火葬場に戻って、骨になった母に会う。
 あまり骨は形は残っていなかった。祖母や夫のお父さんなど今までにお骨を拾う事に参加した事は数回あるが、こんなにも骨は無いというか分からないものなのだろうかと思うほどだった。

 義父が母の骨の状態を質問したが、足以外は特に脆かったというわけでも無さそうだ。

 年配の人でもギョッとなるほど、骨が丈夫で残ってる人もいると聞く。
 だから母もそうだったら、義父が大丈夫だろうかと心配していたが杞憂だったようだ。

 小さな骨壷だし、本当に簡易的に私たちで交代で箸でつかんで収めた。

 この箸なんだけど当たり前なのかもしれないけど、火葬場が用意するものじゃなくて葬儀社が用意するものなんだね。

 葬儀社を出る時に、色々と入っている袋を係りの人に渡された。
 それは結構な大きな袋でふた袋あり、遺影や仏壇などに置く道具などと一緒にその箸も入っていた。

 火葬場の係りの人に言われるまで、その事もよく分かっていなかった。

 ところで今回、義父は喪主で私は代表と呼ばれた。
 うちは少ないから代表と言われたら「あ、私か」とすぐ分かるが、家族が多いところは誰ってなるのかもね。長男なの?それとも歳が上ならお姉さんなの?とかね。


 というわけで色々勉強になった今回の、母を送るのはこれで一通り終わった。

 終わったは終わった。けれど、これからがまだまだ大変なのだと思う。

 各種手続きはもちろん、義父の精神的フォローをしていかないといけない。

 私がお金がたくさんあって、仕事もしていないのだったらいくでも岐阜にいてフォローすれば良いのだろう。

 けれどお金も無いし、仕事だってある。
 住んでいる場所が離れているから、ちょっと様子を見に行くというわけにはいかない。

 義父は足腰はしっかりしているし、料理以外の家事はここ数年、母に代わってやってきたのでそういった事は問題ない。

 それでも精神面はとても注意しなければいけない。
 見るからに落ち込んでいると誰でも分かる状態で無いからこそ、「大丈夫そうだ」と思ってしまいがちだから。


 母が倒れてからの『出来事』としては主なところではこんな感じだが、次は精神的な事を書いてみたいと思う。

 ※ちなみにこの出来事はここ2週間ほど前の事です。
 お花を入れてあげた後、棺を火葬場に運ぶために移動になった。
 昔は棺に釘を打ったそうだけど、今はそれをやらないという。

 霊柩車には義父が乗り、その後には私と夫の車が続き、Aくん両親、お隣さんという順番でついて行く事になった。


 Aくんのお母さんは近々、母をお花見に連れて行こうと思っていた(車が無いので連れて行こうとしていたという意味)と昨日、一昨日と話していた。

 火葬場へ向かう道中には、綺麗な桜並木があり「桜見れたね」と火葬場で合流したAくんお母さんは言っていた。
 その言葉はさすがの私にもくるものがあった。

 ここで最後のお別れをした後、Aくん両親とお隣さんは帰っていった。

 骨になった後のお骨拾いは義父と私と夫の3人だけでやる事になった。


 ちょうど時間はお昼どきだったので、待ち時間に近くに食べに行くために一旦私たちもその場を離れた。

 義父は落ち着いて考えさせると思い詰めるが、普段の何気ない生活をさせておいたり、忙しくしていると思い詰めずに済むようだ。

 火葬場からきたというのに、ただランチを食べに行くかのごとく平気な姿に少しホッとする。とはいえ義父は本当に繊細なのだ。

 前に義父自身がガンかもしれないと思いつめていた時も、ガンじゃなかったというだけで半べそかきながら電話してきた。

 今回も母の姿が可哀想で見れないと、病室にもほとんど入ってこなかった。

 亡くなった後も、何度も「オレは自分の性格が嫌になる。もっと優しくしてやれば良かった」と後悔の言葉を言いながら自分を責めていた。

 そういう義父だが、優しい夫ランキングなるものがあったとするならば、上位に入るだろうくらい十分優しいのだ。
 母も生前、何度か私に話していた。「ターロ(義父)は何でもやってくれる。ターロがいないと私は生きていけない」と。

 それでも自分が優しく無かったと責めている。
 Aくんお母さんにも「こんな優しい旦那さんいないわ」と言われていたが、義父自身は謙遜ではなく本気で否定していた。
 若い頃には色々あったからと。そりゃあ色々の中には私の事もあるよね。

 そして他所に想い人がいたのも知ってる。義父自身から何年も前に聞いたから。
 けどさこの晩年をこうやって側にいて、色々優しくしてきたわけじゃない。
 しかも本人(母)が不満に思っていないのだからいいじゃないか。

 バツ2だからと、母と一緒に暮らしてから10年ぐらい籍を入れなかった義父。
 けれど結果的には、バツ2だろうと母とは籍を入れなかった期間も合わせたら25年も一緒にいたのだ。

 途中で何かあろうとも、ここまで長く一緒に過ごせてきたというのが答えなんじゃ無いだろうか。
 義父が他の係りの人を捕まえて聞いたところによると、11時ではなく12時でいいらしい。

 何それ、昨日の時点では「くれぐれも遅れないでくださいね」という態だったし、仮葬場らしきところに12時30分に予約しに行っていたから、11時を指定されたのだと思っていた。

 まぁ故人との別れを惜しみたい人たちにとっては待たされるぐらいの方がいいのかもしれないが、私としては不満が一つ増えたようなものだった。

 少しの間、母のいる部屋に皆さんといたけれどそこに居てもなぁと思い、係りの人を探しに行こうとも思ったので部屋を出た。


 その後しばらくして、やっと係りの人がお花を持ってやってきた。
 そうしたらお隣さんが、自分のところでお花を用意して持ってきてくれていてそれも入れる事になった。

 私と義父は昨日の打ち合わせ時に、お花の持ち込みは禁止だと言われていたので、せっかく母のために持ってきてくれたお隣さんのお花も断らなきゃいけなくなるかもと(伝えなかった私たちが悪い)ヤキモキしていたら、普通に「入れていいですよ」と言われた。

 それもせっかく持ってきてくれたから入れていいですよと言われたわけではなく、持ち込み禁止なんて無いかのごとくのOKだった。

 何それ。だったら家の花を入れてあげたかったと義父は怒っていたが、こういう時だから怒鳴ってはいけないと我慢し抑えたのだった。

 昨日の担当者と今日の担当者が違うからなのか、色々と話が違う事になっていて私も義父も不信感で一杯だった。

 ご近所さんの家族もここで葬儀をしたと言っていたし、この辺りの人は大抵ここでするのだろう。田舎だから近くにそんなに葬儀社が連立しているわけではなく、だからライバルが少ないのかもしれない。
 そのために対応が怠慢になっているのだろうか。

 親が亡くなったというのに、私が冷静過ぎるから病院の時もそうだが色々な事が気になってしまうだけなのだろうか。

 何だか今回、どうも各所の対応に不満が残る。

 それでも義父は、きてくださった皆さんに私が全部やってくれて助かった。本当にいてくれてよかったと言ってくれたけど、私は不手際もあって「そんなん言ってもらえるほどの事できてないよ」と思っていた。

 私が母がいる部屋に入ると、他の人たちは落ち着いていて一通り顔を見たりした後だったようだ。
 私も少し母の顔を見ておこうと棺の顔扉を開けた。

 別に母の顔を見たかったわけではない。

 こういう時、娘ならこういう事するものなのかな?と思ってやっただけなのだ。
 開けたところで、さすがに話しかけるという技は私には高度過ぎて出来ずたた黙って母の事を見ていた。

 顔を見た後そのままそこを去るわけにもいかず、部屋に腰を落ち着けた。
 早く係りの人が始まりを告げに来てくれないかななんて事を考えた。

 私は人見知りの激しい方ではあるが、長く営業をやってきた事もあって、こういう時に皆さんに感謝の言葉を伝えなきゃいけないのは分かるし、演技力を発揮すれば言葉を発する事は出来るはずなのだ。

 母がいない他の場所でなら、皆さんへの感謝として言葉を発する事は出来たかもしれないが、この場所では口を開く事が出来なかった。


 母は私が子どもの頃から、私のやる言動に対して嘲笑する癖があった。
 これも毒親あるあるの一つかもしれないが、例えばこういう場面でかしこまって挨拶したら後から、とてつもなく嬉しそうに馬鹿にしてカラかうのだ。

 私はふとこの時、そういった昔の事を思い出して背中がゾクリとして嫌な気持ちが込み上げてきそうになった。

 この時まで私は母に対して、無感情で嫌悪感なんて無かった。
 無かったからこそ、病院に行き葬儀社の手配も出来た。

 これ以上、そういう嫌な感情が湧き上がってきたら私は母を普通に送る事が出来なくなる。
 そう思って平穏を装いつつ、必死に他の事を考えるかのように母への気持ちを忘れようとした。

 親に嘲笑され続けていない人からしたら

「そんな子どもの頃の事、忘れろよ」とか
「そうは言っても、親でしょ」とか
「そんな冗談でカラかわれた事ぐらいで親に嫌悪感抱くなんて、ガキで親不孝だね」

 など、思うかも知れない。
 実際近い事を昔言われた事がある。

 けれどこれはそんな簡単なものではないのだ。

 まさに私という人間の形成に影響を与え、トラウマも与えたものなのだ。


 母はもう亡くなっている。
 私がここで演技力を発揮して、それらしく娘としての挨拶をしたところで誰にも嘲笑されはしないだろう。
 むしろしない方がされるのかもしれない。

 それでも、どこか見えないところから母が見ていてどうにかして私を笑ってやろうとしているかのような嫌な感覚が拭えないまま

 普通の娘の演技など出来ないのだった。
 金曜日のうちに、仕事が終わってすぐに車で5時間かけてきてくれた夫。
 なので翌日の会場に行くのは十分に間に合った。

 式にはうちの3人(私、義父、夫)とお隣さん(お隣さんと娘さん)、Aくんのお母さんとお父さんが出席する事になった。

 うちの人間だけで送るだろうと、それでいいと思っていたが少ないながらも来たいと言ってくれて集まってくれた人がこれだけいた事がありがたかった。

 葬儀社に着くと、お隣さんやAくんの両親は母のところに行って顔を見たり話しかけたり、思い出を語り合ったりしてたのだが、うちからは誰もその部屋に行かず、というちょっと異様な光景でもあった。

 義父はあまり長くは、母のいる部屋にいられないから(色々とこみ上げてしまうから)待合所にいたが、私は、特に母の元に行ってしたい事も話したい事も無かったので行かなかった。
 夫は社交的な方では無いので、私が行かないならば特に率先して行くということもないので私の隣に座っていた。

 病院で意識がなかった母に対して、声に出して話しかける事を嘘っぽく感じていたように、亡くなってからも、他の人たちのように話しかけるという事は私には出来なかった。

 私が母にいったい何を話しかけられるというのだろう。
 別に恨みつらみがあるわけではない。
 娘としては無感情なのだ。

 お隣さんもAくん両親も私の態度に、何て冷たい娘なのだろうと思ったかもしれない。
 だとしても、女優にでもなったつもりで『一般的な娘』を演じるつもりで気合い入れないと母に、それっぽく近づく事さえ出来なかったのだ。


 11時までにきてくださいと言われたわりに、11時半を過ぎても誰も担当の人が現れなかった。
 昨日の感じだと「くれぐれも遅れないでくださいね」という感じだったのに。

 母のところに行かない手持ち無沙汰もあったが11時過ぎて、うんともすんとも言ってこないのはおかしいと思い事務所に問い合わせに行った。

 ところが事務所はカーテンが閉まっていて人気も無い。
 周りをキョロキョロしてみると、他の葬儀が終わりこの後出棺らしき作業のためか、葬儀社の人はほとんどこちらの葬儀のために動いているようだった。

 その中の一人を捕まえて、「11時にはくるように言われたのですが」と伝えるも「担当の者に伝えますので」だけだった。
 まぁ忙しそうだし、仕方ないかと待合所に戻った。

 うちの家族以外はまだ、母のところにいるようで、さすがに少し居心地悪いなと意を決して母のところに向かった。