セヴィニエ夫人の手紙 (三面記事的人間模様) | アルプスの谷 1641

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1641年、マレドという街で何が起こり、その事件に関係した人々が、その後、どのような運命を辿ったのか。-その記録

 

 
 
 今回の手紙では他人の性生活について踏み込んだことが書かれていて、
 
何やら三面記事的な手紙になっています。 最後でセヴィニエ夫人も下世話

 

な手紙を書いたことを少し反省しているようです。 
 
 ここで語られている王太子妃とは、マリー・アンヌ・ド・バヴィエールのこと。 

 

マリーはバイエルン選帝侯の娘で、1680年にルイ14世の長男ルイ王太子

 

と結婚しましたが、1690年に 29歳の若さで死去しています。 
 
 この手紙ではマリーは大変ほめられていますが、別の手紙では、セヴィニ

 

エ夫人はマリーをあまり美人ではないと評しています。 
 
 
 コンティ公とあるのは、ルイ・アルマン1世・ド・ブルボン=コンティのこと、

 

その弟君は、フランソワ・ルイ・ド・ブルボン=コンティ です。 
 
 ルイ・アルマン1世は 24才で亡くなっていますが、彼の不幸な結婚につ
 
いては、以前
セヴィニエ夫人の手紙 (王女の結婚) で書きました。 

 コンティ公がインポであるという噂は、新婚初夜で失敗し、その後、夫婦
 
関係を修復できなかったことから来るのでしょうか。 真実は知りようもあり
 
ませんが、同情を禁じ得ない話ではあります。 

 
 
 
1980年 3月 22日 (金) パリにて、娘フランソワーズへ。 (前の手紙の続き)
 
 
 人々は王太子妃を盛んに褒めそやします。 とても誠意のあるお人柄です。 
 
魅力的でフランスのお作法に通じ、宮廷でフランス生まれであるかのような
 
立ち振る舞いをなさいます。 王太子妃はご自分の考えをお持ちで、他人の意
 
見の受け売りをすることはありません。 
 
「マダム、カード遊びをしたいとは思わないのですか?」
 
「私は賭け事を好みません」
 
「狩りには出かけませんか?」
 
「いいえ、決して。 あのような楽しみを私は理解できません」
 
 それでは何をなさるのでしょう。 王太子妃は会話を楽しみ、詩や散文を
 
お読みになり、裁縫にいそしみ、散歩をされています。 何より陛下を喜ばせ
 
ることを無上の楽しみとしています。 陛下は何時間も王太子妃の部屋で過ご
 
し、もうモンテスパン夫人の部屋で過ごすことはなくなりました。 宮廷生活
 
はとても私的なものとなり、気の置けない方々と過ごしている時には、王太
 
子妃が部屋から出てくることはありません。 社交の場に顔を見せるのも一日
 
に一時間ほどです。 身支度をするにしても寝室に下がるにしても、お姿を
 
お見かけすることはありません。 
 
「風邪をひいた方」(マントノン夫人のこと) と、貴女は去年の冬、あの方
 
をそう呼んでいましたが、陛下の覚えはますますめでたく、それにつれて、
 
貴女のお友達のお姉さま (モンテスパン夫人のこと) との関係も険悪の度を
 
深める一方です。 ついには、お互いの部屋への出入りも無くなってしまいま
 
した。 王太子妃の仰ることはすべて正しく、物事をよく表しています。 知性
 
やユーモアが望まれているのではありません。 すべてが正しいのであれば、
 
他は必要ありません。 陛下は王太子がやらなければならないことの全てを
 
指示し、ある種の地理教育を行っていますが、宮廷人たちはそれに興味津々
 
です。 
 

(地理教育とは性教育のことを指していると思われる。 王太子は性に対して
 
は非常に奥手で、初心だった)

 
 コンティ公については言えば、奇妙にも不愉快な噂が広がり、公を困惑さ
 
せています。 (訳注 : コンデ公がインポであるという噂) その弟君が (兄の)
 
コンティ公を狼狽させる出来事がありました。 ある日、コンティ公がダンス
 
をしていると、弟君がこう叫んだのです。 
 
「上手にダンスをする娘がいるじゃないか」
 

 (ここでいうダンスには性的な含みがある)
 
 この、全く馬鹿げた、不作法な行いで、気の毒な兄君は顔を真っ赤にして、
 
すっかりしょげてしまわれました。 
 
 私は貴女に何とくだらない話をしているのでしょうか。 こんな話に返事を
 
書くのは難儀なことですね。