ヴァルド派と十字架 | アルプスの谷 1641

アルプスの谷 1641

1641年、マレドという街で何が起こり、その事件に関係した人々が、その後、どのような運命を辿ったのか。-その記録





 今回は知識として未消化の部分が多いため、間違ったことを書くかもしれ
 
ませんが、今後の自分への宿題として、記事とさせていただきたいと思いま
 
す。もしも、詳しい方がいらっしゃれば教えていただけると嬉しいです。
 

 前回、トーレ・ペリーチェのヴァルド派に関するミュージアムの記事を書
 
きました。
 
 まさか見学者が来るとは思っていなかったようで、館員の方が大慌てでミ
 
ュージアムの鍵を捜しに行っている間、そこのショップを見ていたのですが、
 
あることに気がつきました。
 
 キリスト教関係のショップなら必ずありそうなもの、つまり、十字架が全
 
く無かったのです。この時初めて、ヴァルド派は十字架を信仰のシンボルと
 
して認めていなかったのではないか、という疑問が湧いてきました。
 

 実を言うと、ヴァルドと十字架の関係については深く考えたことがありま
 
せんでした。
 
 漠然とヴァルドも十字架を信仰のシンボルとしていたと思っていたのです。
 
 十字架といっても、宗派によって違いがあることは知っていますが、プロ
 
テスタントの場合はシンプルな十字、カトリックの場合であれば、十字に磔
 
刑像が付いているという程度の知識です。また、異端とされたカタリ派は十
 
字架を信仰のシンボルとは認めず、焼き捨てたりしていたことも知っています。
 
 しかし、ヴァルド派はどうだったのでしょう。
 
 ヴァルド派のシンボルとしては

 
「Lux lucet in tenebris」 (闇夜を照らす光)
 





 
 
がありますが、これはヴァルド派の紋章ではあるかもしれませんが、カトリ
 
ックの十字架に代わるものであるとは思えません。
 
 ミュージアムのショップに十字架はありませんでしたが、奇妙な図形をし
 
た木工細工が売られていました。
 
 その時には、その図形が何を表しているのか分からなかったので素通りし
 
てしまいましたが、日本に帰ってから調べて思ったのですが、あれはユグノ
 
ー・クロスではなかったのかと思います。
 

 ユグノー・クロスとは、フランスの新教徒(ユグノー)が、カトリックの
 
十字架を拒否して、その代わりとして用いたシンボルです。

 


 

 

 それはマルタ・クロスの下に平和の象徴である鳩が下がっているもので、
 
鳩が迫害の悲しみを表す涙の滴に置き換えられているのもあります。
 
 しかし、ヴァルド派が生まれたのは、宗教改革よりも三百年以上も前です。
 
ヴァルド派がプロテスタントと融合して以降に、ユグノー・クロスをシンボ
 
ルとして使ったというのは理解できますが、それは十七世紀終わり以降であ
 
るはずです。
 
 それ以前はどうしていたのか、疑問が残ります。
 

 ヴァルド派の教会内部を見ることができたのなら、もっといろいろなこと
 
が分かったかもしれませんが、カトリック教会が来る人に対しては常に扉を
 
開いているのに対し、ヴァルド派の教会は使用されていない時には閉じられ
 
ていました。単純に物質 (目に見えるもの) に対する考え方の違いなのだと
 
思います。
 
 もしかしたら、ヴァルド派の人々は、それ自体は物でしかない十字架など
 
のシンボルには重きを置かない人々だったのかもしれません。