「別にこの後、家に帰ってすぐに容態が急変して亡くなって、亡くなる時に居合わせられなくてもいい」

 と義父は言い、看護師さんの説明を聞いた後に家に帰る事にした。
 車で来ていたAくんのお母さんが送ってくれると言うからだ。

 それがいい。
 いくら元気と言えど、義父だって70を過ぎている爺さんなのだ。
 徹夜で横になる事も出来ずに、ソファーで過ごしてばかりいたら体調を崩してしまう。


 実家に着いたのは、お昼の2時前だった。

 いつまた病院から電話がかかってくるか分からないから、交代で寝ておこうかと義父に提案したが、義父はあまり寝られないようで私に寝ていいと言う。

 私も徹夜して長旅をしてきた割に目がさえている。
 体だけは休めておこうかと横になって軽く夕方まで過ごした。

 義父の代わりに、義父の会社に電話して母が倒れて危篤のために少しの間会社を休む事を伝えた。義父は動転しているからだろうか、自分じゃ電話出来ないから私にしてほしいと言ったのだ。

 その後、私も私自身の会社に朝電話していたが、改めて今の状況説明を話した。

 そして何故だか、その後今日はもう病院から電話は無いような気がして色々な雑事をこなす事を優先した。


 母は髪を染めていて、お風呂で洗い落とした後軽く着替えてトイレに行こうとしたところで倒れたらしい。
 元々、薬を飲みながらの治療をしている程度の病気はいくつも持っており、その中の一つに高血圧もあって、多分、お風呂上がりの寒暖差で脳の血管が切れたのだろうと義父は言っていた。

 つまり今回倒れた原因は、脳の血管が切れた事による脳梗塞のようだ。

 母は数年前に、軽い脳梗塞をやっていた。
 本人も自覚症状が無いぐらいに軽いもので、もちろん何の後遺症も無かった。

 なので今回は二度目という事になる。

 義父は夜に仕事なので、もしかしたら倒れてからの発見が少々遅かったのもあるかもしれない。

 数年前に交通事故に遭って、少々膝を悪くしていたのはあるが、入院するような病気もしてこなかったし、本当に突然だったのだ。
 母の友達がきたので、案内しがてら私たちは再び病室に行った。
 この友達はこのエッセイの始めの頃に書いている幼馴染Aくんのお母さんだ。

 Aくんのお母さんは母に色々と呼びかけていたが、私は何も言わなかった。

 よくこういうシュチュエーションでありがちな、意識の無い相手への語りかけを私はしないのだ。何だか嘘っぽいような気がして。

 別にAくんのお母さんが嘘っぽいわけではない。
 私がやると嘘っぽいのだ。そういうキャラじゃないし、心もこもっていない。周りの人への体面だけのものになってしまう。

 それだったら何という冷たい人間だろうと思われても、口で言葉を発せずに心の中で語りかければ十分だと思っている。

 あと数時間だと聞いていたが、私が着いてからの直接の先生からの説明はまだ無かった。
 なので看護師さん経由で説明をお願いして、再び待合所でAくんのお母さんも一緒に待つ事にした。

 この時点でお昼ぐらいになっていた。
 私は昨夜から一睡もしていない上に、食事もずっと取っていない状態だった。

 義父も食事を取っていないと言う。
 待合所にパンの自販機があるものの

「それを買って食べるのは不謹慎かと思って」
 などと言うから

「そんなわけないよ、食べられるなら食べておいて」

 と自宅から握ってきたおにぎりを差し出した。

 始発を待つために、出かけられなかった時間に余りご飯でいくつかのおにぎりを作っておいたのだ。


 その後少ししたところで、看護師さんが待合所にやってきた。
 先生がやってきたから来てくださいと言われるものかと思っていたら、先生のせの字も無いままに入院に対する諸説明が始まった。

 しかも今後の着替えをどうするかとか、オムツは病院が用意するものにするか、買ってくるかどちらにするかを問われた。

 私は何言っているんだろうと、少々苛立ち気味に話を聞いていた。

 家を出る前に「あと数時間」と言われた母なのに、この看護師さんの入院案内からするとこれから長く入院するかのような話だ。

 義父も同じく、この看護師さんは何を言ってるんだと思ったようで、深夜に当直の先生から説明があった話を伝えた。そして、今もう一度改めて娘も到着したのだから病状を詳しく説明してほしいとナースステーションでお願いしたところ、先生がくるので待っていてくださいと言われたのだが、と話した。

 そうしたら、先生はこないと言う。
 ナースステーションでは、先生を呼ぶつもりは無く、この入院説明の看護師を呼んで入院に対する説明をするので済ませたいという意向だったらしい。

 それならそれで仕方が無いから、今後どうなるのか、今後のオムツや着替えの話をすると言う事は母はすぐには亡くならずに助かるという事なのだろうか?

 そういった疑問をその看護師にぶつけた。

「病状は先生から聞いてくださいね」
(だったら呼んでよ)

「私たちでは何とも。こういう状態は分かりませんからね」
 埒があかない。

 今すぐどうこうなるのか、それとも今晩を越せるのか、更に植物状態のようになって長く生きるのか、ある程度分からない事には私たちはどうにも動けない。

 しかも運ばれた病院は県外の、車で20〜30分の距離の場所なのだ。
 足が無い義父と私は、簡単に病院を離れる事が出来ない。

 看護師さんなのだから、何かしらお世話になるだろうし、多少ツンツンした感じで対応されようとも我慢しなければならないと思って何とかやり過ごした。

 実は家を出る前に一度、病院の宿直の先生から電話で母の状態の説明が軽くあったのだ。


 義父に説明しても、良く分かってないようだから娘である私に説明したいのだと言う。


 義父は耄碌じじいでは無い。

 それなりに頭もいいので、医者の専門的な話にも付いていけるだろうし、分からなければ臆せず質問をする人なのだ。


 どうやら、義父は母が倒れた事で取り乱し過ぎて、その姿が他人からは話しても理解できないだろう人と認定されたようだ。



 先生からの説明はこうだった……母はもう眼を覚ます事は無く、数時間以内には亡くなるだろうと。

 なので、今後命の危険が起きた時に延命処置をしますか?と問われた。


 正直、私がどうしたいというより義父の意向を優先してほしかったので、その旨を伝えると義父はもう延命処置はしなくていいと言う。

 これ以上、管だらけになったり喉に穴を開けるなんて可哀想だと。

 私もそれでよかった。


 そういうやり取りがあったので、余計に私の到着前に母が亡くなっている可能性はあるだろうと思っていた。


 なので『亡くなった』という言葉を聞く覚悟をしながら、病院に着いたと義父に電話するとあの言葉は言われず、入り口まで迎えにきてくれると言う。


 すぐに合流し、説明は殆ど無いままに病室に向かった。


 病室に入ると、呼吸も安定している様子の母が寝ていた。

 けれど義父は病室の入り口付近から入ろうとしない。

 一緒に付いてきた看護師さんが


「どう?娘さんが一緒でも無理?」


 と義父に話しかける。

 どうやら義父は母の姿を見るのが辛くて病室に入れないらしい。


 まぁ感受性の強過ぎる義父の事だ、そういう状態になっているのはすぐに理解出来た。


 状態は落ち着いて見えるようだが、やはり後数時間なのだろうか。


 その時がくるまで、病室で過ごすのかと思っていたら、居た堪れない義父が


「こんなところにおっても仕方が無い、こっち行こう」


 と私を待合所に連れて行った。


 まぁ私も正直、ずっと病室にいるにしてもどうしていいか分からないし、徹夜で長旅をしてきたのだから少し落ち着きたいのもあった。


 待合所はソファーとテレビがあったが、義父は一晩中そこで一人で過ごしたと言う。


 とにかく最新情報を聞かねばと、ソファーに落ち着いたのちに義父に尋ねると私が電話で当直医に受けた説明と同じだった。


 じゃあここでいつどうなるか分からないのを待たないといけないのだなと思っていたところに母の友達がやってきた。

当面の必要な物を準備して3時過ぎになったものの、始発で出るならばもう1時間ぐらいしか無い。

 しかもこういう時なので、眠れる気もしない。


 というわけでリビングで、最終的な忘れ物が無いかの準備と今後の事を考えて過ごした。


 もうこんな事をしていないで、すぐにでも出かけたいのに始発が出るまではどうにも出来ない。悶々としながら、もちろん一睡も出来なかった。



 始発に乗って、新幹線に乗るために東京駅に行く。

 始発で行ったので、まだ新幹線の改札も、当日券の販売所は閉まっていた。


 また足止めを食らったような気分になりながら、しばらくの間開くのを待った。


 当日券売場が開いて、注文すると通路側しか空いていないという。


 名古屋で降りるので元から通路側にしようと思ってはいたが、窓際は空いていないほど始発の新幹線は混んでいた。


 名古屋までの時間弱を眠ろうと思ったが、寝過ごしたらいけないと思うと眠れない。

 もう、とにかく母が運ばれた病院まで行くまで休む事は考えなくてもいいとそのまま過ごした。


 名古屋に着いたのが時頃だったのだが、そこから病院までは名鉄電車で移動して、更にバスかタクシーに乗らなければいけない。


 名古屋駅をご存知の方なら想像つくだろうが、あそこは新幹線が発着するの名古屋駅と私鉄である名鉄名古屋駅までは少々距離がある。


 当面の荷物を抱えて、その距離を通勤ラッシュの人並みを抜けるようにして移動して、もうその時点でかなり体力を消耗してしまった。


 名鉄には特急列車があり、JRでいうところのグリーン車のような別料金を払えば座れる車両に乗れる。しかもグリーン車と違い、指定席制なので特別券を買えば必ず座れるのだ。

 駅の数で言うなら、3駅ほどだったがあまりに疲れていたので380円払って指定席で向かった。



 兄ちゃんが救急車で運ばれた時は、すでに無くなっていたのに義父は私が到着するまで亡くなったとの知らせ入れてこなかった。


 義父いわく、知らせたところで帰省の足を早められるわけでもないし、むしろ早めて事故に遭うような事があってはいけないし、向かっている最中に伝える必要は無いと思った、との事だった。


 確かに今回も、知らせがあったからと言って、電車が早くなるわけではない。


 その時の経験があるので、母がこの移動中に亡くなっていたとしても、私が到着するまで知らせはこないのでは無いかと思っていた。

 なので世に言う、死に目には会えない可能性はあるなと思っていた。

   前回まで私と母との関係を書いてきましたが、それを踏まえた上で、これからしばらく書いていく母の事をお読み頂けるとありがたいです。

 


   完全なるリアルタイムでは無いので、心配してくださる等のコメントは不要です。

   ですがお気軽にコメントしてくださるのは歓迎です。

 


     火曜日の深夜だった。


 私はいつも2時前後に寝ているのだが、その時はまだ0時前で一般的には深夜過ぎる時間だが私にとっては一般の人にとっての9時か10時ぐらいの感覚の時間帯だった。


 そんな時に義父から着信があったのだ。


 これもさほど驚かなかった。


 というのも義父の仕事は夕方から深夜までで、極々たまに仕事帰りに電話をしてくる事があったからだ。


 今日もたわいのない電話なのだろうと思った反面

「いくらうちが寝る時間が遅いのを知ってるからってこんな時間に電話してくるなんて何かあったの?」

 とも少しは考えた。



 電話に出ると、義父の様子がおかしい。

 まず普通に『もしもし』という言葉を言ってこない。

 何を話しているか分からないような、聞き返さないといけないような感じでなにかを話してくる。


 あ、これは何かあったなと分かった直後に聞き取れる言い方で

「ママが倒れとった」

 と聞いた。


 よくよく電話の先の音を聞いてみると、救急車のサイレンが聞こえる。

 今、救急車がきたという事なのだろうか?と思っていると


「救急車の中から電話している」

 と言う。


 これを聞いた時、私はもう母は亡くなっているんじゃなか、もしくはもう病院についたらすぐに亡くなった診断が下るのでは無いかと思っていた。


 というのも、S兄ちゃんが亡くなった時に今回と同じように深夜に電話があり病院に運ばれたと思ったらすぐに亡くなったからだ。

   

    (S兄ちゃんとは、母の弟で私にとっては第2の父のような人。晩年は離婚後にうちの実家に住んでいた)

 


    あの時と同じだ、そう考えたのだ。


「すぐこっちこれるか?」

 と義父は言うので

「もちろん」

 と答える。


 私の受け答えは、そんな話をしているとは電話を聞いていた夫には感じられなかったのでは無いかと思うほど静かな対応だった。


 どう伝えたものかなと思ったけれど、ありのままを伝え、始発で岐阜に行くと話した。

 とは言え、もう亡くなってもおかしく無いぐらいの状態だと私が勝手に想像しているとは言えず淡々と今後の動きを考えて、準備を始めた。