裸一貫で攻めて行くとは、一切を捨てて自分だけを捨てずそれで文を書くということである。
書くのと話すのとでは機能が違うことである。話すことは溝に言葉を注ぐイメージだが、書く場合は其の溝を壊さねばならない。又、話すことは爆発を多く起こせるものである。ある一人の人に話して爆発させたものを、また別の人に同じ内容で爆発させることが出来る。しかし、書く場合は二回以上書く場合爆発が起こらない。乗り気がしないのためである。書こうとする限り話すことについて慎重でなければならない。自分がどのような話し手であるか、文章を修行する上で、確かめるべき事項である。文章を書けばその評価を受けなければならない。文章には犯罪に通ずる個人性と貨幣のような社会性が混在する。そのため、誰しも不安になるだろう。そのための留意点は二つある。主な学説の内容は知っていなければなら無い。又、文章の中の攻守を意識しなければならない。これらの観念は言葉に身を託しており、権威ある言葉として現れる。しかし、権威ある語はおおよそ外国語で雰囲気でしか日本人には捕らえられない。一切を捨てて自分だけを捨てずそれで文を書かねばならないのである。