モノクロでゴジラの世界に没入す。 | 堀田茂之 微力前進!

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1歩1歩、前を向いて進んでいく。
そんななかで楽しみを見つけていけたらイイなって思います。
モノの見かたは1つじゃないからね。。。

 ってことで、読んでみてくださいな♪

ども^^

 

 

 

『ゴジラ -1.0/C』観に行ってきました。

 

モノクロに少し興味があるんですよ。

 

ただモノクロ=彩度をなくせばいいのではない。

それはなんとなく知っていて。

 

だから『G -1.0』がおもしろい映画だったし、これはモノクロを知るいい機会だなって思っていたのです。

 

ちなみにこの公開は早いところでは今週にも終わってしまうので、気になった方はお急ぎくださいまし…。

 

 

 

カラー版(-1.0)が公開されてかなり経っているので、ここからはネタバレ気にせず書きます。

 

 

 

モノクロは色がないのではない。

 

それを知ることができたなと思います。

知識としてではなく、体感として知ることができたんですよね。

 

序盤の深海魚が浮き上がってくるシーン。

そこに関してはカラーの方がよかったかな。

 

海の透明度、青色に、深海魚の口から飛び出た黄色い浮袋(内蔵)。

あの黄色が異様さを描いていると思ったんですよね。

 

 

でもそれ以外は、それぞれの良さがあったと思いましたよ。

 

 

たとえば、モノクロゆえの迫力。

 

モノクロがもつ陰影、凹凸、ざらっとした感。

零戦や震電といった戦闘機や高雄のような軍艦は、モノクロで描かれたことでより戦中戦後のイメージがより沸いたように感じました。

 

敷島(神木隆之介さん)が震電で旋回するシーンでは、スクリーンを斜めに駆ける戦闘機もそのコクピットも、内容知っているのにドキドキしてしまいました。

 

コクピットに関しては、飛び立った時から「おお!」って思ったなぁ。

スピード感がとても格好よかったんです。

 

 

 

ダメージを受けたゴジラも、モノクロで迫力が増しましたよね。

 

高雄の手法を至近距離で喰らって、ゴジラの黒い体躯に白い傷跡が広がる。

これ、カラーだとオレンジ色だったわけですが。

 

黒地にオレンジと黒地に白。

はっきりとした色の対比の方が、僕は生々しさを感じました。

 

 

モノクロは被写界深度によるボケ具合も見えやすいのだろうか。

 

これは最初、敷島と典子のシーンで感じたことなんですが、人類の人智の攻撃で大ダメージを受けたシーン。

怒りか自分を奮い立たせているのか。

白い面積の増えたゴジラが威嚇咆哮するクライマックス。

 

このときの空気の震えも強く見えた気がするんですよ。

 

色があることで見やすさは増すけど、色が少ないことで想像力が補おうとしているのか。

モノの見方はいろいろあるようです。

 

 

 

モノクロによって、画面を見る集中力が高まるなとも思いましたよ。

 

光のある時間帯で白、グレー、黒を基本に画が映っていればいいけれど。

夜のシーンは黒い色が多くなってどうしても情報量が少なくなってしまいますね。

その中で画を見ようとすると、それだけじっと見ないとなんですよ。

 

だからそのぶん、物語の世界に入り込める気がしたのです。

 

 

情報が多ければいいわけでもないんだなぁ。

こういう感覚も、以前だったら感じなかったのかもしれません。

 

カメラを初めて得た感覚といえるのかもしれませんね。

 

 

 

その集中力でカメラマン的視点だけでなく、俳優的視点でも集中力は高まっていたかと思います。

 

浜辺美波さんの「生きてるよお!」は、やはり心に響いたなぁ…。

ほんと、心の奥からの声ですよね。

ぐっっとこずにはいられません。

 

 

観たのが通算2回目なので、今回は別のところにも目がいきましたよ。

 

それは、エキストラの演技。

エキストラといっても、ただのエキストラではありません。

選ばれたエキストラです。

 

 

いちばん気になったのは、クライマックスで特攻を果たした敷島への敬礼でした。

 

艦上からばらばらのタイミングで敬礼をしていくんですけどね。

あれはどういう演出がされていたのかなーって。

 

カメラがパンしていって、すーっと右手が上がっていくのですが、後ろにいる演者さんが先に敬礼しているんです。

前にいる演者さんにはそれが見えない。

でもタイミングが絶妙なんですよね。

 

いちばん前にいた丸刈りの演者さんは、どういう気持ちで右手を上げたのだろう。

 

助監さんがタイミングを教えた?

海の上から?並走する船がいたとしてそこから?

 

いや、もしそうだとしても、ただ敬礼の形をしたようには見えなかったです。

敷島への心からの敬礼と、僕には見えたんです。

 

この演者さんだけでなく、それそれがそれぞれのタイミングで敬礼していく。

そのシーンがとてもいいんですよ。

みんながみんな、気持ちのこもった敬礼をしているのです。

 

 

選ばれたエキストラ。

 

僕がやるポジションもそこですね。

だからこういう演技はとても気になります。

 

そういう視点で見られたのも、モノクロによる集中力のおかげなのかもしれません。

 

 

 

芝居関連でもう少し書かせてくださいね。

 

敷島の実家の隣に住む澄子(安藤サクラさん)が、敷島を叩くシーン。

2回あるんですけども。

 

「なんで生きてるんだよ!」とぶつけた、戦争へのやるせない怒り。

「生きててよかった!」という、敷島への安堵。
 

1回目と2回目でその意味はぜんぜん違うんですよ。

 

 

叩く力加減は同じくらい。

回数は…同じだったかな、3回と2回で違ったかもしれない。

 

『同じ人を叩く』という行為なのに、澄子は2回とも涙ながらなのに、そこにある感情はぜんぜん違う。

ああなんで前観た時はこのリンクに気づかなかったんだろう。

 

1回目に叩いていた時、澄子さんは数々の悲しみからの弱々しい力だと思っていたのですが、こういう見方をすると澄子さんは普段からぺちぺちやる人だったのかも?

(そういうおばちゃんていますよね)

 

これが合っているかどうかは別として、演技プランとして取り込んでいたのかな。

…なんて勝手に思っていたのでした。

 

 

あぁ、勝手に思ったことといえば…。

 

最後、典子の首筋に謎の蠢きがあったんですが。

あれってゴジラ細胞が典子に入って、その再生能力で生きてたってことだったりしないんですかね?

 

だって銀座を崩壊させたゴジラの熱線で吹き飛ばされたわけですよ。

肉塊になってしまっていても不思議ではないわけです。

むしろ生きていたほうが不思議な状況です。

 

肉片にゴジラ細胞が付着して再生した。

そうでないことを願いたいが、あの典子さんは…!?

 

 

 

 

思ったことをだーっと書いてきたので、読みづらい部分があったかと思います。

 

直そうかとやってはみたものの、どうにも繋げにくいところもあったりしてね。

いや、でもそうやって直すよりもこのまま書き殴ったままの方が想いが強いのではないか。

 

そうも思ったので、こんなだーっとしたブログになっております。

 

 

今回のはモノクロで観た、感じたことを書いていますが、以前書いたブログ。

カラーで観たときのはこちらに書いてあります↓

 

よかったら併せてご覧くださいな。

 

 

モノクロのおもしみ。

それが少し深まった気がしています。

 

これもいい映画だったなぁ。。。

 

 

 

それではまた映画