トーレ・ペリーチェ探訪 | アルプスの谷 1641

アルプスの谷 1641

1641年、マレドという街で何が起こり、その事件に関係した人々が、その後、どのような運命を辿ったのか。-その記録




 トーレ・ペリーチェについて説明しておきたいと思います。
 
 トーレ・ペリーチェ (Torre Pellice) は、「ヴァルド派の谷」の入り口に
 
あたり、その名前は Del Forte (Fortress hill) という丘の上に建てられた
 
塔 (Torre) に由来します。(「ヴァルド派の谷へ (西川杉子著)」では、「こ
 
の塔はヴァルド派をゲットーに閉じ込めておくための見張りの塔であった」と
 
記述されています) フランスの国境までは僅か15km,スイス・ジュネーブ
 
までは 170kmの距離に位置してします。
 
 そこはまたイタリアにおける世界中のプロテスタントとの接点であり、各
 
種の教育機関、文化センターが建てられています。このため、イタリアの作
 
家、Edmondo De Amicis はトーレ・ペリーチェを「イタリアのジュネーブ」
 
と呼んでいます。
 
 そうはいっても、私の訪れたトーレ・ペリーチェの街はあまりに長閑で、
 
トリノの重厚な街並を見た直後では、普通の住宅地にしか映りませんでした。
 
 しかし、その街を注意深く眺めてみるならば、ヴァルド派の文化の中心地
 
としての誇りを随所に感じることができると思います。重要な建築物は丁寧
 
に手入れされて青空に映え、道はきれいに掃き清められて塵ひとつ落ちてい
 
ません。初夏のトーレ・ペリーチェは美しい花々に彩られ、緑の山に囲まれ
 
た静かな街でした。

  

( 人気の無い軽井沢を想像していただけると、大体、合っているかと思います )





 
 ここには教会や文化センター、集会場といった歴史ある建物の他に、ヴァ
 
ルド派のミュージアムがあります。






 

 そのミュージアムなのですが・・・、
 
 事前の調査で、開館時間が午後四時から午後七時までとなっているのは知
 
っていました。 が、しかし、なんぼなんでも、そんな開館時間のミュージ
 
アムがあるはずは無い、何かの間違いだろうと思って、半信半疑でそこを訪
 
れました。最初に午前中に行ってみたのですが、本当に午後四時からだと知
 
って、「これなに? ヴァルド派の人々は勤勉な人々と聞いていたけど、や
 
っばりそこはイタリア人、やる気無いのかな?」と思いながらも、一旦、引
 
き揚げました。
 
 そして、午後四時ぴったりに「ぼんじょるのー」と言いながらミュージア
 
ムに入っていくとえらい騒ぎが !
 



 「うわあ、外国からお客さんが来たあ!」
 
 「電気つけろ、電気!」
 
 「ミュージアムの鍵、どこか知らない?」
 
 「知らないわよ、あんた、昨日、どこ置いたのよ?」
 
 「昨日は誰も来なかったからなあ、鍵を開けなかった気がする」
 
 「開けなかった気がするじゃないでしょ、何しにここに来てんの。いいから
 
 早く探しなさいよ」
 
 「分かったよ、お客さん、ちょっと待ってて」
 


 イタリア語は全く分からないのですが、まあ、こんな会話が目の前で交わ
 
されていたことに間違いありません。
 
「いいですよ、ショップを見てますから、どうぞごゆっくり」
 
 と言って、本などを物色していたのですが、待てど暮らせど鍵が見つから
 
ない! 結局、入場できたのは四時半ぐらいになりました。
 
 ミュージアムはヴァルド派に関する歴史を網羅した見応えのあるもので、
 
夢中になって見ている内に、すぐに七時を過ぎてしまいました。私がミュー
 
ジアムに入ったきり、全く出てくる気配が無いので、今度は館員の方が心配
 
して私を探しに来る事態に。
 
 時間が押したのを詫びて、すぐに出ようとすると、「開くのが遅れたから、
 
もう少しいいよ」と言ってくれたのいで、何とか最後まで見ることができま
 
した。
 
 しかし、自分の印象なのですが、ともかくも熱心にミュージアムを見学す
 
る私を見て、館員の方はとても嬉しそうにしてくれました。(遠く日本から来
 
たとなれば、なおさらですね) 最後は有料の冊子をただで貰ったりして恐縮
 
してしまいました。
 
 この日、ミュージアムを訪れたのは、間違いなく私一人だけでした。
 
 恐らくは他の日も似たようなものでしょう。誰も来ない日も少なくないに
 
違いありません。
 
 開館時間が午後四時から午後七時までなどという非常識なミュージアムが
 
どこにある!と、最初は呆れていた私ですが、ミュージアムを出る時には感
 
謝と尊敬の念を覚えずにはいられませんでした。
 
 何かと効率主義の日本にあっては、人の来ないミュージアムなど、すぐに
 
閉館になっているに違いありません。しかし、苦難の歴史を耐え、その誇り
 
を後世に伝えようとする強い意志があって初めて、このようなミュージアム
 
の存在が可能なのだとはっきり理解できました。ミュージアムの運営は寄付
 
金などで賄われているに違いありませんし、館員の方も別に職業を持って
 
いて、ボランティアでやっているのかもしれません。そう考えれば、午後四
 
時から午後七時までという開館時間であっても、それを毎日続けていくこと
 
は、むしろ驚くべき熱意だと言うべきです。
 
 そこには損得などというものは無く、あるものは来る人のために常に扉を

 

開こうとする真心だけなのかもしれません。