ガンと診断される1〜2年前の私の体調は最悪だった。

 いつもどこかしらが調子が悪く、特に頭痛と生理の長さは酷かった。


 生理の長さが酷いというのは、中々生理が終わらないという事だ。


 オリモノか生理か分からないような微妙な経血が1週間どころか10日以上続いた事もある。

 量が多いならば、もっと異常に思っただろうが長引く時は量はとても少なかったのだ。


 けれど逆に多くて大変な事もあった。


 ナプキンを替えて10分もしないうちに、ドロッと経血で一気に夜用ナプキンでもカバーしきれなくなるのだ。


 これはいつもではなく、数ヶ月に一度の事だったので自分で「病院に行くほどの事じゃない」と思ってしまった。

 本当に悪い病気なら、たまにではなくずっとこうなると思ったのだ。


 自分の中で婦人科に行きたくないから、「病院に行くほどの大した事じゃ無い」と思い込もうとしていたのもあるかもしれない。


 とはいえ、一番大きかった理由は年齢と症状が更年期障害っぽかった事にあった。


『少し早い気もするが、私はもう更年期障害になってしまったんだ』


 と思っていた。だからこそ、それ以上の重い病気、それもガンだなんて考えもしなかった。


 それとネットで生理異常について調べると、大抵は生理過多(生理の量が多い)事についてがほとんどで、少ない量がダラダラ続く私はその重い病気では無いと思い込みたくなる理由のもう一つでもあったのだ。


 そんな状態を一年は続けたと思う。

 なのでさすがに夫も私に病院に行くように言った。


「えーっ婦人科なんて行きたく無いよ。行きつけのところがあるわけじゃないし」


 と思っていたが私も今の状況を何とか出来るなら、カラッとスッキリ元気になりたいと意を決して行ってみた。


 ところが、少しの内診と子宮ガンの細胞診をしてもらったが特に問題はなく極度のストレスと早めの更年期だろうという診断で終わった。


 今にして思うともしかしてこの頃からもうガンになってたのかもしれないけれど、原因不明で入院した際にも最初にした細胞診では異常が出なかった。

 この時もその時と同じように、たまたまガンになっていない辺りの細胞が取られたのかもしれない。


 というわけで、それから私は「ほらやっぱり婦人科系に特に問題があるわけじゃないんだよ、歳だよ歳。後はストレス?そんな感じだよ」


 などと勝手に思い体調悪い状態と生理不順をやり過ごしてしまっていたのだった。

 先日糖尿病の検査と診察に行ってきたところ、ヘモグロビンa1cの数値がかなり良くなっていた。(6.1)


 やったー、これで注射なくせる?と思っていたら、先生曰く


「この薬はとても良い薬なので、今後も数値が良い状態が続いたら他の薬から減らしていきましょう」


 との事だった。


 今使っている注射は、インシュリンでは無いんだけど、そもそも自分で注射打つって嫌じゃ無い?痛いしね。

 私の場合は一週間に一回なんだから、もっと頻繁に打っている人と比べたらいい方なんだろうけど、この注射、痛いのは体だけじゃなくて財布も痛いのだ。


 結構値段がして、二ヶ月分をもらうと他の薬と合わせて一万五千円ぐらいになる。

 前は五千円前後だったから、痛いわー。



 その薬を減らせるかもしれない話を先生がしていた時に、先生が


「夏は血糖値が下がるけれど、冬になるとまた上がるかもしれない」


 というような事を仰っていた。


 血圧もそうだけど、血糖値も夏の方が低くなりやすいんだね。



 糖尿病の先生はガンの再発も心配してくださった。

 この先生は抗がん剤の影響で糖尿病になった時に、がんセンターの担当の先生とも手紙でやり取りをしてくださった先生なので、状況をよく分かってくださっている。


 ガンの方は今のところ、再発なく順調に行っているけれど気は抜けない。


 まぁ気が抜けないと言ったところで、何かを気をつけたりしたりするわけでは無いけれど、体の不調の変化は気にしておいたり、体温が低くなり過ぎないようには気をつけておいた方が良いのかもしれない。


 いまにして思うと、私はガンと診断される前はずっと体温が低くて、ガンが活動しやすいと言われている35度台の事が多かった。


 今は36度台をキープ出来ているけれどね。


 子宮が無くなって、温活を意識しなくなったけれど、体温の事を考えると気にした方が良いのかもしれないね。

私の最近の病状ですが、がんセンターへの2ヶ月ごとの通院がやっと3ヶ月ごとになりました。


 体のだるさはたまにあるけれど、今はかなり元気です。


 気になるところとしては、抗がん剤の後遺症なのでしょうか?

 爪に縦線が入っているのです。


 それも小さいのが何本も、両手の人差し指と親指に。

 まさか皮膚ガンじゃないよね?と心配になったので調べたところ、皮膚ガンの場合の縦線の入り方とは違う様子。


 あまりに酷くなったら病院に行こうかと思っているんだけど、微妙な感じなんだよね。

 検索して一番近い症状が、『爪の老化』。


 やっぱり抗がん剤をやった事で爪の老化が早まったのかなぁ。



 ガンは手術で取っても、目に見えない大きさの物が残っていてそれが成長して再発として現れる事があります。

 私も子宮だけじゃなく、卵管にも転移していたのでそういった再発の可能性はアリなのでまだまだ気が抜けません。


 ガンって最初に告知された時は、もちろんショックなんだけど再発時は『今度こそヤバイかも』と更にショックなんだろうなと思う。


 最初に使った抗がん剤は使えないかもだし、治療の選択肢も減るし何より、再発して亡くなってしまった芸能人の方のニュースも見るしね。


 まずは寛解と言われる5年を目指さないといけない。

 今は3年目。


 この後が一番、気を抜いて忘れちゃう頃なのかもしれない。


 まぁ気をつけるといったって何を?ともなるんだけど。


 一般的には食生活を、と聞くけれどガンって食生活だけじゃないし食生活を気にして健康的という食事を採ってきた人でもガンになる事があるし、分からない。

 気をつけないよりは、気をつけた方がいいんだろうけどね。


 抗酸化作用という事で、にんじんジュースがガンでは有名だけど私はガンになってから一度も試していない。

 かなり前にも書いたけれど、やっている事としたらヤクルトとかヨーグルトなどの乳酸菌かな。



 というわけで初めてガンと診断されてから2年は再発しないで経過できたから良かったよ。

 保険だって2年経過したら、再発した時にまた一時金が出るしね。


 そうよ、またもや保険のおばちゃんから言わせてもらうと、ガンの診断一時金は再発でも無制限で出るタイプのものを選んだ方がいいよ。


 ガンになったらもう保険入れない事が多いからね。



 このエッセイはほぼリアルタイムで書いてきているので、入院時も病院のベッドで書いてきたものです。なので治療期間が開いてきた今は、リアルタイムの内容は減ってきていますがこれからもガンや病気に関する事、そしてもちろん私の病状について書いていきます。


母が亡くなって自宅に帰ってきてから、夫の母と妹さんから香典を夫宛に頂いた。

うちは親戚づきあいも無いし、お金も無いしという事で母は一般的なお葬式をせずに火葬式という
ほぼ火葬だけをするやり方で送った事は長々と書いてきたけれど

その火葬式に、遠方だという事もあり義母も義妹も来ていない。
香典は現金書留で送ってくださったのだ。

私宛でも、母の夫である私の義父宛でもなく、香典は私の夫宛だった。

まずそこからしてハテナではあったけれど、夫から父に渡してくれという事なのだろうと、その時はそれ以上気にしない事にした。

そうしたら、さきほど夫から義母宛に義母と義妹に、五千円づつのカタログギフトの香典返しをネットで手配してほしいとメールがあったのだ。

夫はそういう事に気がきく方では無い。
それどころかそういう風習すら、よく分かってないはず。

という事は、義母もしくは義妹から香典返しの請求があったのだと思う。


それを感じた私はとてもモヤモヤした。


夫の父が亡くなった時に、私の会社と上司から香典を預かって出した時には全くお返しは無かったのだ。家族葬で小さいものだったし、香典返しは身内には渡されないようだったから。

そして夫と私とでお盆に帰省するたびに一万円はお仏前のお金をそしてプラスでお菓子を持って行っている。

それだってもちろん、お返しをもらった事は無い。
息子だしそれでいい。

ついさっきまではそれでよかった。
けどさこっちももらった事ないのに、そっちは要求するんだというのが、それも夫に遠回しに香典返しを要求された事が何だか気分が良く無い。

まだ49日だって過ぎていないのだ。
一般的にだって香典返しって49日過ぎてからでは?


今回母が亡くなって、父が精神的なショックが大きくて(突然だったので)1人で今までの家に住めないと言い出した。

そのために私は夫に相談して、私たちの住んでいるところに遠方ではあるけれど父を連れて帰ってきたのだ。
一先ず、1ヶ月ほどと考えて。

そうやって父を連れて自宅に帰ってきた翌日辺りに義母から電話があった時も、慰めの言葉だと思うんだけど

「誰もが通る道だからね」

と言われて、今それ言う?と驚き、自分でも意外なほど傷ついた。

それプラス、夫から聞いていたのだろう(私はまだ報告していなかった)父を私たちに家に連れてきた事に対する嫌味なのか、しばらくはこっち(夫の実家)にくるな、という事なのか

「49日までは家をあけたらダメだからね」

と仰ったのだ。


私は一人っ子で、実家は岐阜で住んでいるのは埼玉で、だから簡単には実家に帰れない。
だからそんな弱気になっている父を1人置いて岐阜を去れなかった。
これを快く承諾してくれた夫には、とても感謝しているけれど私はかなり非常識な事をしたのだろうか……。

その後、父が義母に電話した時には、私たち夫婦には子どもがいないし、そこで一緒に過ごせばいい。というような事を話していたと言う。

どういう事?とよく分からない。

お葬式をした場合は、きてくださった直後に香典返しをするものだろうけれど、しなかったし、こなかったのだから49日過ぎてからでも不義理では無いと勝手に考えていたんだけど、そんなにダメだったかなぁ?まだ1ヶ月も経っていないんだよ?

まぁ夫から要請があったから、夫の名前ですぐにカタログギフトの香典返しを手配したけれどね。
うーん。
 結局私は一度も泣かなかった。

 実父も亡くなっているのだから、これで天涯孤独になったわけだけど心細さもさほど無い。
 それは夫と義父がいてくれるからだろう。

 けれど気持ちが落ち着いて、考え事をしたら後悔の念は出てくる。

 もっと母にああもしてあげれば良かった、こうもしてあげれば良かったと。

 私が娘として母に対して無感情だとしても、だからと言って親孝行をしたい気持ちが皆無なわけではないし、気持ちを他人から見て分かりやすく白黒ハッキリしているわけでは無い。


 母と言えばもうすぐ母の日だが、私にとって母の日というものは不快な響きのあるものでしか無い。

 それは子どもの頃より母にプレゼントをあげ続けて、それに対してのダメ出しをされ続けたのだが、大人になる前に「もう要らない」宣言をされたにも関わらず、母の日がくるたびに、よその娘さんを引き合いに出して私が何もくれない親不孝者だと言われ続けたからだ。

 母が欲しがるものをあげれなかった私が悪いのだろう。
 確かにそうなのだが、大人になってからならまだしも園児や小学校低学年の子どもだった私にはそこまでの配慮は出来なかった。

 私の実父は、私があげるものならば何でも母は嬉しいはずだと幼い私に言うので、まだ純真だった頃の私はそれを信じてしまっていたのだ。

「相手の欲しくない物を勝手に買ってきてあげてはいけない」

 と小学生の頃に教わったのは良かったと思う。

 けれどじゃあ欲しい物をあげたいと思い聞くと、要らないと答える。

 子どもの私は、母の欲しいものというのはお金とか私がまだ買ってあげられないような物なのだなという発想にまで行かず、『私があげるものなんて要らないんだな』と解釈したのだ。

 だから世の中で母の日がうるさく、あちこちで言われても私は聞こえてないフリをして5月の半ば過ぎまでを毎年耐えたのだった。


 そんな母の日が今年も、チラホラと聞こえるようになってきた。
 母が亡くなっても、私の中の母の日に対する不快感は消えない。

 それどころか、夫のお母さんに毎年キッチリと贈れなかった事で更にチクリと痛く苦しい行事になっている。

 夫のお母さんには結婚した年にプレゼントを贈ったのだが、贈らなくていいと言われて、子どもの頃の母から言われた言葉がフラッシュバックして素直に聞いてしまい、その後何年か贈らなかった。

 だからと言って義母に不義理を働いた事に対する言い訳にならないと言われるのは分かっているからこそ自分を責めずにはいられない。

 だからこそ数年後に、また要らないと言われてもいいと思い贈った。

 そういう事もあるから、余計に母の日は辛い。