明治維新の裏面に暗躍した謀略集団真方衆■上野の再郷像はなぜ野人姿か | 千年王国のブログ

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     毀誉褒貶定まらぬ西郷評価
■上野の再郷像はなぜ野人姿か
上野の山に屹立する西郷銅像の姿態は、人によっては、あるいは傲然と、あるいは煌然、また、素材、野卑然と聳え、見る人をして、いかにも、征韓出兵を主張した武士団の巨魁といった感懐抱かせるそうであるが、実際の西郷人物像はどうだったのだろうか。
 それを理解するためには、まず、明治二十年代に銅像建設(明治二十六年着工、三十年竣工)を発起した当時の薩摩人首脳の心境が、西郷を裏切って、西郷をしてついに官賊として悲憤死せしめるに至った悔恨を、筒袖ヘコ帯の野人姿の銅像として表象せしめざるをえなかった痛恨の心情を理解しておく必要があろう。
 徳富蘇峰氏は、このことに関して「上野の銅像は、アレは遊びに行かれる時のもので、アレを標準にして、而も、それを天下の公園にお出しになったということは少し考え違いではなかったかと思う」と誌されているとおり、あの銅像の姿態は、西郷の人格を知らない現代の民衆をして、いたく誤解せしめるものであることを承知しておく必要がある。
海音寺潮五郎氏が「西郷どんは憂鬱そうだな」「遠く一点を凝視して物思いをひそめているように見える」と誌されているごとく、あの物悲しく虚空を見つめている双眸は、西郷の真諦(本当の価値)を誤り伝えている現代人に対する、西郷自身の痛恨の情を訴えているものだ。私はそれが無念で、よくあの銅像の下に伏して泣く。まこと、西郷は、心中で「よく泣く男だ」だったのである。

つづく