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雲井の仙人ー思いつ記ー

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雲井の仙人ー思いつ記ー

49番札所 「浄土寺」


大正11年再建という仁王門をくぐって境内へ進むと、入り口のあたりに、松山出身の俳人正岡子規  の句碑が。

四国札所の中でも有数の歴史を物語る本堂で、寺の歴史も古い。

周囲に覆われ、こんもりと茂った森に囲まれて堂宇が建つさまに安らぎを感じる。 


50番札所 「繁多寺」(はんたじ)

 


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繁多寺の納経所、こうして納経帳に御朱印をもらう。(1ヶ寺に300円)

松山市の郊外、小高い丘の上に建つ繁多寺。

石段を上がって高麗門をくぐる。境内は広々としており、大寺だった往時を

ほうふつとさせる。



52番札所 「太山寺」(たいさんじ)


松山市の郊外、住宅街のなかにある簡素な雲井の仙人ー思いつ記ー

「一の門」の脇をバスで通り過ぎ、

駐車場からほどなく

「二の門」である仁王門へ

。仁王門をくぐり、木々に囲まれた参道を

進む。仁王門から本堂までかなりの距離

(5~600m)。

参道沿いには石仏が点在し、霊場らしい雰囲気だ。しばらく歩き石段をあがると

「三の門」である四天王門がある。

正面に本瓦葺きの重厚な趣の本堂。

四国八十八ヶ所中、

現存する本堂では二番目に古いとされる。

風格あるたたずまいをみせている。


53番札所 「円明寺」(えんみょうじ)

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住宅街の一角にある札所。

こじんまりとした仁王門をくぐり、

境内には大師堂の裏手に高さ40cmほどの

十字架のような形をした灯籠がたたずむ。

これはキリシタン灯籠で、

マリア観音とも思われる像が彫られている。

本堂内では長さ4m位の龍の彫り物が目をひく。

左甚五郎の作という説もあるらしい。


54番札所 「延命寺」(えんめいじ)

今治市西北、標高244mの近見山の麓に
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建つ札所。明治維新の際、取り壊された

今治城の城門を、延命寺が譲り受け、

山門とした。

この寺の梵鐘は、音色のよさで地域の人に

親しまれてきた。現在の梵鐘は3代目で、

近見三郎の愛称で呼ばれている。


2代目の梵鐘、近見二郎が現存し、

山門に入る手前、左手の鐘楼堂にあり

、毎年大晦日の除夜の鐘のときのみ、

聞くことが出来る。




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55番札所 「南光坊」(なんこうぼう)

今治市中心部に建つ南光坊は、四国霊場で唯一、「坊」と名のつく札所。

瀬戸内海の今治沖に浮かぶ大三島の大山祇神社の別当寺院のひとつ。





 

                                  
56番札所 「泰山寺」 (たいさんじ)
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現在、泰山寺には山門がなく、境内は石垣の塀に囲まれている。

一見すると城郭のようだ。

大師堂のそばには「大師不忘松」の石碑と松が植えられてあり、大師はこの寺を建立した際に境内に松を植えたとされるが、枯れてしまい、現在の松は三代目。




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57番札所 「栄福寺」


瀬戸内海に臨む今治市南西の山間部、今治の奥座敷といわれる玉川町に建つ札所。

小高い丘陵となっている八幡山の中腹、竹林に囲まれ、山寺らしいたたずまいを見せている。

バスで移動する途中、歩き遍路の青年を見かけたが、参拝を済ませたところに、その青年が、真っ黒に日焼けした姿でやってくる。

聞いてみると、今日で歩き遍路して27日目との事,明るく答えてくれる。私達がバスで、徳島から室戸岬、足摺岬と移動した距離を、当然のごとくて巡る姿を、目のあたりにし、感動する。

ところが次の札所で、またまた感動的な事がおこる。


                                     
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58番札所 「仙遊寺」 (せんゆうじ)


57番「栄福寺」から3kmかなり急な傾斜の細い山道を、くねくねと、標高300mの山頂にある。静粛と深い緑に包まれ、流れる空気もすがすがしく、今治市街も一望に眺めも素晴らしく、仙人でなくても遊んでなごみたくなる。

ところで、ここで参拝を済ませて、帰ろうとしたら、なんと先ほどの青年に、またばったり会う。歩きのコースは山をまっすぐ登るらしく、汗だらけの顔で休んでいる。それにしても健脚である。話を聞くと、後10日間の予定で結願する との事、なんとか頑張ってほしいと思い、お茶でもと、千円を接待すると、辞退しながらも受け取ってくれる。そうして、バスの駐車場に帰ろうとしたら、後から3~400m追いかけて来て、納め札に住所、氏名を書いて「ありがとうございます。」と言ってくれる。  いまも、あの青年は懸命に、歩き遍路を続けてる事でしょう。

納め札は、思い出の記念に大切に残しておきたい。


NHK学園の通信講座、水墨画を受講し雲井の仙人ー思いつ記ー

焼山寺の山門をデジカメで撮って画題に描いて

提出したところ、NHKの機関紙「美術」夏号に掲載されました。

特別入賞した訳ではないが、よいテキストの材料に、なったのでしょう。
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38番札所 「金剛福寺」

四国最南端、足摺岬にある、金剛福寺)の庭園。

池に映ってる塔。

(拡大しないで、見て下さい.、拡大したら手抜きが、ばれてしまいます。)


35番札所から43番札所まで、9ヶ寺を巡る。40番札所から四国霊場は伊予の国、

愛媛県に入る。「菩提の道場」

 発心して、修行の後、すべての煩悩を断ち切る、それが「煩悩」ということ。

巡礼の旅を通して自分と向かい合うことで、それを通じて何かがみえてくる。

とあるが、なにか見えてくるだろうか …。
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 35番札所 「清瀧寺」(きよたきじ)

宮尾登美子の小説で知られる仁淀川河口を見下ろす医王山の中腹、標高180mの付近にあり、

バス駐車場からタクシーに乗り換え、細く曲がりくねった急勾配の山道を登って行くと、いきなり山門にたどり着く。山門の先に続く急勾配の石段を上がっていくと少し広い場所に、高さ15mの大きな薬師如来立像が出迎えてくれ、その奥、石段を上がったところに本堂、大師堂が並ぶ。

薬師如来像の基壇は、暗闇のなかを手探りで進む「戒壇めぐり」が設けられている。

やりかけてみたが、暗闇で途中でやめる。

(右写真が薬師如来立像)
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寺の名前の由来となった滝は、本堂右奥に小さな滝が清水を落としている。

我々が大師堂で読経をしている時、本堂で一人の熱心な遍路者が、読経の後、素晴らしい音色でほら貝を吹いていたのに感動する。                       


雲井の仙人ー思いつ記ー 6番札所 「青龍寺」(しょうりゅうじ) 


荒波を除ける海上安全の波切不動として、多くの人々から信仰を集めてきた「青龍寺」。

寺に向かう参道は山すそをくねくねと曲がりながら急坂を上る細道で、路傍には八十八仏と呼ばれる石仏が点在し迎えてくれる。

仁王門左手の高台に三重塔。さらに長い石段を上がっていくと正面に古びた本堂。左手には真新しい大師堂が建つ。

あたりはうっそうと茂るビロウの木立に包まれ、雲井の仙人ー思いつ記ー

山寺らしい雰囲気を感じさせる。





雲井の仙人ー思いつ記ー 7番札所 「岩本寺」(いわもとじ)

ここは四国霊場で唯一五体のご本尊(不動明王、阿弥陀如来、観世音菩薩、薬師如来、地蔵菩薩)を祀る寺。

五つの異なる仏像をすべて本尊とし、秘仏で、60年に一度の開帳。次回は2060年の予定。

この寺で印象的なのは、本堂の天井絵。

昭和53年、全国から公募して集められた絵画575枚がはめ込まれている。作風や画材もさまざまで、一風変わったものとなっている。
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なにしろ天 井絵にマリリン.モンローが描かれている寺は、日本全国でもおそらくここだけだろう。


岩本寺は前の札所からはかなりの道のりになる。36番青龍寺から約60km。歩き遍路ならまる2日、そして次の38番金剛福寺までは、四国札所では最長という90km以上の道のり、徒歩なら3日はかかりそう。 土佐の札所は「修行の道場」と呼ぶが、この道のりを進むのは交通網の発達した現代でさえ「修行」と感じさせる。

先達さんの経験を聞いてみると41日間で回ったとの事、時間と余裕があったら歩いて巡ってみたい気もするが…?

38番札所 「金剛福寺」(こんごうふくじ)
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四国の最南端、断崖絶壁の上に白亜の灯台が建つ足摺岬。 その岬に臨む高台に金剛福寺は建つ。  周囲をアコウやビロウの原生林が囲むなかに堂塔が点在する境内は広くゆったりとし、池に映った堂塔が印象的だ。

鎌倉時代初期に書かれた「とはずがたり」の伝説に次のような伝説がある。

その昔、金剛福寺が住職と小僧二人が住むだけの寺だったころ、当時のこの岬は人里遠く離れた、まさに辺鄙な場所。寺を訪れる人も少なく、二人は毎日の食事にも困窮する有様だった。ある時この寺に旅の僧がおとずれる。小僧は乏しい自分の食事をこの旅の僧に分け与えた。 そんな小僧を住職は「わずかしかない食糧を、あのように分け与えたら自分達の食べるものがなくなる」と叱る。

しかし小僧はそんな住職の小言にもかからわず、旅の僧に食べ物を与え続けた。

そんなことが続いたある日、旅の僧が礼を言って小僧を海辺に誘い「わが住処へ案内しよう」と、観音菩薩の姿となって海のかなたへと連れて行った。

それを見た住職は驚き、足摺りをしながら泣き叫んだ。 以来この岬は足摺岬と呼ばれるようになった。

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展望台から望む白亜の足摺岬灯台。断崖絶壁


金剛福寺の境内。


 



39番「延光寺」(えんこうじ)
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境内に入ると右手に梵鐘を背負った亀の石像が目に入る。 鐘は高さ33cmほどのちいさなものだが、重要文化財に指定されている。アオウミガメが梵鐘を背負って竜宮城からやってきたと言う伝説があり、これが石像の由来。

20番「鶴林寺」での鶴の朱印と同じく、このお寺で亀のご朱印を白衣に押してもらう。

弘法大師がこの地を訪れたとき、村人たちが水不足に悩んでいることを知り,、錫杖で地面を掘って清水を湧き出させたといわれ、この水は本堂の脇にある「目洗いの井戸」として残され、井戸の水で洗うと眼病が治るという。


水はひんやりと冷たく、気持ちがいい。

目を洗いながら一心に手を合わせる遍路も見かける。

43番札所 「明石寺」(めいせきじ)
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この寺は「めいせき寺」と呼ばれているが、もともとの呼び名は「あげいし寺」。千手観音の化身といわれる女神が、深夜、丘の上のこの寺に巨大な石を運びあげたという伝説がその由来。

石段の上に見える仁王門の、更に奥の石段の上に、本堂と大師堂。

仁王門から脇へ進んだところには弘法大師が修行したという修行井戸がある。最近では小説「極道の妻たち」の家田荘子さんが修行されたらしい。
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番外 「十夜ヶ橋)」(とやがはし)

 

「明石寺」から次の44番「大寶寺」へ向かう途中にある大師ゆかりの、十夜ヶ橋がある。

この地を訪れた大師が橋の下で一夜を明かしたが、あまりの寒さで一夜を十夜にも感じたという伝承の地。 以来今でも遍路は橋の上で金剛杖を突くのがタブーとなった。 

(お参りした時、若い青年の遍路が、橋の下で暑さをしのいでいた。今日はここで野宿でもするのだろうか…)


40番札所 「観自在寺」(かんじざいじ)

 
雲井の仙人ー思いつ記ー この札所から四国霊場は伊予の国、

一番札所「霊山寺」から最も遠い札所でもあり、「遍路の裏関所」ともいわれている。

「菩提の道場」伊予の一番寺。

古びた山門は、何度かの火災もまぬかれた

約200年前の建物で、「平城山」と書かれた扁額

が印象的、  山門を入ると正面に昭和39年再建のコンクリート造りの本堂、右手に平成5年改築の大師堂。 左手には生まれ年の12支の守り

本尊を刻んだ石仏八体があり、参拝者が水を

かけてお参りしている。

          雲井の仙人ー思いつ記ー            41番札所 「龍光寺」(りゅうこうじ)

山間平野を見下ろす小高い丘の上に建つお堂に向かう石段の上に見えるのは、山門ならぬ神社の鳥居。不思議に思いながら石段を登って行くと、登りつめたところにあるのはお稲荷さんの

社殿。龍光寺の本堂は、石段の途中の分かれ道を左に進んだところにあり、分かれ道を右に進めば大師堂が建っている。
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42番札所 「仏木寺」(ぶつもくじ)

地元の人が親しみをこめて「大日さん」と呼ぶ

この寺は、その名のとおり大日如来が本尊。

牛馬の守り本尊として信仰されてきた。

山門をくぐって境内に入ると、珍しい茅葺き屋根の鐘楼が印象的だ。