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雲井の仙人ー思いつ記ー

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第11回「四国遍路の旅」

1124.25日 12日で71番札所から85番札所まで15ヶ寺を巡る。


71番札所 「弥谷寺」(いやたにじ)

標高382mの弥谷山。境内までは約500段の石段が続く道。一行の半数はタクシーで、あたりは緑に囲まれ、森閑として山寺らしい雰囲気に包まれている。

靴を脱いで大師堂に上がると堂の奥に「獅子の岩屋」と言う薄暗い岩窟があるが、これは真魚(まお)と名乗っていた幼い(7~8才)大師が修行に励んだ場所と伝えられている。山の上の寺でありながら境内には多くの堂宇が建ち、印象的なのは岸壁に刻まれた「磨崖仏」。その先、岩壁に覆われるようにして本堂が建っている。


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73番札所 「出釈迦寺」(しゅっしゃかじ)雲井の仙人ー思いつ記ー

農村風景の中にたたずむお寺。真魚と名乗っていた幼いころの弘法大師が捨て身で祈願した地とされ、お釈迦様が姿を現したと伝えられることから出釈迦寺の名がある。  巡拝所から我拝師山のほうを仰ぎ見ると、山上に「捨身ヶ嶽禅定」と呼ばれる奥の院が見える。これは弘法大師7歳のとき「仏門に入って多くの人を救いたい。この願いがかなうならお釈迦様よ、現れたまえ。願いがかなわぬなら命を捨ててこの身を諸仏に捧げる」。こう念じて断崖から飛び降りた。すると釈迦如来と天女が現れ弘法大師を抱きとめたと伝えられいる。

(写真山の谷間にある捨身ヶ嶽禅定)

72番札所 「曼雲井の仙人ー思いつ記ー 荼羅寺」(まんだらじ)

ここは八十八ヶ所で最古の寺。

こじんまりした境内に本堂、大師堂。観音堂が並びその一角に、大師がここを曼荼羅寺と改めたとき、記念に手植えしたという不老の松(笠松)が枝を張っていたが平成14年に枯れ死。その幹を材に刻んだ仏像が(笠松大師と呼ばれる座禅を組んだ弘法大師像)小さなお堂に安置されている



74番札所 「甲山寺」(こうやまじ)雲井の仙人ー思いつ記ー

田園風景の中、小高い甲山のふもとにたたずむ、こじんまりした札所。

境内の奥に毘沙門堂があり岩窟の中に毘沙門天が祀られている。

大師が善通寺と曼荼羅寺の間に伽藍を建てようと霊地を探していた。すると、

甲山の中腹で白髪の老人が現れ、「この地に寺を建てよ」と告げられ、大師は早速、石を削って毘沙門天像を刻み、山の岩窟に安置したと伝えられている。

(ここでバス駐車場にて車中、昼食もそこそこに次に向う)

75番札所 「善通寺」(ぜんつうじ)

善通寺は弘法大師誕生の地。 高野山.東寺.と合わせて空海の三大霊場。

広大な境内は東西2つに分かれている。本堂がある東院から参拝、右手にはシンボル的存在の五重塔、高さ45mの四国最大の塔。又その右手に弘法大師の幼少時代にすでに葉を茂らせていたといわれるクスノキの巨木がある。

東院と西院を結ぶ参道を行き西院仁王門に、仁王門からは回廊が正面の御影堂(大師堂)まで続く。御影堂には戒壇めぐりがあり、地下にめぐらされた真っ黒な回廊を手探りで進み、弘法大師生誕の聖地を詣でるというもの。

八十八ヶ所の総本山とも思えるほど広大、壮大な霊場だ。



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77番札所 「道隆寺」(どうりゅうじ)雲井の仙人ー思いつ記ー

堂々とした構えの仁王門をくぐると、参道に250体余りのブロンズの観音像が並ぶ。境内、大師堂の前には、先の「遍路の開祖」弘法大師像の前にひざまずく衛門三郎の像がある。また本堂裏手に「潜徳院殿堂」眼なおし薬師さま。「め」の文字を祈願所が堂内に納められている・




76番札所 雲井の仙人ー思いつ記ー 「金倉寺」(こんそうじ)

善通寺から住宅地の中を4km進むと、どっしりとした仁王門が。境内に入ると石畳が続き、本堂、大師堂も比較的新しい建物で、全体的に整然とした印象の寺だ。円珍すなわち智証大師、弘法大師の姪の子として知られる人物が建立したといわれ、他にも円珍は比叡山延暦寺の5代目の座主や、大津(滋賀県)の三井寺を建立した。この寺ではこうしたいきさつから、大師堂に弘法大師、智証大師、二人の大師が並んで祀られている。 


78番札所 「郷照寺」(ごうしょうじ)雲井の仙人ー思いつ記ー

瀬戸大橋を眺望するゴールドタワーのある町、宇多津。この町で厄除け宇多津大師として親しまれている78番札所郷照寺。参道の石段を上がっていくと視界が開け、境内から瀬戸大橋が見え、かなたには瀬戸内海が望める。

本堂は二層の屋根が印象的な江戸時代初期の建物。

四国八十八ヶ所で唯一の時宗の寺。


ここで1日目は終わり。

第11回「四国遍路の旅」 2日目  朝8時ホテル発

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82番札所 「根香寺」(ねごろじ)


五色台の青峰に建つ札所。

仁王門をくぐって境内へ進むと、いったん石段を下り、その先で上がるという変わったアプローチになっている。

朝早いせいか巡拝者も少なく、あたりは森閑として、また境内参道の左右は紅葉が素晴らしく、木々に囲まれた静粛な寺のロケーションがなんとも言えない雰囲気で気持ちを癒してくれる。

先の智証大師円珍がこの地を訪ねたとき、千手院を建立し、霊木に千手院観音像を刻んで安置。その霊木の根株が香りを放っていたことから根香寺が寺名になった。本堂の手前には万体観音堂があり、全国の信者が奉納した約3万体の観音像が並んだいる。



雲井の仙人ー思いつ記ー 81番札所 「白峯寺」(しろみねじ)

五色台は瀬戸内海に臨む景勝地、赤峰、黄ノ峰、青峰、黒峰、白峰の五つの峰からなり、ここ白峰寺は標高350mの白峰に建つ札所。

この寺の山門は五つの瓦屋根が段差をつけて連なる独特の形式で七棟門といい、国の重要文化財。

崇徳天皇(崇徳院)の秘話…崇徳院は皇位継承をめぐって弟の後白河天皇と対立し、保元の乱を起こすが、敗れて讃岐国へ流され、46歳で非業の死を遂げる。
             


  

79番札所 「天皇寺」(てんのうじ)雲井の仙人ー思いつ記ー

田園風景の道を行くと、見えてくるのは寺の山門ならぬ朱色の鳥居。それも、左右にも瓦葺きにして格式を高めた鳥居。鳥居には「崇徳天皇」の額。この鳥居から先が天皇寺の境内。弘法大師がこの近くに沸く泉で霊感を得て、霊木で十一面観世音菩薩を刻み、一堂を建立。

先の崇徳院の亡骸が荼毘に付されるまで、3週間近く安置されていたのが、生前の院がしばしば足を運んだこの寺だった。という。

                                 

                                 

                             80番札所 「国分寺」(こくぶんじ)

聖武天皇が国雲井の仙人ー思いつ記ー 家鎮護を祈願して全国各地に建立。讃岐国に建てられたここ国分寺だ。四国八十八ヶ所の四つ目の国分寺。

仁王門から本堂へのびる参道沿いには松並木に生っており、松の根元には四国八十八ヶ所の本尊を石仏として並べたミニ八十八ヶ所が設けられている。もと讃岐国分寺の寺域は東西220m南北240mあったとい われ境内には33個もの大きな磁石が点在している。本堂は柱間五間と左右に広がる正面にシンプルな和洋の組物。入母屋造りのどっしりとした屋根。軒下など歴史を感じる美しさがある。



  

84番札所 「屋島寺」(やしまじ)雲井の仙人ー思いつ記ー

屋島といえば、源平の合戦。那須与一が的を射た海岸や、義経が弓を落とし危険を冒して拾った場所がここ屋島の東の海岸。そんな古戦場を見下ろす山上に、屋島寺はある。境内はいたって明るく開放的で、高松を代表する観光地だけに観光客も多く。お寺を中心に山上には旅館やみやげ店が並んでいる。

奈良時代に鑑真、奈良の唐招提寺を開いた名僧が、奈良に向かう途中に屋島に立ち寄り、お堂を設けたのがここ84番札所屋島寺の始まりという。

                               


85番札所 「八栗寺」(やぐりじ)

屋島の東対岸雲井の仙人ー思いつ記ー にそびえる岩肌が印象的な五剣山(標高366m)の中腹に建つ札所、八栗寺。かっては難所のひとつに数えられていたが、現在はケーブルカーで山上まで行く。境内に入ると五剣山を背景に本堂が建つさまは圧巻。いかにも深山の寺といったたたずまいだ。

弘法大師は唐に渡る前に宿願成就を願いこの山に登ったが、そのときに境内に埋めたのが八つの栗。帰国後にここを訪れると、8株の栗の木が成長していたことから八栗寺と名付けられた。

                               

83番札所 「一宮寺」(いちのみやじ)雲井の仙人ー思いつ記ー

高松市郊外にある讃岐一宮である田村神社の管理を行う別当寺となった一宮寺。

弘法大師がここを訪れて聖観世音菩薩を刻んで本尊とし、寺を真言宗に改宗したと伝えられている。

境内の中央にクスノキの巨木があり、その根元に小さな石の祠がある。この薬師如来石堂に頭を入れると、ゴーッという音が聞こえ、それは地獄の釜がたてる音といわれ、心がけの悪い人がここに頭を入れると、抜けなくなるという言い伝えがもある。




春先、友人に20匹程のメダカを貰い、この夏に
雲井の仙人ー思いつ記ー 70~80匹に繁殖しました。赤、、白、黒、青といろいろな色をしたメダカがいます。

先日、その友人が新しい品種を持って来て くれました。

「ほたる」…写真の背の丸いメダカ、背びれの部分が青白く光るような色をしてます。

「だるま」…写真左上、胴が短く、ずんぐりむっくりと丸い愛嬌ある形をしてます。

別な容器に飼育して繁殖を試みてみようかな、と思っています。
 

「鈴なりの 柿にキョロキョロ もず一羽」雲井の仙人ー思いつ記ー

今年は柿の当り年のようで、あちらこちらで鈴なりになっている柿を見ることが出来ます。田舎にも昨年は鳥害でだめでしたが、今年は冨由柿が小振りながらたくさんなりました。友人に西条柿を50個くらいもらいつるし柿に。

あまり好みではない、と思いながら軒下に吊るす風情が懐かしくベランダに吊るし

4~5日たって食べてみると、なんとうまいこと…

もう少し吊るせばよかったかな。


最初の句の詠み人は私の中学生の頃、宿題に出した俳句? いまだに覚えているのはなんでだろう。







雲井の仙人ー思いつ記ー 2年前苗木をもらい地植えにしたところ、グングン大きく背丈くらいに成長したが、昨年は花を見ることが出来ませんでした。

今年も大きく育ち、見ていたらなんと指大の蕾がついてます。約2週間くらいで見事に20cmの大輪の花が咲きました。

天使のトランペット、名前はいいが毒性のようです。花の色は白、黄色とあるようですが、我が家のは淡いピンク。誇らしく大きな花ですが下を向いて咲く可憐な姿がいいです。


雲井の仙人ー思いつ記ー カトレアを、藍の胡粉を使い大皿に描いて焼きました。    (陶芸、焼きは姉の作)

カトレアの原画はテキストを参考にしたものです。









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第10回「四国遍路の旅」

70番札所 本山寺の五重の塔。

  

10回 「四国遍路の旅」

107日 「四国遍路の旅」 今回は行程の都合上70番札所から65番札所と逆に巡る「逆打ち」となる。

「逆打ち」とは四国の1番札所からお参りする事を「順打ち」、88番札所からお参りする事を「逆打ち」と言い、弘法大師にすれ違うという言い伝えがあり、得に4年に1度の、うるう年に「逆打ち」すると3倍の功徳があるとされ、

来年はきっと「逆打ち」される方が多い事でしょう。


70番札所 「本山寺」(もとやまじ)

のどかな田園風景の向こうに五重塔の姿が見える。

仁王門をくぐって正面には、寄棟造り、本瓦葺の重厚な姿の本堂が建っている。

焼失を免れた、鎌倉時代の貴重な国の文化財として国宝の建築物。

本堂には本尊の馬頭観世音菩薩が安置され、本尊脇侍の阿弥陀如来は、

「太刀受けの弥陀」と呼ばれこんな言い伝えがある。雲井の仙人ー思いつ記ー

土佐の大名長宗我部元親がこの寺へ攻めたとき、当時の住職は身体をはって軍勢を押しとどめ用としたが、兵士に腕を斬られてしまう。そうして境内に押し入った兵士たちの前に姿を現したのは、なんと、右ひじから血を流した阿弥陀如来、兵士たちは恐れをなして境内から逃げ出していった。こうして本山寺は兵火から免れたという。

ちなみに馬頭観世音菩薩を本尊とするのは、八十八ヶ所ではこの寺のみ。


雲井の仙人ー思いつ記ー 69番札所 「観音寺」(かんのんじ)

瀬戸内海の海を見下ろす高台に広がる琴弾公園の一角に、68番札所神恵院と69番札所観音寺が同じ境内に建っている。(1つの境内に2つの札所があるパターンは八十八ヶ所で唯一ここだけ。入り口の仁王門にも、2つの寺名が記されている。)

境内には樹齢1000年といわれるクスノキの大木が枝を張り、本堂もシンプルながら優美な建物で国の重要文化財。



 68番札所 「神恵院」(じんねいん)雲井の仙人ー思いつ記ー

観音寺の左手先が神恵院の大師堂。その脇

細い道の奥に建つ鉄筋コンクリートの建物が


本堂。

この本堂は2015年に改築されたもの。時代の流れとわ言え、近代的な建築は八十八ヶ所巡りの霊場としては何か馴染めない感じがする。

2つの札所が共存するにいたった背景には、おなじ琴弾公園内にある琴弾八幡宮という古社が関わっているらしい。





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67番札所 「大興寺」(だいこうじ)

のどかな田園風景に囲まれて建つ札所。

山門はどっしりとした仁王門。門の両脇に立つ2体の「木像金剛力士像」は3m以上の四国で最大級の大きさで睨みをきかせている。境内に入ると樹齢1200年以上の高さ20m、幹周り4mのカヤの木が枝を張り存在感をみせている。

本堂内では数十本もの赤いろうそくの炎がゆ雲井の仙人ー思いつ記ー らめいているが、「七日燈明」と言う願かけ

              で、赤いろうそくに願い事を書いて奉納すると、7日間ろうそくをともして祈願してもらえる。大興寺の最盛期には境内に真言24坊、天台12坊が並び、2つの異なる宗派が共存する修行の道場として多くの修験者が集う霊場だったといわれる。





66番札所 「雲辺寺」(うんぺんじ)

香川県と徳島県の県境に位置する。標高927mの雲辺寺山。その山頂に位置し、住所も阿波の国だが、巡拝の道としては讃岐の最初の札所になり、

いよいよ「菩提の道場」…一切の煩悩から解脱した境地…(?)へ。

この雲辺寺は八十八ヶ所中、最も高い所にあり、かっては「遍路ころがし」と呼ばれた難所で、雲辺寺口バス停から急勾配の山道を3時間近くひた歩く険しい遍路道だったが、現在は9合目まで車で行くことができる。バスは香川県側から往復2000円の大型ロープウェイを利用し山頂までわずか7分で到着する。

山頂駅を降りると、そこは雲辺寺境内。参道を進むと道の中央に県境を示す線が書かれている。道のかたわらで「お迎え大師」像が出迎えてくれる。気温12度の山頂からは三豊平野と瀬戸内海のパノラマ風景が、天気も良く、山のすがすがしい空気、杉など木々の匂い、そんな自然の心地よさを感じながら歩く。境内のあちらこちには五百羅漢像が喜怒哀楽の表情を見せている。

この寺も最盛期には山内には12の坊や施設を備え、四国はもとより中国地方の学僧が学ぶ仏教大学のような存在で、その隆盛ぶりは「四国高野」と呼ばれていたと言う。


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65番札所 「三角寺」(さんかくじ)

伊予の霊場を巡る最後の札所。

標高450mの三角寺山の中腹に建つこの寺。バスの駐車場からタクシーに乗り換え20分、急勾配の坂道を登り参道入り口へ、さらに石段を上がりきると、梵鐘が吊り下げて鐘楼門になっている仁王門。参拝客は罪の汚れを取り去るべく、鐘をついてから境内に入る。本堂の前には樹齢300400年といわれる山桜が大きく枝を張り、この山桜を見て感動した小林一茶の「是でこそのぼりかひ(甲斐)ある山桜」と詠んだ句碑がある。

ここで伊予の遍路旅「菩提の道場」の締めくくり。


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雲井の仙人ー思いつ記ー かわいい表情をしたお地蔵さんをデジカメで撮って描いてみました。

前神寺の境内に座っていたお地蔵さん。

水墨のレッスンに、毎回、画材を選んで描き、ハガキにコピーして、知人に報告がてら出すようにしてます。

(裏打ちしてない為、しわが入っています。)

顔の表情がむずかしい…。

9月17日 第9回 四国遍路の旅

59番札所から64番札所まで、6ヶ寺を巡る。  雨模様の1日


62番札所 「宝寿寺」(ほうじゅじ)


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国道11号線沿いに建つ。

弘法大師がこの地に立ち寄り,光明皇后をかたどった十一面観世音菩薩を刻んで本尊として、四国霊場とした。

安産の観音さんと信仰を集めてきた。

境内にはユニークな顔をした(失礼!)子安観音像が立たれている。




63番札所 「吉祥寺」(きっしょうじ)


雲井の仙人ー思いつ記ー 62番宝寿寺から徒歩25分国道11号線沿いに

建つ。

山門の門柱に「四国唯一体 毘沙門天王鎮座」の文字が刻まれているように、四国霊場で唯一、毘沙門天を本尊としている。

毘沙門天は七福神のなか、知恵と勇気を与えてくれる神さま。

寺宝にはマリア観音像がある。

本堂の向かいに高さ1mほどの成就石(中に穴があいていて本堂から目隠しをして、この石に歩いて、金剛杖を穴に通すことができれば願いがかなうといわれてる。 又その横には「くぐり吉祥天女」(貧困を取り除き、大富豪を導くとして信仰される仏)があり、この像の下をくぐると金運上昇や、裕福になるなどのご利益があるとされている。


64番札所 「前神寺」(まえがみじ)
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前神寺の南には石鎚山(1982m)がそびえている。はずが、あいにく雨模様のため全然見えない。この前神寺はこの石鎚山修験の別当として山の中腹にあった寺。60番札所の横峯寺が石鎚山の西の巡拝所、この前神寺は東の巡拝所になる。本堂前の広場から鳥居をくぐって石段を上がると石鎚山大権現堂がありここから見下ろすと、この寺の本堂は神社建築の権現造の建物。ゆえに本尊の阿弥陀如来より高みに権現堂の蔵王権現を配している事になり、そんな境内の様子は、この寺の複雑な信仰の姿を物語っている。

他に、境内には1枚石に刻まれた大師像があり、上から水が流れ1円玉を投げて張り付くとご利益があるという。何回投げても張り付きませんでした。

60番札所 「横峰寺」(よこみねじ)
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四国八十八ヶ所のなかの最大の難所であったが現在は西条市の上の原から林道が開通し、山頂の駐車場まで巡拝専用のマイクロバスに乗り換えて行く。

先日の台風で通行止めが一昨日解除との事でところどころ山肌がくずれていたり、離合もままならぬ急な坂道を途中で脱輪のハプニングもあり、ようやく山頂に。そこから山道を10分ほど歩いていくと横峰寺の境内に着く。

境内からは西条市街が眺められるはずが、なにせ雨曇りで何も見えない、でも森閑とした雨曇りのなかの山寺も、それは幽玄な素晴らしい景色だ。

八十八ヶ所のなかでも印象に残るお寺の一つになる。


61番札所 「香園寺」(こうおんじ)

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境内に入るとコンクリート造りの巨大な建物が目に入る。

昭和51年に建てられた大聖堂で、本堂と大師堂を兼ねている。

遍路は階段を上がって堂内に入り。本尊と弘法大師に参拝する。

まるでホールでモダンな雰囲気のお寺だが、1000年以上の歴史をもつ古寺である。とは言え、なにか霊場巡りには不釣合いな感じがする。

59番札所 「国分寺」(こくぶんじ)


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奈良時代、聖武天皇の詔で全国に建立された国分寺のひとつがここ伊予国分寺・

境内には弘法大師と握手をしてご利益をもらう握手大師像や七福神像が。

創建当時の国分寺は、約8万㎡の広大な寺域を

もつ大寺院であったといわれる。



第8回目、8月19,20日、1泊2日で、44番札所から58番札所まで、雲井の仙人ー思いつ記ー 15ヶ寺を巡る。



45番札所 「岩屋寺」

岩屋寺は、遍路道の険しさを身をもって知らされる。駐車場から、しばらく行くと山門。

さらに長い坂道と266段の石段が続く。入り口から20分あまり歩き見上げると、ようやく寺の建物が見えてくる。切り立った岸壁に、へばりつくようにして堂宇の建つさまは、いかにも修験の場といった険しい雰囲気だ。背後にそそり立つ岩山が建物の上まで大きくせり出して迫るたたずまいに引き込まれてしまう。

本堂に覆いかぶさるような岸壁をよく見ると、上部には岩窟

がいくつもあり、この岩窟も行場だそうだ。




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参道から見た

岸壁



















岩屋寺山門          岩屋寺本堂





                                 
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44番札所  「大寶寺」 (たいほうじ)

44番札所ということで、札所の数の上では中間だが、距離の上では1番「霊山寺」から全行程の3分の2をすぎている。そんな大寶寺は、うっそうと茂った杉木立の参道

をいく菅生山(すごうさん)の山上にある。坂道を上がっていくと、門の左右で睨みをきかせる金剛仁王門にたどり着く。さらに石段を上がっていくと、森閑とした雰囲気のなか、本堂や大師堂、鐘楼、観音堂などが建ち並ぶ。3度の火災を乗りこえ大正時代に再興されたらしい。




雲井の仙人ー思いつ記ー 46番札所  「浄瑠璃寺」 (じょうるりじ)

松山市方面へ。三坂峠を越え、焼き物の砥部を経て行くと農家や民宿が並ぶ集落に、こじんまりとたたずむ古寺。 山門もなく、あまり重みも感じさせない親しみやすい雰囲気。 境内には釈迦如来の足型を刻んだという「仏足石」、知恵や技能のご利益がある「仏手石」など、また一つだけ願いをかなえてくれるという一顧弁才天があり、みんな競ってお参りをする。「ご利益のよろず屋」と呼ばれ、親しまれている。


                       
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47番札所 「八坂寺」(やさかじ)

浄瑠璃寺から800mほど、田園風景のなかに建つ八坂寺。整備された境内が印象的な、明るい雰囲気の札所。本堂は鉄筋コンクリートの新しい建物。

境内には人一人がやっとの狭いトンネルがあり、壁に地獄と極楽の様子が描か

れている。 この寺から次の48番札所に1km行くと文殊院という古寺がある。

この文殊院は12番焼山寺に掲載した、四国遍路の元祖といわれる衛門三郎の屋敷跡。托鉢に訪れた弘法大師に非常な仕打ちをしたため大師の怒りに触れ、大師に許しを請うため四国の寺を巡拝して歩いたという。




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48番札所 「西林寺」(さいりんじ)

寺の門前に小川が流れ、小さな太鼓橋の西林寺橋がかかる。橋を渡ると仁王門があり、橋からは石段を下って仁王門へと向かう。周囲の土地より低い場所に寺があり、そのため、仁王門は無間地獄の入り口にたとえられ、罪深いものが境内に入ると奈落の底に落ちていくという伝承がある。どうにか無事、通過して参拝できた。



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51番札所 「石手寺」(いしてじ)

松山、道後温泉の近くにあり、遍路のみならず、多くの観光客が訪れ、参道は回廊になっていて、茶店やみやげもの屋などが並んでいる。

現在も広大な寺域を有し、焼失をまぬかれた文化財が数々ある。国宝の二層の仁王門、左右で睨みをきかせている金剛力士像は運慶の一門の作。また目をひ

くのは高さ23mの三重塔。他にも境内には、小さなお堂の前に、小石が山のように積まれているが、これは妊婦がこの石を持ち帰り、無事に出産すれば借りた石と別の石の二つを持参して感謝するという風習が今もあるという。

「石手寺」の名前の由来として、語り継がれてきたのは、先の衛門三郎。心を入れ替えた、衛門三郎は大師に会ってお詫びをしたいと、

四国巡拝の旅を幾度も重ね、21回の旅の途中(12番札所、焼山寺)で病に倒れる。

その時、大師が枕元に立ち、雲井の仙人ー思いつ記ー

「衛門三郎」と刻んだ石を左手に握らせると

、三郎は安心して息をひきとったという。

のちに、この地方の豪族に長男が生まれたが、

赤ん坊は手を開かない。

そこで菩提寺であるこの寺で願をかけたところ、

手が開き、「衛門三郎」と書かれた石がでてきたという。

これにちなみ、寺名を「石手寺」という。




5時を過ぎ、ここで今日の参拝を終えて、宿泊場所、奥道後温泉へ)