バラナシまでの夜行列車 | アルプスの谷 1641

アルプスの谷 1641

1641年、マレドという街で何が起こり、その事件に関係した人々が、その後、どのような運命を辿ったのか。-その記録





アーグラーからバラナシへ。
 
二度目となる夜行列車での移動です。
 
 インドで列車に乗る時、いつも困ったのが、自分の乗る車両がプラット
 
ホームのどの辺に停まるのか、全然、分からないこと。 電車に乗る時はいつ
 
も、ホームの端から端まで重い荷物を抱えて走り回っていました。 あれは何
 
かコツがあるのでしょうか。
 
 今回もホームを彷徨いながら途方に暮れていると、そこに悠然と列車を待
 
つ日本人と思われるグループが。 外国人旅行者は大抵、二等寝台の列車

 

に乗るので、多分、その人たちも、と目星を付けて、尋ねてみることにしました。

   
「すいません、日本の方ですか? 何等の列車をお待ちですか? 私は二等
 
寝台なんですけど、どこで待っていればいいのか、分からなくて」
 
 その方たちは、すぐに近くにいたインド人を呼んでくれました。 その方た
 
ち、中年の女性二人と若い女子が一人のグループで、呼ばれたインド人は彼
 
女たちのガイドでした。 その人たちそのものは、ガイドに言われるがままに
 
行動しているだけで、自分たちが何の車両に乗るのかも知らない様子です。
 
 ガイドと話をさせてもらって、この人たちも自分と同じ車両に乗ることが
 
判明。 私もその場で、一緒に待たせて貰うことにしました。
 
 聞けば、九州の方から来ているということで、若い女性の方は、「あんた、
 
どこから来た?」とか、片言の日本語を喋るので、外国の方かなと思ってい
 
たら、何と小学生でした。
 
「何か分からないことがあったら、何でも聞いてちょうだい」
 
 と、親切にもインド人ガイドを貸し出してくれたので、ちゃっかり便乗
 
して、この先の旅行の相談。 バラナシからデリーに戻る時の切符の入手につ
 
いてとか・・。
 
「バラナシについたら、すぐに駅で切符を購入してください」
 
 とそのインド人ガイドさんも快く教えてくれました。
 
 
 列車に乗って無事出発──したのはいいのですが、バラナシまで13時間、
 
暇で暇でしょうがありません。 結局、その女性たちと、電車の中で井戸端

 

会議。
  
「知り合いのAさんなんか、ご主人が単身赴任で、年に二度ぐらいしか会わ
 
ないんですって」
 
「いいじゃないですか、たまに会うと新鮮で。 毎日、顔つき合せても、喧嘩
 
になるのが落ちですよ」
 
「そうかしらねえ」
 
「たまに会ったら、燃え上がったりして」
 
「あははは・・」
 
 インドまで来て何の話をしているんでしょうか、私は。
 
 
 電車の中で、その方たちと撮った写真があるのですが、今見ると、髪は
 
くしゃくしゃ、髭はぼうぼうのひどい有様で写っています。 いつもはもう少
 
しいい男なのだと、この場を借りて釈明したい!
 
 
 夜も明け、井戸端会議にも飽きると、今度は乗降口に出て、走っている車
 
両のドアを開けて、外の風に吹かれてみます。 そこにも日本人の方、Tさん
 
がいて、暇そうにしているので、ここでも無駄話。 Tさんは本当はイランを
 
旅行するはずだったのが、会社から許可が下りなくて、しょうがなく?インド
 
に来たのだとか。 気の毒なことに風邪をひいているらしく、ちょっと具合が
 
悪そうです。
 
 
 そうこうしている内に列車はついにバラナシへ。
 
 私は女性たちのグループと「それではお気を付けて」とお別れました。
 
 
 翌日のこと。
 
 早朝、ガンジス川の畔を散策していると、何やら川面の方が騒がしい・・・。
 
 見ると、あのグループがボートの上から、私に手を振っているではありま
 
せんか。
 
 川面にきらきらと反射する光に目を細めながら、私も手を振りかえしました。
 
「切符は買えましたかー?」 
 
「ええ、おかげさまで、って、立ったら危ないですよー」
 
 何の騒ぎかと、いぶかるインド人を尻目に、早朝のガンジス川で叫びあう
 
日本人旅行者たち。 ──素敵です、ほんと。