引っ越したばかりで荷物も

 

荷物も片付けていなかった

 

リュックサックと大きめの紙袋二つ

 

たったこれだけが私の当時の所持品の全てだった。

 

「一人ぼっち」が詰まった、なんとも寂しい全財産だ。

 

部屋にあるクローゼットに荷物を入れ替えていた時

 

一通の手紙を見つけた。

 

その封筒はボロボロで、色あせていた

 

中を見ると、昔、いつだったか、時間を持て余していた時

 

自分に当てて書いた手紙だった。

 

『おひさしぶりです。

 

お元気ですか?

 

今更、あなたに手紙を書くなんて実はかなり恥ずかしいし

 

あなたが今、どこでなにを

 

しているのか、僕にはわからないけれど…

 

なんだかんだでしぶとく生きているんだろうと思います。

 

あはたは昔から少しひねくれてて、少し悲観的で

 

難しいことを悩んでるようで

 

実はからっぽで

 

あなたがいつかつまらない人間になってしまうんじゃないかと

 

実は心配だったりします。

 

あなたは今、どこでどんな景色を見てますか?

 

あなたが見ている世界は

 

素晴らしい世界ですか?

 

乱筆乱文でごめんなさい。

 

いつかの僕へ。

いつかの僕より。』

 

この手紙を書いた時、私は今のような生活を

 

思いつきもしなかっただろう。

 

あの頃の自分に言いたい

 

「自分が思っているよりずっと、この世界は残酷だったよ」と

 

 

 

 

再び、社会生活が始まった。

 

仕事も決まった。

 

朝、目が覚めて仕事に行く

 

仕事が終わったら帰って眠ろうとする。

 

妻がいなくなってから、私はうまく眠れなくなった。

 

妻の背中に寄りかかりいつの間にか眠れたあの日々が懐かしい。

 

私は、妻の墓前に誓った。

 

もう、誰の苦しみも見逃したりはしない。と

 

 

誰かに悲しみがあれば受け取ろう

 

喜びがあれば分け合おう

 

道を誤れば叱ろう

 

立つ瀬がないときには私が拠り所になろう

 

彼女が愛したこの世界を

 

再び私が愛せるように

 

 

 

 

 

 

部屋を借りてもらったまではよかった。

 

しかし、当時の私はまだからっぽで、何をする気にもならなかった

 

そんな時、以前読んでいたNARUTOというマンガの中の

 

一文を思い出した。

 

「うちはの者が大きな愛の喪失や自分自身の失意にもがき苦しむ時・・・

脳内に特殊なチャクラが吹きだし視神経に反応して眼に変化が現れる」

「それが心を写す瞳・・・写輪眼と言われるものだ」

 

私は漫画のキャラクターでもないし、ましてうちは一族などではないが

 

大きな愛の喪失や自分自身の失意にもがき苦しむ・・・

 

私そのものではないか。

 

それから私は身体に写輪眼のタトゥーを入れ

 

両眼には写輪眼のコンタクトを付け続けている

 

 

 

いつか、このコンタクトをしなくても良い日が来るのだろうか

 

 

 

 

 

妻と過ごした街に戻ってきた時、私の所持金は9万円ほどだった。

 

次の日のことや、まして将来のことなど考えていなかったので

 

それで充分だと思っていた。

 

あまり知られていないと思うが、携帯電話というのは

 

契約者が死亡したという情報が入った瞬間、回線を止められる。

 

しかも、強制的に、だ。

 

中のデータも見れなくなってしまう

 

私の携帯電話は妻名義だったので、妻が亡くなって3日で止められた。

 

妻との思い出が詰まった携帯電話・・・

 

その中に入っている写真を見る時だけが当時、私の安らぎだった。

 

そんな私を見た同僚が、私のために携帯電話を契約してくれた。

 

それに比べ、私に部屋を間貸してくれた同僚はひどいものだった。

 

妻が生前、働いていた時に、仕事がなく困っている

 

とのことだったので、私が働いている会社の社長に頭を下げて

 

なんとか雇ってもらうことができた。

 

彼が働き始めて、間も無く私が会社を辞めてしまったので

 

事情は詳しくは聞いていない。

 

ただ、就業態度が悪かっただけだと思うのだが・・・

 

その後、私と再会するまで無職。

 

よく生活ができるな、と尋ねると

 

「家賃、光熱費、携帯電話の料金以外とは別に毎週食費として1万円を

 

親に仕送りしてもらっている。」

 

30歳も過ぎた良い大人が親から仕送り?

 

仕送りがあるから働かなくても生活できるというのだ。

 

理由がないわけではない。本人はてんかんを患っていた。

 

しかし、毎日ちゃんと薬を飲んでいれば発作も出ないとのことだった。

 

一緒に生活していて気づいたのが、彼は薬を飲まない。

 

当然、てんかんの発作は出る。突然意識を失い倒れるのだ。

 

私はてんかんの発作を見るのは初めてだったので驚いて救急車を呼んだ

 

そして、彼の家族に知らせなければと、彼のスマホの連絡先から「姉」というのを

 

見つけたので、電話をかけ状況を伝えた。すると

 

「余計なことしないでください。」

 

といきなり怒られた。

 

なんて家族だ、とその時は思ったが

 

その後の彼の生活ぶりを見ていて家族が見放すのも

 

しょうがないな、と納得した。

 

彼は仕事を探そうともしない。薬もいくら私が毎日服用しろと言っても飲まない

 

食費として毎週仕送りされる1万円はパチンコで消える。

 

パチンコに負けると飯も食べられないのでコンビニで食料とタバコを

 

万引きしてくる。

 

酒癖も悪く、酔うと先輩であり、年上でもある私にケンカを売ってくる。

 

そんな彼との同居生活が1ヶ月続いたある日、携帯電話を契約してくれた同僚に

 

相談したところ、彼女は私のために隣町にアパートを借りてくれた。

 

本当に、いよいよ社会復帰だ。そう思った。

 

ちなみに万引きしてくる同僚とは引っ越し後、縁を切った。

 

その後、万引きがバレて警察に捕まって、現在は九州の山奥の何もない集落の家に

 

連れ戻されたと、噂で聞いた。

 

 

 

 

私には両親がいない。

 

そのことは物心がつく頃には自覚していたし

 

寂しいなど、思った事は無かった。

 

里親が亡くなった時も、悲しみはあったが

 

家族がバラバラになっても、不思議と寂しくはなかった。

 

仲間の中にいても、心のどこかに孤独を感じていた。

 

恋人ができても、きっといつかは私は捨てられる

 

そんな恐怖心を抱きながら交際していた。

 

 

私は知り合ったばかりの人や、一時的な付き合いの人には

 

決して自分の過去や、事情を話さない。

 

私の話を聞いて、どういう言葉をかけたらいいのか相手が困惑するからだ。

 

そういう場面に何度も出くわしてきたから、私はあまり本当の過去を話さない。

 

 

”ありきたりの生活を送ってきたありきたりの男”を演じる。

 

しかし、相手との付き合いが深くなればなるほど、私が演じてきた”ありきたりの人生”

 

なんてものは、相手にすぐに見抜かれてしまう。

 

私は施設で育った頃からの癖で、温かい料理が食べられない。

 

箸の使い方も下手くそだ。

 

一番困るのは家族のことを聞かれた時だ。

 

答えられない。

 

相手から不審がられて、問い詰められると 本当のことを言う。

 

大抵の人は私の話を聞いて、ドン引きする。

 

いきなり別れを告げられたこともある。

 

そんな時は、流石に自分を捨てた親に憎しみを感じる。

 

 

しかし、妻が亡くなって半年後、偶然再会した会社の同僚は

 

私の話を聞いても特別な反応は示さなかった。

 

ただ、じっと話を聞いてくれた。

 

 

1人で過去を隠し、悩みも誰にも話せないというのは

 

本当に辛い・・・

 

だけど、自分の方から声を出し続ければ、自分の話を聞いてくれる

 

そんな人に出会える。

 

その夜、私は久しぶりに泣いた。

 

涙が止まらなかった。

 

妻が亡くなった日に凍りついた二つの感情

 

”悲しみ”と”苦しみ”

 

それが、人に話すことによって溶けて溢れ出したかのように

 

私は泣き続けた。