スケーターのセカンドライフ:ウィルソンの道 | siennaのブログ 〜羽生君応援ブログ〜

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羽生結弦選手の現役時代をリアルタイムで体験できる幸運に心から感謝しつつ、彼のスケートのここが好きあそこが好きと書き連ね、ついでにフィギュアにも詳しくなろうと頑張る欧州住まいのブログ主です。

昨日読んだNumberの記事
テーマはスケーターの引退後の人生について。なかなか良いテーマだったと思います。
現役選手を応援しているファンにとってはやはり気にかかるコトですし。

タイトルに挙げられたパトリックは、マネージメントがしっかりしているのかワインの自分ブランドを立ち上げたり、自分の名を冠したスケート学校が設立されるなど、着々と確実にやってくる引退後に向け合理的にビジネスプランを遂行しているといった印象です。
一番理想的なのはコーチや振り付け師等スケートに関わり続けられる進路でしょうが、学業を極めたり普通に就職したりと、様々な引退後が選手達を待っています。

記事では、現役時代はパッとしなかったけど引退後に見事に振り付け師・コーチとして名声を馳せることとなったスケーターとして、モロゾフの名が挙げられていました。

私は是非ここにウィルソンも加えたいと思うのです。

以前、PJクォンさんによるインタビューを聞いた時、その独特のパーソナリティと彼の半生にとても感銘を受けました。面白い人とよく評される彼、実はとてもシャイであるとか学校で激しいいじめを受けていたとか、いろんなことをオープンに分析的に話してくれるのですが、その語り口はあくまでソフト…おかげで重い内容の時も救われたような気分でした。

…Numberの記事を読んでそのインタビューをご紹介したくなりました。
長いので数回に分けることになります。
また、完全な逐語訳ではありません。PJさんの質問を彼の発言に織り込んだりもしています。
ご了承ください。
少しポエティックな彼の語り口をお伝えできればいいのですが…。


インタビューはこちらから聴けると思います。多分。







僕が初めてプログラムを振りつけてもらったのはクリケットに行く前、12か13歳の時。当時のコーチの奥さんが作ってくれた。あの頃はシャイだったからとても彼女のようにカッコよくは滑れないと思ったけれど、内心は同じようにやってみたかったよ。家の中ではいつも音楽に合わせて体を動かしていた。動いていない時も頭の中で音楽のストーリーやフィジカルな面を感じていた。

最初振り付けの仕事をもらったのはIce Capade(アイスショー)をやめた頃。当時の僕のパートナー(ジャンピエール・ボワイエ)と一緒に、彼のコーチのアシスタントとしてレッスンを手伝っていたんだけど、そのうち彼女の生徒の振り付けを依頼され、それが他のコーチ達の目に止まり…。初めて振りつけたプログラムの曲や名前は思い出せないなあ。実にいろんなことがいっぺんに起こった時期だったから。全てが新しい体験だったよ。何をやっているのか、自分でも自覚の無いままに…。ある日ジャンピエールがうちに帰ってくると、「他のコーチから聞かれたよ。君たち振り付けできる?って」「で、なんて答えたの」「もちろんできるよ!って」「でも僕ら振り付け師じゃないのにどうするんだい!」(笑)彼は自信に満ちた面白くて個性的な人でね。僕の背中を無理にでも押してくれたことにほんとうに感謝してるんだ。だって怖いことでもあったんだから。

自分の個人的な感情が溢れ出すようで怖かった…。子供の頃僕はいじめられっ子で…小さな町の出身なんだけど、笑い者にされ、馬鹿にされ…とてもとてもとてもとても自意識が強かった。アイスショーに出演するうちにうわべをコントロールすることは覚えたよ…微笑むこと、演技することを学んだ。でも振り付けというのは自分の心を正直に出さなければいけないだろう。それが最初は怖かった。その仕事が自分に向いている、自分に才能があるという事実を認められるまでに時間がかかった。最初の数年は自分がニセモノのような気がしていた。僕のキャリアはトントン拍子に進んで、日本からもオーストラリアからも…もちろんカナダ全土の子供達から依頼があった。でも自分で自分のしていることがよくわかっていなかったから怖気付いていた。売れっ子なのも一過性なんじゃないかと…。それでも地に足をつけていられたのは…僕と子供達という二元性があったから。子供達のためなら自分のことは忘れてしまえた。セバスティアン・ブリテン(1995年カナダ・チャンピオン、リレハンメル五輪8位)と組んでいたときのこと…彼はすごく才能があってね…この子は僕が与えられるかもしれない全てを受け取るに値するって思ったのを覚えているよ。

自分の仕事についてだけれど、このプロセスが好きだ、単なるコーチ業よりも好きだ…そのことにはかなり早くから気付いていた。いや、教えるのも好きだよ!特にコンパルソリー…。とても秩序立っていて…完璧ということがない…終わりがない…静穏で…ディテールへのこだわりがあって…。

PJ そのプロセスについてもっと説明して。

教えるプロセスなんだけど、それって育てることでもある…。両親の存在が自分の仕事にはとても大きい。いつも支えてくれ、厳格だけど愛情たっぷりで…道徳面では一線を引いて…。二人とも若い過ちによる離婚経験があって、連れ子がいた。僕は彼らが30代のときに生まれた、両方にとって唯一の共通の子供。僕は彼らにとっていわば放蕩息子(訳注:prodigal sonと言っていますが、デイヴィッドが放蕩息子という意味ではなく、再婚後の両親自身が帰ってきた放蕩息子のように心を入れ替えて立派に子育てをしたということかな?)だったんだね。…そういうわけで僕は人を助けるのが好き。人が才能を発揮するのを見るのが好きだ。自分にとってはカタルシスでもあるんだね。なぜなら僕は人が自分の殻を破ってくれるのを待っていた。それは確かに起こったんだけど、そのとき僕はすでに大人になっていたんだ。あとは個人的なことだけど、シャイで自意識過剰な人間としては、自由に体を使って音楽から感じた感情を表現するという作業はとても解放感を与えてくれるんだよ。慣れない環境や自分をナーバスにする特定の人間が居る時は今でも自意識過剰になったりする。僕にとっては子供達と仕事をしながら自分の創造性を自由に発揮するのは絶え間ないヒーリングなんだ。

PJ たくさんのスケーター達と話して思ったのは、私にとってもそうだけど、リンクというのは自分たちにとって安全な場所だったっていうこと。コーチがいて、ルールがあって、やるべきことがわかってて…家庭がカオスな子供達にとってリンクは安全な場所だったの。あなたは学校でいじめられていたわけだけれど、あなたにとってリンクはどういう場所だったの?

僕の両親は熱心にスケートに関わってくれて、父はノーブルトンSCの会長になったし、母はコスチュームを縫ってくれたり資金集めの活動をしてくれたり… 全力で僕の趣味をサポートしてくれた。リンクは僕らの世界になったよ、安全な世界に。そこではいじめられることもなく…。 家庭や近所でも僕は幸せな子供時代を過ごせたんだ。でも学校は…地獄だったよ。ほんとうの地獄。仮病を使って学校を休んだ。休み時間がとても怖かった。6歳の頃からスケートを始めて新聞に写真が載ったりしたから皆んな知ってたんだ、僕がフィギュアなんかやってるヤツだってね(笑)。だから学校に入ると常にいじめられて脅されて…ゲイであることが関係あったかどうかはわからない。あの頃はまだ若すぎてそのことは自分で処理できてなかったから。でもとにかく怖かった。それこそ休みなく…ひっきりなしに身体的な脅しを加えられてたんだ…

6歳のときに姉が死んで、それ以来母は僕に対して過保護になった…。父はあとになってそのことを後悔していると言ったよ。僕にケンカの仕方、自分の守り方を教えられなかったことを。父自身はとてもタフな人間でね。腕っ節が強かったんだ。彼も背が低いことでいじめられていた。18歳の娘を亡くしてからは僕が母の生きる意味になった。でも父は母をかわいそうに思って僕らの間に割って入らなかったんだね。もし僕が人生をやり直せるとしたら、その一点…。父にもっと鍛えてもらって、もっとタフになるべきだった…そうすればもっと早くにもっとたくさんのことをやり遂げられていたはずなんだ…。
6年生くらいのとき走り高跳びのコンテストで優勝してね。僕を一番いじめてたヤツに勝ったんだよ。あの時味わった気分は決して忘れない。 自分のことを無敵だって思ったよ! 普段逃げ隠ればかりしていたから、あれはほんとうに素晴らしかったな。

15歳でトロントに引っ越ししてからだよ、全てが変わったのは…。ちょっといじめられたりはしたけど…主にクリケットの意地悪な女の子たちにね(笑)一人は今は親友だよ(笑)。 都会では文化が違った。 その年になると他人が何をしているかなんてよく知らないし。学校では僕がスケートをしていることは知られていなかった。クリケットには各地から生徒が集まっていて…この年齢で都会に移ることが出来てよかった…いつも思うんだけど、もしあのままノーブルトンにとどまっていたら今頃体重が160kgくらいになっていただろうね。家に引きこもってさ…。


以上。


ジャンピエールが帰宅して仕事の依頼の報告をした時の二人の様子になごんだり、振り付けの仕事が辛い子供時代のヒーリングでもあるということになんとも言えない気持ちになったり、彼が親しいPJさんに心をオープンにして語った素晴らしいインタビューだと思います。

…えーと、続きのアップはいつになるかわかりません。実はそろそろヨーロッパならではの長期休暇にはいるので、ブログの次回更新はひょっとしたら夏休み後になるかも…。FaoI放送が観られれば、パッキングそっちのけで感想書いちゃうかもですがw