第11回「四国遍路の旅」
11月24.25日 1泊2日で71番札所から85番札所まで15ヶ寺を巡る。
71番札所 「弥谷寺」(いやたにじ)
標高382mの弥谷山。境内までは約500段の石段が続く道。一行の半数はタクシーで、あたりは緑に囲まれ、森閑として山寺らしい雰囲気に包まれている。
靴を脱いで大師堂に上がると堂の奥に「獅子の岩屋」と言う薄暗い岩窟があるが、これは真魚(まお)と名乗っていた幼い(7~8才)大師が修行に励んだ場所と伝えられている。山の上の寺でありながら境内には多くの堂宇が建ち、印象的なのは岸壁に刻まれた「磨崖仏」。その先、岩壁に覆われるようにして本堂が建っている。
農村風景の中にたたずむお寺。真魚と名乗っていた幼いころの弘法大師が捨て身で祈願した地とされ、お釈迦様が姿を現したと伝えられることから出釈迦寺の名がある。 巡拝所から我拝師山のほうを仰ぎ見ると、山上に「捨身ヶ嶽禅定」と呼ばれる奥の院が見える。これは弘法大師7歳のとき「仏門に入って多くの人を救いたい。この願いがかなうならお釈迦様よ、現れたまえ。願いがかなわぬなら命を捨ててこの身を諸仏に捧げる」。こう念じて断崖から飛び降りた。すると釈迦如来と天女が現れ弘法大師を抱きとめたと伝えられいる。
(写真山の谷間にある捨身ヶ嶽禅定)
ここは八十八ヶ所で最古の寺。
こじんまりした境内に本堂、大師堂。観音堂が並びその一角に、大師がここを曼荼羅寺と改めたとき、記念に手植えしたという不老の松(笠松)が枝を張っていたが平成14年に枯れ死。その幹を材に刻んだ仏像が(笠松大師と呼ばれる座禅を組んだ弘法大師像)小さなお堂に安置されている
田園風景の中、小高い甲山のふもとにたたずむ、こじんまりした札所。
境内の奥に毘沙門堂があり岩窟の中に毘沙門天が祀られている。
大師が善通寺と曼荼羅寺の間に伽藍を建てようと霊地を探していた。すると、
甲山の中腹で白髪の老人が現れ、「この地に寺を建てよ」と告げられ、大師は早速、石を削って毘沙門天像を刻み、山の岩窟に安置したと伝えられている。
(ここでバス駐車場にて車中、昼食もそこそこに次に向う)
75番札所 「善通寺」(ぜんつうじ)
善通寺は弘法大師誕生の地。 高野山.東寺.と合わせて空海の三大霊場。
広大な境内は東西2つに分かれている。本堂がある東院から参拝、右手にはシンボル的存在の五重塔、高さ45mの四国最大の塔。又その右手に弘法大師の幼少時代にすでに葉を茂らせていたといわれるクスノキの巨木がある。
東院と西院を結ぶ参道を行き西院仁王門に、仁王門からは回廊が正面の御影堂(大師堂)まで続く。御影堂には戒壇めぐりがあり、地下にめぐらされた真っ黒な回廊を手探りで進み、弘法大師生誕の聖地を詣でるというもの。
八十八ヶ所の総本山とも思えるほど広大、壮大な霊場だ。
堂々とした構えの仁王門をくぐると、参道に250体余りのブロンズの観音像が並ぶ。境内、大師堂の前には、先の「遍路の開祖」弘法大師像の前にひざまずく衛門三郎の像がある。また本堂裏手に「潜徳院殿堂」眼なおし薬師さま。「め」の文字を祈願所が堂内に納められている・
善通寺から住宅地の中を4km進むと、どっしりとした仁王門が。境内に入ると石畳が続き、本堂、大師堂も比較的新しい建物で、全体的に整然とした印象の寺だ。円珍すなわち智証大師、弘法大師の姪の子として知られる人物が建立したといわれ、他にも円珍は比叡山延暦寺の5代目の座主や、大津(滋賀県)の三井寺を建立した。この寺ではこうしたいきさつから、大師堂に弘法大師、智証大師、二人の大師が並んで祀られている。
瀬戸大橋を眺望するゴールドタワーのある町、宇多津。この町で厄除け宇多津大師として親しまれている78番札所郷照寺。参道の石段を上がっていくと視界が開け、境内から瀬戸大橋が見え、かなたには瀬戸内海が望める。
本堂は二層の屋根が印象的な江戸時代初期の建物。
四国八十八ヶ所で唯一の時宗の寺。
ここで1日目は終わり。

















































