明治維新の裏面に暗躍した謀略集団真方衆■西郷が感銘した真方衆の謀略 | 千年王国のブログ

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■西郷が感銘した真方衆の謀略
 徳川幕府覆滅とその偽造史糾明に奔命してきた真方衆は、天保十年(一八三九)の大塩平八郎の乱に関連して、西郷吉之助少年が新田八幡山(可愛山稜、現川内市内)の北半を焼失するという大事件を起こして以来、将来、西郷少年を岩屋梓梁と易断政府の存在を顕彰することができる大器たる人物とみて特別な訓薫をしてきたが、このとき以来の真方衆の教戒によって、西郷が感銘した幕末における真方衆謀略には次のごときがあった。

・将軍家治世子の家基暗殺事件ー現在田沼意次が暗殺させたと疑われている事件。
・光格天皇擁立事件ー光格天皇は典仁親王第六子兼仁、生母橘氏岩室磐代は真方衆窪田独鈷斎の子。
・近思録崩れ事件ー薩摩藩内における歴史編纂に関連した思想政策抗争。
・宮一揆ー文化年代、江戸で起きた騒乱。宮騒ぎ、易断一揆ともいわれた。
・大塩平八郎の乱ー易断衆大筒師窪田小太郎の策謀による大塩平八郎の決起。
・西郷隆盛決起事件ー西郷をして、朝鮮使節たらんことを決意せしめ、また、西南戦争勃発の因を策謀した事件。

つづく