いよいよ結願にあと三ヶ寺
86番札所 「志度寺」(しどじ)
志度寺の歴史は古い。平安時代末期には観音霊場として名をはせ、「平安物語」
などにも登場。仁王門には仏師運慶作といわれる大きな金剛力士像が力強く立っている。境内の片隅には海女の墓があり、志度寺に伝わる伝説の海女。もう一人の主人公は奈良時代の公卿、藤原不比等(ふひと)。 不比等は亡き父鎌足を供養しようと、奈良に興福寺を建立するが、唐から贈られた宝珠をここ志度の沖で竜神に奪われてしまう。宝珠を取り戻そうと志度を訪れた不比等は
この地で海女と恋におち、房前という男子が誕生する。海女は宝珠を取り戻すが命を落としてしまう。愛する海女の死を悲しんだ不比等は、彼女の墓と堂を建立して「死度道場」と名付けた。後年、成長した房前は行基とともに母の供養で寺を拡張し、「志度寺」と改名する。ちなみに宝珠は奈良興福寺の本尊釈迦如来の眉間に納められているという。
納め札
右上 錦札…100回以上遍路の方の使用
金札…50回以上
銀札…25回以上
赤札…8回以上
青札…5回以上
白札…1回~4回のお遍路の方使用。
本堂、大師堂にそれぞれ1枚おさめます。
最初のツアー同行者(先達)に頂いた実物。
名刺替わりに使います。
87番札所 「長尾寺」(ながおじ)
長尾の市街地を歩いていくと、仁王門が見えてくる。仁王門の前には左右に一対の「経憧」と呼ばれる石柱があり、それぞれに経文が刻まれてあり、これは13世紀後半、蒙古の日本襲来を迎え撃って犠牲となった讃岐の軍人を慰霊するために建てられたものという。
この長尾寺にも源義経の愛妾静御前の伝説が。
鎌倉で源頼朝によって愛児を海に流されてしまった静御前は諸国をさまよって讃岐のこの寺に着いた。そして義経の死を知り悲しみにくれ、得度を決意。その時の剃髪した髪を埋めたといわれているのが、本堂の左手前にある静御前剃髪塚。静御前は長尾寺の近くに庵を構え、余生をすごしたといわれている。
88番札所 「大窪寺」(おおくぼ)
標高787mの矢筈山(やはず)の中腹に建つ大窪寺。
87番長尾寺から約17km、歩きで4時間、車で35分、みやげもの店や食堂などが並ぶ門前町。石段の上がり口に「八十八番結願所」と刻まれた石柱、八十八ヶ所巡りを締めくくる「結願の寺」にいよいよ到着だ。
天気にも恵まれ、山深い緑に抱かれて落ち着いたたたずまいを見せる境内は、結願の寺にふさわしい晴れやかな雰囲気に満ちている。
兵火や火災に見舞われ、山門以外の伽藍を焼失、現在の建物はほとんどがその後の再建。本堂には度重なる火災からまぬがれた本尊の薬師如来が秘仏として安置されている。また弘法大師が納めたと伝わる錫杖もあるが拝観はできない。大師堂の右側二ガラス張りの宝杖堂。長かった巡礼の旅を終え、結願したお遍路さんたちが金剛杖を奉納するところだ。
ここで昼食に山門近くのうどん屋さんへ入ると、遍路姿の細身の初老の人が
休憩されている、話を聞いて見ると、75歳で新潟から来たとの事。この度で7回目の結願で「困ったことに四国病になった。おもしろうて、楽しゅうて、帰ったら又来とうなる。」と話される。そんなものか、判らないでもでもない。
1番札所 「霊山寺」(りょうぜんじ)
88番札所を巡拝して結願し、1番札所「霊山寺」にお礼参りに帰って満願となる。
思えば今年1月徳島県「発心の道場」23ヶ寺、高知県「修行の道場」16ヶ寺、愛媛県「菩提の道場」26ヶ寺、香川県「涅槃の道場」23ヶ寺と八十八ヶ所を巡り、いろいろと体験し、人に出会い、いろんな光景を拝見し、感心感動し、ある一定の達成感はあるが、正直なところ自分を見つめなおすとか、当然そういう境地の変化にはいたっていない。やはりそんなものを求めたいが為に歩いて修行したり、もう一度もう一度と遍路を重ねていきたくなるのでしょう。つぎ来年は単独で車で巡ってみたい。