作られた「別区」と呼ばれるところ…
こんなの、昔行った時も発見されていた?!
(発見されていたかもしれないけれど、そんなにメジャーじゃなかったよね?)
「別区」の端っこの方には、ここから発見された「石人(せきじん)」と呼ばれる人や動物などのレプリカが飾られています。
「別区」は日本全国ここでしか発見されていないし、「石人」もそのほとんどが九州で発見されているそうです。
これは、古代において畿内のヤマト王権とこの九州の地方政権との間で何かがあった証拠なのか…
(すみません!
資料館がお正月休みで閉まっていて、これ以上の推測ができませんでした…σ^_^;
全く、ヘタの考え休むに如かず?…ですね!
お恥ずかしいです…)
↑ 「別区」の側から見た岩戸山古墳
このほぼ正面が「後円部」にあたり、向かって右側の切れている部分が「前方部」にあたります…
↑ 全体像はこんな感じ
…って、昔来た時はマジでこんなに整備されていなくって、(地元の学芸員さんが案内してくれたんですが)草や木が生い茂った小高い山の上?!をひたすら歩き回ったって記憶しかないんですが…σ(^_^;)
↑ 「別区」から後円部をぐるっと回って前方部との境辺りに、古墳に食い込むように?!建てられている岩戸山大神宮
![驚き](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char4/619.png)
![驚き](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char4/619.png)
![物申す](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char4/621.png)
![あせる](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/029.gif)
↑ 八女といえば八女茶!?
岩戸山古墳付近には綺麗な茶畑が広がっていました…
さて、車は再び小城温泉の旅館へ…
↑ 赤い鉄の橋が印象的な大きな川を渡りますが、この川は…?!
筑後川!?
![チュー](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/008.png)
「合唱」をやったことのある方なら一度は歌ったことのあるあの名曲…
(といっても、サビの部分しかすぐには出てこんが…^^;)
🎵ちくご〜がわ〜
ちくご〜がわ〜
そのフィナーレ!
あ〜あ〜〜〜