リキシャワラとの戦い | アルプスの谷 1641

アルプスの谷 1641

1641年、マレドという街で何が起こり、その事件に関係した人々が、その後、どのような運命を辿ったのか。-その記録

 
 ホテルで荷物を下ろして、ちょっと街まで出ようかなと、一歩外に踏み
 
出すと──、
 
「待てい」
 
 とひとりの男が私の前に立ちたはだかりました。
 
 
 黒光りする肌、眉間に深く刻まれた皺、眼光鋭く、一切の贅肉をそぎ落し
 
た豹のようなその体。──毎度、お馴染み、リキシャワラのおっさんです。
 
「何ですの?」
 
「どこへ行く?」
 
「いや、ちょっとすぐそこまで」
 
「これに乗れ」黒豹は脇に止められたサイクル・リキシャを指差します。
 
「いや、すぐ近くだから……」
 
「いいから乗れ」
 
「いや、すぐ近くだから……」
 
「安くしといてやるから乗れ」
 
「だから……」
 
「ごちゃごちゃ言わんと乗れ」
 
 
 半ば強引にリキシャに乗せられ、私は夕暮れの迫る街をリキシャで運ばれ
 
ていきました。狙いは夕食のついでに、夜のタージ・マハールを見ておくこ
 
とです。前々回の記事で夜のタージ・マハールの写真を載せましたが、それ
 
はこの時、近くのレストラン──というよりも食堂──の屋上テラスで撮っ
 
たものです。満月の夜だと白亜の墳墓を撮ることができるのですが、この日、
 
空に月は無く、初めて見るタージ・マハールは黒い影となって、夜空に浮か
 
び上がっていました。
 
 
 私を下ろしても、リキシャのおっさんは、ただでは解放してはくれません。
 
「明日はどこに行く?」
 
「また、タージ・マハールに来るよ」
 
「俺が連れてってやる」
 
「いや、特に……」
 
「俺のリキシャで連れてってやる」
 
「だから……」
 
「ごちゃごちゃ言わんと連れてってやる」
 
 
 その手に乗るかい! お前なんぞの言いなりになるへたれ旅行者じゃない
 
んだからね、あたいは!
 
 この俺様から逃げられると思ってんのか、阿呆めが、一度つかまえた獲物
 
は死んでも離さないぜ!
 
 
 二人の鋭い視線が交わる所、バチバチと青い火花が飛び散ります。
 
 この後、足掛け三日に渡って続く黒豹リキシャワラとの激戦の火蓋、
 
ここに切られる!