被災して、子供たちに変化が | 終活・尊厳死を支援

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こんにちは。
自分らしく生き抜くための、人生アドバイザー
札幌の行政書士 岡田七枝です。

熊本県の地震、本当に胸が痛みますね。

以前、宮城県での地震が起きたとき、姉の家族が仙台に住んでいました。

ですから本当に、速報を見るたび、胸が痛みます。

子供たちは、当時小学生。

なんとか、家族全員無事でしたが、何日も家に入れず、放射能のこともあり、外にも出られず、企業の地下駐車場や、車の中での生活を、余儀なくされました。

とにかく、昼夜問わず、余震がひっきりなしに続き、まさに途方に暮れる状況だったと言います。

数日後、やっと家を見に行った時には、何もかもが倒れていて、全部落ちていて、すべてが壊れた状態。

姉は、ただただ茫然と、していたといいます。

言葉が出ない。

足が動かない。

そんな状態だったと言います。

支援物資があると言っても、学校の体育館にずっと避難している方しか、当たらなかったと言います。

車に避難している方が、食べ物だけもらいに行っても、何ももらえないそうです。

それだけを聞くと、なぜなのかと、思ってしまいますが、たとえもらえても、みかん一個。

そもそも、体育館に居る方でさえ、あたらない方もいらっしゃって、配られるものも、充分ではなかったのです。

そんなとき姉は家の中で、ラップにくるんで、冷凍庫に入れていたご飯が、じゅうたんの上に転がっていたのを、見つけたそうです。

他に食べるものが無かったので、それを家族で食べたと言います。

当然、電子レンジを使うことはできず、自然解凍されたご飯を、そのまま分け合って、食べたと言います。

一度凍らしたご飯を、自然解凍で食べると、芯が残った状態なんですね。

姉は、「あれを食べたら、なんでも食べられるようになる。」と、言っていました。

実感のこもった言葉でした。

その後も、子供たちが地震に対して、トラウマになるかもしれないと、心配していました。

しかし、テレビが一切見ることが、できないところに居たおかげで、津波の被害がない場所に居た子供たちは、逆にあの恐ろしい光景を、目の当たりにすることが無かったと言います。

ですから、子供たちは、ずっと強い恐怖心が、残るようなことは、なかったようです。

しかし、姉は今でも、少しの揺れでも、敏感に反応します。

姉の友人のところは、そのあと地震が起きたとき、夜中に子供たちをたたき起こして、避難しようとしたのに、どんなに叩いても、大声を出しても、絶対に子供たちは、起きなかったそうです。

一度、震災を経験すると、少しの揺れでも、飛び起きるようになるのかと思いましたが、逆に目を覚ますのを、無意識のうちに拒否するんですね。

母親は、子供たちを両脇に抱えて、避難したと言います。

聞いているだけでも、恐怖を覚えます。

実際に経験した方の気持ちを想うと、本当にやりきれません。

本当に、ただただ手を合わせて、震えながら祈ることしかできません。

姉の子供たちは、あの震災でたくさんの勉強をしました。

あれほどケンカばかりしていたのに、めっきり減りました。

そして、家族でテーブルを囲んで、食事ができるありがたさを、学びました。


本当に生活が一変するというのは、恐ろしくて、そして悲しいことですね。

早く地震がおさまってほしいです。

そして、これ以上の被害が出ないことを願います。

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