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子宮頸がん1b2期から
再発転移を繰り返し
余命3ヶ月生存率0%から
生還した月日を
書き綴っています。
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【2013年8月3日】
病室に戻った私、、、
ほとんど記憶がなく
母が
『お帰りなさい。ご苦労さま』
と言ってくれたような記憶があります![ハート](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/149.png)
![ハート](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/149.png)
今回の付き添いは母なので
この最後の入院も写真はありません![凝視](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char4/629.png)
![凝視](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char4/629.png)
動脈塞栓術1回目の安静時間の時
きっとグッタリしてたと思います
ただ、脚が辛くて目が覚めて
また寝落ちしてと繰り返して
安静時間を終えた記憶があります
勿論、、、
安静時間がおわったら
車椅子で
煙草を吸いに行きました
2回目の動脈塞栓術の安静時間解除
全く煙草を吸うことに罪悪感が無かったので
これを見た人は不快な思いをするかもしれませんが
がんでも好きな事して生きていく
というのが私のスタイルです
共感しない人も多いと思いますが
生きることに正解はない
ただ言えるのは
ステージ4、余命3ヶ月の状態
生存率0%
そんな状況の私でも
今、生きているって事です
母も好きなように
がん治療と共に生きている私に
納得していたので
温かい目で見てくれていました
※2013年8月3日の回想です。
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