鹿島カントリー倶楽部
2014年12月10日(水)
鹿島カントリー倶楽部は東日本大震災から立ち直るため、動き出している最中であった。
クラブハウスが新築され、かつての建物は姿を消していた。
白を基調とした2階建ての建物が復活をアピールしている。
2階建てで、フロント、ロッカー、コンペルーム、談話室などが備えられている。
イメージを一新したクラブハウスは、徹底した省力化がすすめられているようだった。
車寄せの玄関から入るとすぐにカウンター、他のゴルフ場のクラブハウスにみられる広いエントランスホールや大きな受付カウンターはない。
小荷物を受け付けるような窓口で、エントリーする。隣の貴重品ボックスが目立つ。
その奥の階段の下に自動販売機や数人が座れる椅子とテーブルが並んでいる。
クラブハウスにシャワー設備はあるが、風呂はない。
入り口にはゴルフバッグの移動はセルフでと張り紙があった。
省力化に徹する姿が見て取れる。
まずは受付に立ち寄ると、そこでプレー料金を支払うシステムだった。
昼食はスタートホールにあるハウスで現金で支払って食べるという。
スタートハウスでの昼食もまだメニューが限られていた。食券は自動販売機であった。
新しいクラブハウスには、きちんとした食堂がある。2階の見晴らしのいい場所に設置されていた。
しかし、厨房はない。自動販売機が迎えてくれるだけだった。
体制が整えばクラブハウスの機能を徐々に充実させていくということなのか。
まさに、これからに向かって歩み出しているところだった。
新しいクラブハウスの前庭にその砕かれたコンクリートの塊が無造作に積まれていた。
重機をつかって、残骸を撤去する業の真っ最中であった。
(旧クラブハウス)
鹿島カントリー倶楽部は南相馬市の鹿島区にある。
東に太平洋、西に阿武隈山脈、真野川の清流を望むゆったりとした環境にある。
このゴルフ場に大きな打撃を与えたのが2011年3月11日の東日本大震災だった。
福島第一原発からおよそ30キロのところにある。
原発事故でしばらくは「屋内退避」を求められた。
4月22日、「屋内退避」から「緊急時避難準備区域」に切り替えられた。これによって屋外での作業はできるようになったが、営業再開に向けては苦労の連続であった。
震災直後の混乱が収まり、落ち着きを取り戻すと、地元会員から「ゴルフをやりたい」という強い要望が出るようになった。
しかし、芝生の放射線量には不安が残る。事実、計測すると通常よりは高い値を示したという。
それでもゴルフのプレーを望む声が根強かった。
4か月後、地元の声に押される形で、仮営業に踏み切った。
スタッフ数人でクラブハウスも使わず、セルフのスループレイだけという仮の再スタートだった。
コースも3コース27ホールから18ホールに縮小した。
幸いにコースは震災の影響がほとんどなかった。
しかし、休業を強いられ、原発事故による放射能に対する不安などの影響は大きかった。
鹿島カントリー倶楽部は東京電力に対し、損害賠償の請求をした。
請求額は除染費用、それに、芝の張り替えに要する費用、休業補償も含めて、110億円に上ったという。
震災から2年9か月後、平成25年12月、ようやく新しいクラブハウスの建設に着手した。
新しいクラブハウスが完成したのが、翌26年7月、これによって待望の再オープンが実現。
鹿島カントリー倶楽部の再生への歩みが始まった。
新しいクラブハウスは東京電力からの損害賠償金や、中小企業グループ施設整備・復旧事業補助金が充てられた。
ただ、建設資材の高騰や人手不足による人件費の高騰で、事業費が当初見込みを大幅に上回ってしまったという。
各ホールは松やモミの木などにセバレートされている。
地形がゴルフ場に適している。おおむねフラットだ。
このためティグラウンドからの景観も開けており、伸び伸びとティショットを打てる。
ただ、フェアウエーサイドにあるバンカーは曲者だ。
浅いといっても広い。思い通りにはさせないぞというコースのメッセージが伝わってくる。
池もある。見通しが良い分、プレッシャーをかけてくる。
グリーンへの花道は開けている。
スコアメイクのカギはグリーン周りからの寄せにかかっている、そんな印象だ。
この日の巨匠はティショットが安定していた。
出だしこそ距離感に迷いがあったが、ショートホールを確実にパーをセーブ。
崩れないしぶとさをいかんなく発揮した。
あるプロゴルファーは言っていた。
「ゴルファーのもっとも崇高な目的は、人を驚かすようなすばらしいショットではなく、
ミスをひとつ、ひとつ着実に減らしていくことだ」と。
巨匠はついにそこまで悟ったのか。
しかし、悟ったと思うたびに裏切られるのがゴルフと言うスポーツだ。
名人はこのところ、好スコアを出した後のホールで大たたきをする奇妙なジンクスがある。
ゴルフで大たたきをするのは万事うまくいっている時が最も危険な状態だという。
その理由は「油断」だ。
ゴルフのもっとも危険な瞬間が、この日も名人に訪れてしまった。
ジンクスが確認に変わらぬよう、名人の苦闘は続く。
この日はゲストも加わった。年齢を感じさせない豪快なショットを披露する。
しかし、目の覚めるようなショットが、続かない。
なぜ、ナイスショットが続かないのか。ゴルフを愛する者にとって永遠の謎である。
ナイスショットの感触が消えてしまうところが何とも悔しい。
鹿島カントリー倶楽部は1976年(昭和51年)に開場した。
平成13年、経営していた鹿島総業が民事再生手続きによって、新たな体制で再出発する。
平成16年にコース用地の賃貸契約がこじれ一時クローズ、18ホールでの営業を余儀なくされたが
翌年 平成17年に、再び27ホールで営業を再開した。
震災前までは27ホールの営業も震災後は18ホールになった。
閉鎖した9ホールはメガソーラ―基地としての利用が計画されているという。
鹿島カントリー倶楽部にとって明るい話題もある。
常磐自動車道の開通である。
南相馬インターチェンジから車で10分以内でアクセスできる。
ゴルフ場への利便性が高まるのは間違いない。
利用者の増加につながると期待されている。