人を愛してしまうことの辛さ | 障害者でも生きていきたい 

障害者でも生きていきたい 

2013年より鬱と闘病中。
障害の診断を受けたのは2015年。
2020年には保健福祉手帳を取得。
いつ果てるとも知れない人生のスランプでも、いつかきっと良くなると信じて生きて行きたい。
失われた十数年から早く抜け出したい。

タイトルにはそう書きましたが、基本的に愛とは良いものだと思っています。


「愛は世界を救う」みたいな胡散臭い言葉も、実は正しいものとして認めているし、無関心や憎しみが溢れる世界を見ていると余計にそう思います。

唐突ですが、モーニング娘関連のメンバーで、姿が見えなくて寂しいなと思っている方が実はもう一人います。

亀井絵里さんです。

昨夜、亀井絵里さんの夢を見たんですね。

内容としては、自分は夢の内容はすぐに忘れてしまう質でして、概要のみ述べますが、友達として彼女と遊んでいるような、そんな夢でした。

自分はタレントさんの追っかけをすると言っても、基本的にはブログやTwitterの読者で、音楽イベントを見たりとか、ドラマやバラエティを見たりとかはあまりしない派なんです。

何て言うのでしょうか、営業用でない素の本人達が見たいというか、友達のSNSを覗くような、そんな感覚ですね。

だから僕は、タレントのファンになるのには基本的には向いていない、自分の心の奥底にあるどうしようもない、根源的な寂しさを癒したいだけという側面もあるにはありますから、

つまるところ、ファンとしてタレントを応援しているのではなく、同じ人間同士として関心があると言った方が正確なのでしょうね。

吉澤ひとみさんの件も一段落着いて時間が経ち、自分の気持ちの整理も大分ついてきたような気がします。

変わらずに思い続けていることは、表舞台から姿が見えなくなっても、何らかの形で、近況を時々知れればいいかな、ということ。

そしてどちらも幸せに人生を送って欲しいということ。

芸能界への復帰は本人の意志や、支えるファンの本気度や心意気や、諸々の要素を総合して初めて決まることです。

これから生涯一般人でも、いいのかなと思う時もあります。

一般人で、あわよくば友達になってくれるかな、みたいなことも考えたりします(笑)。

そもそも、芸能人の立ち位置も時代と共に変わって来ていて、昔のような神格化は薄れていく一方です。

良い意味で、垣根が取っ払われていっているのかもしれませんね。

僕等も彼等も、タレントや一般人である以前に、同じ、平等な人間同士なのですから。

昔のような神格化がなく、距離が縮まっていることを物足りないと感じる方もいると思いますが、自分は上記の理由でこれは良い傾向だと思っています。

タイトルの人を愛してしまうことの辛さというのは、自分の心を良くも悪くも拘束されること、愛と憎しみは表裏一体とよく言いますが、それに尽きるのでしょう。

でも僕が一番嫌いなのは、悲しい結末で終わらせること。

だから吉澤ひとみさんに対しても亀井絵里さんに対しても、タレントとしてではなく人としてですが、良い方向へ持って行きたいです。

人を愛せること、好きな人がいることは素晴らしいと思えればいいなと思っています。