近代以前のパリはヨーロッパ随一の大都市であると同時にヨーロッパ随一
の不潔な都市でもありました。
腰の部分が大きく膨らんだフープ・スカートは、しゃがみさえすれば貴婦
人方がどこでも用を足せるようにするため、ハイヒールはうんこ塗れの道を
歩いても足を汚さないようにするため、日傘やマントは飛び散る糞尿を防ぐ
ため、香水は悪臭を誤魔化すため。 パリジャンの美しい装いは、かなりの部
分、汚物対策として発展してきたのです。
当時の建物には、ベルサイユのような大宮殿を含め、下水道やトイレがあ
りませんでした。 人々が汚物をどのように処分していたのかというと、答え
は単純、窓から外に投げ捨てていたのです。
ルールはただ一つ。 道路にぶちまける前に 「うんこ行きまーす!」 と叫ば
なければなりませんでした。 すると、眼下の道路では 「ちょっ、待てよ」 と
言いながら、人々がきゃあきゃあ逃げ惑うという微笑ましい光景が連日繰り
広げられていました。
パリでは、度重なる禁止令にも関わらず、19世紀になるまで、道路に放し
飼いにされた豚がいました。 豚というのは何と偉い動物であることか、人糞
を含む道の汚物を食べてくれる自走バキュームカーの役目を果たしたばかり
か、その後は料理されて人々の胃袋を満たしてくれました。 最近、ドングリ
だけを食べて育てられたイベリコ豚が流行っていますが、人糞を食べて育っ
た豚は一体どのような味がしたのでしょう。 と言う前にそんなもの食べて大
丈夫なのでしょうか。
当時、洗練の極みに達したベルサイユにおいても、事情は大して変わりま
せん。
かつてベルサイユに暮らした貴婦人は、隠遁後、田舎道を散策している際、
堆肥の山の横を通り過ぎて、こう言いました。
「あら、(ベルサイユの) 懐かしい香りがする」
そう、ベルサイユのばらはうんこの臭いだったのです。
ベルサイユの広大な大庭園は、至る所、茂みという茂みにうんこの山が築
かれていました。 糞尿の臭いを嗅ぐのに、何も外に出る必要はありません。
宮殿の中もうんこ塗れだったからです。
1702年、ルイ十四世の義理の妹、シャーロット・エリザベートは 「部屋を
出ると、必ず誰かが立ちションしてる!」と不満をぶちまけています。
『ノワイヨンの司祭はおしっこが我慢できなくなって、国王の礼拝堂に駆け
込み、司教座の欄干から盛大にオシッコをぶちまけた』
『シェブルーズ公爵夫人がベルサイユからフォンテーヌブローまで、馬車で
ルイ十四世のお供をした際、尿意を催したが、どうしても馬車を停めてとは
言えなかった。 そんなことで国王の不興を買えば社会的な死にも繋がりか
ねないからである。 おしっこしたくてもう死ぬと思っていた所で、ついに
馬車が停まり、公爵夫人は馬車を飛び出して、傍らの教会に駆け込んだ。
近くの容器を引っつかんで、それに放尿。 すんでの所で洩らさずには済んだが、
その容器が聖杯であったことに終わってから気が付いた』
このような逸話は枚挙にいとまがありません。
しかし――、
これらの逸話が語り伝えられていること自体が、当時においても、そのよう
な行為が多少なりとも普通ではないと認識されていたことを示しています。
それは一般庶民についても同様で、次の逸話は、当時においてさえ、人々
が辺り構わず、うんこやおしっこを撒き散らしていたわけでは無く、そこに
は自ずから限度があったことを示しています。
『ソー夫人とトレモイユ夫人の貴婦人お二人、ボックス席で観劇中、うんこ
がしたくなったので、その場でやってしまった。 しかし、自分たちのうんこ
のあまりの臭いに我慢ができなくなり、それを一階席に投げ落とした。 この
傍若無人な振る舞いに、劇場中から非難の声が上がり、二人の貴婦人は退出
を余儀なくされたのだった』